錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『唄ごよみ いろは若衆』(その2)

2013-02-27 03:59:04 | 旅鴉・やくざ
 「投げ節弥之の唄」の一番と二番の歌詞もついでに書いておこう。

(一)男二人のお小姓髷を サラリ落して浮世旅
   恋の投げ節かたわれ月に 涙かくしの張り扇

(に)娘結わた紅帯しめた 利根の河原の花あやめ
   思いかけても添われぬ身ゆえ 呼ぶぢゃないぞえ今日限り


 もう一曲の「いろは小唄」の方は、近年、SP盤復刻による日本映画主題歌集(戦後編)に収録された。それを、カセットテープに録音したものを私も持っていて、何度も聞いているが、こちらは明るい歌である。が、映画のどこに使われたのかは分らない。錦之助はレコードにされたこの歌を聞くのがイヤでイヤでたまらなかったというが、錦ちゃん祭りなどではよく歌っていたから、まんざら歌うのが嫌いだったわけでもなさそうだ。

 話が横道にそれてしまったが、そのあとのストーリーはこうである。

 ある日、弥之助が唄う投げ節を、たまたま一座の太夫・お千代が通りかかって聞き、心を打たれた。


(めおと漫才でもやりそう)

 芝居小屋で弥吉郎は、お千代が口ずさんでいる唄に驚いた。自分が作ったものではないか。
 弥吉郎はその流しの歌手を探し歩き、やっと居所を突き止めた。しかし、弟は父の仇を討とうと思い立ち、単身郷里へ帰っていた。
 その時、弥之助は、城中に乗り込んで、多勢に囲まれていた。そして、あえなく捕まってしまう。


(縄で縛られ、折檻されている場面。木刀を持っているのは、誰だろう?山茶花究のようにも見えるが……。向こうに坐っているが悪家老、戦前の二枚目スター高田稔である)

 兄の弥吉郎も急いで郷里へ帰り、夜中に城へ忍び込んで、弥之助を助け出す。ここで二人はやっと再会し、喜び合った。
 二人はまた江戸に舞い戻り浅草の芝居小屋に身を潜めるが、内通する者があって悪家老の一派と幕吏に襲われる。ここがラストのチャンバラシーン。


(これが錦ちゃん初のやくざ姿。長ドスを持っての立ち回り。頭はムシリではなく、町人髷?)

 兄の弥吉郎とお千代は斬られた。弥之助はついに父の仇の悪家老を討ち果たす。
 息絶えたお千代を抱き締め、兄は、「お花さんを幸せにしてやれよ」と言い残し、死んでいく。
 ラストシーン。倒幕軍が錦の御旗を掲げ、鼓笛の音も高らかに江戸に入って来る。それを見つめる群衆の中に、弥之助とお花の寄り添う姿があった。(エンドマーク)



『唄ごよみ いろは若衆』

2013-02-27 03:06:14 | おしどり若衆・いろは若衆・ふり袖月夜
 『唄ごよみ いろは若衆』は、もう見られない映画なので、どんな映画だったのか、想像しながら書いてみよう。上映時間87分。それほど長い映画ではないが、ストーリーは長編並みである。



 錦之助は、稲葉弥之助という名で、土浦藩の重臣の子。土浦なので今の茨城県だが、この物語の時代は幕末だから、常陸の国である。父の弥左衛門(河部五郎)は勤王方の改革派だったが、対立する悪家老(高田稔)に謀られ、殺されてしまう。弥之助、つまり錦之助は、この時、まだ前髪のお小姓だった。


(今にも泣き出しそうな錦ちゃん)

 弥之助には弥吉郎という兄がいた。この役を徳大寺伸が演じていて、なかなか良かったらしい。弟思いの心情がにじみ出て、錦之助も共演中、「いつしか本当のように感じられてきて思わず僕は涙を流しました」と語っているほど。
 父を殺され、二人の兄弟も殺されかかるところをなんとか脱出した。
 ここで初めの数分が終ったと思われる。

 さて、場面は変わって、下総の国(千葉県)の神崎村。
 ここで弥吉郎と弥之助の兄弟は仲良く暮らしている。
 兄弟を助けて世話をしているのは、土地の顔役の忠吉(高松錦之助)とその娘お花(千原しのぶ)だった。兄の弥吉郎は、父の遺志を継ぎ勤王の志を抱いて、毎日読書にいそしんでいる。徳大寺伸にぴったりの役だ。一方、弟の錦之助、いや弥之助の方は、ぐれてしまった。やくざのアンちゃんみたいになっている。菊丸や犬飼現八とは全く違う錦之助のこの変わりように、ファンはアッと声を上げたにちがいない。
 そこへお花が現れて、三人の会話。兄はお花に惚れていて、お花に対し、やけに親切である。弟もお花が好きなのだが、そんな素振りは見せない。で、お花はどうかと言えば、インテリで堅物の兄貴より、不良っぽいが若くて可愛い弟の方に恋心を寄せている。そういう設定であろう。


(千原しのぶが錦ちゃんを見ている視線に「好きよ」という感じが表れている)

 ある日、兄が自ら歌を作って詠んでいた。それを見た弟が、照れる兄を尻目に、その歌に節をつけて唄う。この場面は重要な伏線で、のちにこれが「投げ節」(流しの小唄)になる。
 しかし、この平穏な日々も長くは続かなかった。
 鎮守の祭りの日、兄弟を探索していた土浦藩士たちがお花を見つけ、家に押し入って来た。お花の父の忠吉は斬り殺され、家に居た弥之助は、匕首(あいくち)一本で藩士たちに立ち向かう。藩士の西村という悪役は吉田義夫で、あの恐い形相で錦之助に襲いかかってきた。


(網の長者やオンゴ将軍など、錦ちゃんの初期の映画には欠かせない悪役吉田義夫)

 急を聞いた兄の弥吉郎が駈けもどり、旅の武士牧瀬伊織(加賀邦男)の助勢を借りて、藩士たちと斬り合う。弥吉郎は、弟にお花を託して、
「この場はわれわれに任せて、早くお花さんを連れて逃げるんだ!」
 ここまでで30分ほどか。

 それから十数日後、成田街道を歩いていく若い男と女の姿があった。
 弥之助とお花、つまり錦之助と千原しのぶである。弥吉郎が江戸に出たことを聞いて、彼を探しに二人で江戸へ向かう途中だった。
 その頃、弥吉郎は浅草の芝居小屋に身を寄せ、牧瀬伊織ほか勤王派の同志たちに加わっていた。一座の太夫・お千代(喜多川千鶴)は弥吉郎に思いを寄せ、一座の男はそれをねたんで悪さをするのだが、このあたりは、錦之助とは関係ないのでカットしよう。
 
 さて、江戸に着いた弥之助とお花は、忠吉(お花の父)に恩義のあった銀次(川田晴久)の世話で、長屋住まいを始める。二人は日が暮れると、日銭を稼ぐため、いっしょに色街へ出た。お花は鳥追い姿で三味線を弾き、弥之助は投げ節弥之と称し、流しの歌手となって、兄の歌に節をつけて唄い歩くようになっていた。お花は弥之助を慕い、弥之助もお花に恋していたが、兄を思うと、弥之助はなぜかお花によそよそしく、冷淡になってしまうのだった。ここが、この映画のハイライトであろう。写真を見ると、錦之助と千原しのぶの粋な芸人姿がなかなか良い。


(錦ちゃんのつれない素振りに悲嘆に暮れる千原しのぶ)

 錦之助の唄う挿入歌「投げ節弥之の唄」は、一番から三番までを三つの場面で順番に披露していったのだと思うが、この場面では三番を唄ったのではなかろうか。
 三番の歌詞は以下の通り。作詞は野村俊夫、作曲は上原げんと。
 
 今ぢゃその名も投げ節弥之と 粋な唐桟(とうざん)裾ばしょり 
 恋をゆづるも弟なれば 旅の夜風に男泣き


中村錦之助伝~アイドルスター誕生(5)

2013-02-25 14:54:59 | 【錦之助伝】~スター誕生
 『投げ節弥之』の脚本が仕上がり、早速、錦之助はこれを読んだ。途中で泣けてきて、胸がいっぱいになるほど感動した。稲葉弥之助という主人公を絶対にやってみたい、と錦之助は思った。そこで、マキノ光雄に会って東映でぜひ映画化してほしいと頼み込んだ。錦之助は東映の専属になった頃から、マキノ光雄のことを「おやじさん」と呼んで信頼し、何でも肚を割って話せる間柄になっていた。
「なんや、プロデューサーみたいになりおって」と、マキノは笑いながら言った。
「おやじさん、これ、どうしてもやりたいんです。お願いします」と錦之助は脚本をマキノの前に置いて何度も頭を下げた。
 マキノは本当は錦之助を娯楽版の連作に出したいと思っていた。次作の『霧の小次郎』への出演を予定していたが、錦之助の熱意に並々ならぬものを感じた。錦之助はこうと思ったら妥協しない一途なところがある。それをマキノも知っていた。
「わかった。ええやろ」とマキノは言うと、錦之助の肩を叩いて、
「しかし、タイトルがあかんな」
「投げ節」というのは三味線で伴奏する流行歌のことだが、今の時代にはピンと来ないとマキノは言うのだった。

「投げ節弥之」は、タイトルを『唄ごよみ いろは若衆』と変えて、映画化されることになった。『笛吹童子』で助監督を務めた小沢茂弘が『野ざらし姫 追撃三十騎』で監督デビューし、その二本目としてこの作品のメガフォンを取ることに決まった。相手役は千原しのぶ、共演者は徳大寺伸、喜多川千鶴、加賀邦男、高田稔、新芸術プロからは川田晴久、山茶花究、星十郎らが加わった。
 錦之助は東映に来て早くも本篇二本目で(娯楽版は八部あり)、着流しのやくざと投げ節の歌い手に扮し、劇中で唄まで歌うことになったのである。
『里見八犬傳』が6月半ばにクランクアップすると、錦之助は『唄ごよみ いろは若衆』の準備に取り掛かった。
 ヅラ合わせでは、ムシリと呼ばれるカツラを錦之助は初めてつけることになった。なかなか似合うなと自分でも思った。ムシリとは月代(さかやき)のない頭のことで、浪人や旅人やくざが髪の毛を伸ばしたままにしたスタイルである。


『唄ごよみ いろは若衆』 錦之助の稲葉弥之助

「ムシリが似合わなければだめです。このカツラは大概だれでも似合うものでしてね」と、中村時十郎が言った。時蔵の弟子の時十郎は、錦之助の二作目までは付き添っていったんは舞台に戻ったが、錦之助が東映専属になると、時蔵の指示でまた錦之助に付いて世話係のようなことをやっていた。錦之助を赤ん坊の頃から知っているので、なんでもズケズケと言った。その後間もなく、時十郎も東映の専属となり、錦之助の出演作には悪役で出るかたわら、錦之助の良き相談役兼御意見番になっていく。中村時之介と改名するのは昭和32年からである。
 錦之助は京都で歌のレッスンに通った。発声練習が主だった。子供の頃から長唄や常磐津は習っていたが、歌謡曲は初めてだった。そして、映画がクランクインする前に東京へ行き、作曲家の上原げんとに会い、初めて主題歌を教わった。「投げ節の唄」と「いろは小唄」の二曲だった。コロンビアからレコードも出すという話になって、否も応もなく、翌日録音スタジオへ連れていかれ、二曲とも吹き込まされた。十数回のとり直しの末、やっとオーケーが出たが、とんだ速成歌手の誕生だった。錦之助は恥ずかしくてたまらなかったが、自分が気に入った映画のためだと思い、しぶしぶレコードの発売を承諾した。



中村錦之助伝~アイドルスター誕生(4)

2013-02-25 14:17:33 | 【錦之助伝】~スター誕生
 昭和29年5月、中村時蔵一座が京都南座の公演で京都へ来ることになった。
 母ひな、弟賀津雄も同行するという。錦之助は久しぶりに両親と弟に会えるのかと思うと、嬉しくてたまらなかった。しかも京都で会えるというのは格別だった。
『笛吹童子』がアップして、『里見八犬伝』の撮影に入る前だった。わずか数日の休暇だったが、錦之助は、南座の楽屋へ行ったり、父と弟の舞台を見たり、夜はみんなで夕食をともにして、楽しく過ごした。親子水入らず、話題にも花が咲いた。錦之助の出演した映画の話も出た。時蔵もひなも賀津雄も映画が封切られるとすぐ見に行っているそうで、『笛吹童子 第一部』の時は、大入り満員で家族全員、大喜びしたという。
「おとうさんたら、あなたが出て来ると拍手するのよ。舞台じゃないのにね」と、ひなが言うと、時蔵は、
「いいじゃないですか。ほかのお客さんだって拍手している人がいるんですよ。父親のわたしが拍手しないってわけにはいきません」と、嬉しそうに言った。
 ひなの話では、時蔵はお客さんの反応が気になって、その様子ばかり見ていたらしい。
「でも、錦兄ちゃんがこんなに人気者になるとは思ってもみなかったよ」と賀津雄が言うと、
「おれも捨てたもんじゃないだろ!」と錦之助は胸を張った。
「でも、錦一、これからはもうちょっと実のある狂言をやらなければいけません。わたしから先生がたに頼んでおきました」
 狂言と言うところが、いかにも時蔵らしかった。

 実は、時蔵はすでに贔屓にしてくれる作家たちに挨拶かたがた、「息子の映画に向いている作品がありましたら、ぜひお願いします」と頭を下げて回っていたのだった。子母澤寛、長谷川伸、土師清二、北条秀司、村上元三といった時代小説や時代劇のそうそうたる作家たちであった。
 錦之助がこれからも時代劇映画に出演するとなれば、こうした作家たちの支援がどうしても必要になる、と時蔵は考え、動いたのだった。そして、この時蔵の挨拶回りは、錦之助のその後の出演作を決める上で大変意義あるものになった。
 まず、これはどうかと自分の作品を提供してくれたのが、子母澤寛だった。それは子母澤が昭和の初めに書いた「投げ節弥之」という時代小説で、戦前の無声映画時代に林長二郎(長谷川一夫)が主演で松竹が映画化している作品だった。この小説の映画化の話は新芸術プロの福島通人が賛同し、プロデューサーとなって、『唄しぐれ おしどり若衆』を書いた西條照太郎に脚本を依頼してくれた。




中村錦之助伝~アイドルスター誕生(3)

2013-02-24 23:15:26 | 里見八犬傳
『里見八犬傳』の第一部『妖刀村雨丸』、続いて第二部『芳流閣の龍虎』が公開されるや、錦・千代ブームは俄然高まった。錦之助のもとに届くファンレターの数も毎日百通を越えるほどになった。そのなかには、「京都市 犬飼現八様」の宛名だけで届いたというウソのような話もあった。
 錦之助の犬飼現八は、凛々しく溌剌さに溢れていた。徹夜続きの強行軍で撮ったとは思えないほどの若さと元気が、錦之助の身体全体にみなぎり、動きもキビキビして敏捷だった。どこかのっそりしたところのある千代之介とは好対照と言えた。静の千代之介に対し、動の錦之助。陽の錦之助に対して、陰の千代之介と言われるようになるのは、『紅孔雀』以降だが、二人の個性の違いは、すでに『里見八犬傳』を撮った頃に現れていた。



 千代之介の犬塚信乃と城(芳流閣)の屋根の上で対決するシーンは、姫路城のロケと撮影所のセットで撮られた。城の屋根の上に実際登ったのは、もちろんスタンドイン(吹き替え)で、二人とも鳶職の人だった。姫路城は国宝級の史跡であるが、姫路市がよくぞ撮影を許可してくれたものだと思う。また、二人がつかみ合ったまま高い屋根の上から真下の川に落ちる所も、スタンドインだった。このシーンは、ロケ地を変え、琵琶湖の瀬田の唐橋で撮った。錦之助の代わりは中山吉包(義包 よしかつ)がやった。彼は、錦之助に見込まれて、のちに錦之助の付き人兼マネージャーになる人である。この時千代之介の代わりは小田真二だったが、東映剣会のメンバーで、彼もその後錦之助の吹き替えをよくやるようになる。
 第五部『暁の勝鬨』のラスト近くに、錦之助が馬に乗るシーンがあるが、乗馬して馬を走らせるところは、高岡政次郎が代わりにやった。彼は東映の厩舎で馬を飼育し、馬の出て来るシーンでは、馬の世話から乗り手の指導までのすべてを指揮していた親方だった。主役が馬に乗るところは彼が進んでスタンドインも引き受けた。後年錦之助の吹き替えは息子の高岡正昭が行なうようになる。第五部で、馬に乗った錦之助が丘の上にいる他の剣士に向かって「オーイ」と呼ぶところがあるが、そこだけは吹き替えではなく錦之助自身が演じた。この頃はまだ馬に乗り慣れず、恐かったが仕方なく引き受けたと錦之助は語っている。
 当時、『里見八犬傳』を観た子供たちの多くは、何もかも錦之助がやっていると信じ、ハラハラしながら観ていたにちがいない。が、現場では錦之助も自分の影武者たちのアクションをハラハラしながら見ていたのだった。



『里見八犬傳』五部作で、錦之助の出番が最も多く、また主役らしい活躍をするのは、第三部『怪猫乱舞』だった。峠の茶店の主人から山中に妖怪が出るという話を聞き、犬飼現八が妖怪退治に乗り出すところから、映画が急に面白くなり、完全に錦之助が画面をさらっていく。随所に錦之助らしさが出ていて、セリフ回しはややぶっきら棒だが自然な調子になり、錦之助が映画の撮影に慣れてきたことをうかがわせる。とくに茶店での会話はそれがよく現れていた。錦之助が山中の洞窟まで歩いていくシーンは、錦之助一人だけのカットを何カットも繋いでいるが、セリフもなくただ颯爽と歩いている姿だけで様になっていた。化け猫が変身した赤岩一角とその亡霊を阿部九州男が熱演しているが、洞窟の中で錦之助とその亡霊が出会う場面では、あのアクの強い阿部九州男に対し、錦之助は一歩も引けを取らず、すでに主役スターの輝きを放っていた。
 錦之助の立ち回りは、第四部『血盟八剣士』のラストにもあったが、その上達が目立って見えたのは、第五部『暁の勝鬨』でのラストだった。その前に錦之助は田代百合子の浜路姫を護衛するため腰元に変装するが、これは失敗だった。錦之助は嫌がったが、会社からやれと言われて仕方なくやったそうだが、どうせやるならもっと美しい女形に変身すべきだった。第一、この役は藤里まゆみがやるべきだろう。錦之助の女装は中途半端で、男の錦之助が丸見えだった。立ち回りは、敵の本城に乗り込んで、腰元の衣裳を脱ぎ捨てるや、若武者姿の犬飼現八に戻ってから始まる。チャンバラ好きの錦之助はよほど研究したのだろう。身体の重心を下げて、刀の振り下ろしに力が加わったため、敵を斬り倒す時の迫力が以前とはだいぶ違っていた。自分から襲いかかっていくところも増やし、刀の振るい方にも変化をつけていた。ただ、相手を斬るたびに、「エイッ」と声を出して口を開けるのはどうしたものだろう。この癖だけが直っていなかった。
 後年、錦之助も語っているように、『笛吹童子』から『里見八犬傳』まで休む間もなく撮影が続いたことは、映画に慣れる上で、大変良いことだった。錦之助の勘の良さと研究心は誰もが認めることだったが、歌舞伎の演技とセリフ回しからいち早く脱却し、映画俳優として加速度的に進歩していったのは、連日連夜撮影に追われている中でのことだった。