錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『清水港の名物男 遠州森の石松』

2006-03-31 15:26:57 | 遠州森の石松


 マキノ雅弘という監督は、恋愛映画の名手だった。現代劇ではない。時代劇や明治物の恋愛映画である。この人の手にかかると、任侠物、股旅物といったジャンルの作品でも、極めて日本的な、プラトニックな恋愛映画に仕上がってしまう。いや、仕上げてしまうと言ったほうが良いかもしれない。
 やくざ映画の主題といえば、渡世の義理とか男の任侠道とかであろうが、彼はこうした主題よりむしろ、やくざな男と市井の女(堅気の娘でも芸者でも遊女でもよい)との間に芽生える恋心や、惚れた男と女同士の心の通じ合いや絆といったものが好きで、これをいかに情感たっぷり表現するかに苦心していたようだ。それは、欧米的な"love affair"(情事)という概念とは程遠く、また現代の日本人の恋愛観とも異次元にある、古い日本的な恋愛の理想形というものだった。

 『清水港の名物男 遠州森の石松』(昭和33年6月末公開)は、マキノ雅弘が監督し、錦之助が主演した映画のなかで、『弥太郎笠』(昭和35年)と双璧をなす恋愛映画の名作になっている。
 錦之助が森の石松を演じるのはこれが二度目。錦之助の石松は、それほどそそっかしい性格でもなく、馬鹿正直で単純な男でもない。純粋だが大変物分りが良く、ロレツもよく回り、気風も良い、要するに大変格好良いのだ。従来の石松のイメージ(たとえば森繁久弥の石松)とはまったく違う、粋な石松なのである。マキノ監督は、こうした錦之助の石松だからこそ、石松が主役のこの作品を恋愛映画に仕立てたのかもしれない。
 もちろんこの映画は、講談や浪曲の「清水次郎長伝」にある名場面「石松の金毘羅代参」の部分を描いたものだ。次郎長が女房のお蝶と豚松を喧嘩に巻き込み死なせてしまった後、刀を金毘羅さまへ奉納するため子分の森の石松を使いにやる。石松は無事奉納を済ませ、帰途につくのだが、途中、地元の親分から香典に二十五両をもらい、その後友達の七五郎夫婦の家に立ち寄る。この金がもとで、石松は都田兄弟のだまし討ちに会い、お堂のそばで無残にも殺されてしまう。このくだりである。
 村上元三の「次郎長三国志」では終わり近くに描かれ、連綿として続く群像ドラマの山場になっているところだ。マキノ監督はこの原作を九部作のシリーズとして東宝で映画化しているが、「石松の金毘羅代参」は、第八部『海道一の暴れん坊』に相当し、マキノ監督のアイディアで原作にはない潤色がほどこされている。石松と遊女夕顔の話とラストの石松開眼である。錦之助はマキノ監督から『次郎長三国志』のシナリオを借りて読み、石松をやりたいから第八部をぜひ再映画化してほしいと懇願したという。それで製作されたのがこの『遠州森の石松』である。そして、このリメイク版では「金毘羅代参」の筋立てを大きく変え、話の中心を石松と夕顔とのロマンスに絞って作り変えたのだった。



 この映画のハイライトは、金毘羅参りを終えた石松が廓で夕顔という遊女(丘さとみ)と一夜を共にするシーンである。ここには、恋愛映画にはお決まりの接吻や抱擁もなく、ただ、石松の寝ている蚊帳の中へ夕顔がそっと入るというだけである。とはいえ、ここまでに至る展開が素晴らしく、この場面でいやがおうにもヴォルテージが高まるよう、巧妙に仕組んだカットが積み重ねられている。
 まず、金比羅代参にあたり、石松は「飲む、打つ、買う」の「買う」だけ許されて旅に出るのだが、讃岐の女は情が厚くてイイ女、たっぷり楽しんでこいと仲間のみんなから八両二分の餞別をもらう。途中で石松は小政(東千代之介)と知り合う。そして小政から、惚れた女ののろけ話を聞かされる。藤の花が咲き誇る川辺で語り合う錦之助と千代之介の場面がなかなか良い。小政の女はお藤といい、濡れているような目に彼は惚れたと言う。「この女がいるから、オレは死ねない。オレが生きていてこそ、咲いてる花よ」とまで小政から言われ、石松は羨ましくなる。おみなえし(女郎花)でもいいから、女に惚れてみたい。
 すっかりその気になって、石松は旅を続ける。金比羅様に刀を納めると、石松は一目散に花街へ行き、とある廓へ入る。そこで夕顔という女に一目惚れしてしまうのだ。この辺のうきうきした錦之助の石松がとても良い。上がりかまちに寝転がって下から片目で女を覗き込むと、本当に濡れたような目をした(撮影に苦心の跡が!)可愛らしい夕顔が坐っているのだ。丘さとみの夕顔もおぼこ娘のようでういういしい。そしてこの遊女にぞっこん惚れた石松は、廓に上がると八両二分をすっかり女に預け、しばらくおまえに惚れさせてくれと懇願する。
 湯殿で、戸を隔て、石松と夕顔が語り合うシーンは思い入れたっぷりで、ロマンチックである。夕顔がつかう讃岐弁も奥ゆかしい。石松の問いかけに「なんじょー」「そうじょー」と「じょー」を付けて答えるのだ。夕顔が石松の純粋さに心を打たれ、次第に好きになっていく経緯が見事に描かれていく。
 「これまで惚れた男はいなかったのか」という石松の問いかけに、
 「惚れる?ウチ、まだ惚れるってどんなことだか知らんの。おまはん、知っているんだったら、教えてくれん?」
 その言葉に石松が、
 「惚れるってことを知らねえで、女になっちゃったんか」とひとりごつ。
 私が大好きなシーンである。
 
 ほかにも見どころたっぷりの場面が多く、書いているときりがない。廓で泊まった日の翌朝、庭に揃った遊女たちの前で、石松がやまがの猿と悪口を言ったことを詫び、二階の欄干で猿まねを演じてみせる場面など、錦之助ファンならたまらなく、絶対見逃せないところである。

 共演者で言えば、石松を迎える親分の見受山鎌太郎を演じた志村喬が良かった。志村喬は旧作『次郎長三国志 第八部』でも同じ役をやって森繁の石松を引き立てているが、この映画では、錦之助と初共演。二人のやりとりも見どころになっている。志村喬の一つ一つの言葉には温情がこもり、石松を教え諭す演技もさすがで、観る者をぐっと引き込んでしまう。彼の存在感は格別である。娘役の中原ひとみも明るく、まさに適役だった。石松が別れ際にもらった夕顔の手紙を鎌太郎の家で読ませるシーンもこの映画の名場面と言えるだろう。
 後半はお園役の長谷川裕美子がいい。槍を持って都田兄弟を追っ払う場面は長谷川の見せ場。旧作の越路吹雪とはまったく違った感じで、鉄火肌というより、美しくて気風が良い女であった。頼りない夫の七五郎を支える世話女房ぶりもぴったりだった。
 
 この映画のラストは、都田一家に石松が襲われ、斬り合いをするシーンである。この場面の描写は普通しつこいほど凄惨に描かれることが多いが、この映画はまったく違っていた。錦之助を格好良く見せることに終始しているように思えた。錦之助は侍のような立ち回りをする。傷は負うものの、殺されるところは描かない。見せ場はやはり、最後に石松の片目が開いて、両目になるところだ。旧作でも「石松開眼」で有名になったシーンだが、なんとも言えない美しい表情の錦之助の顔のアップでこの映画はここでぷっつりと終わる。あとは観客の想像にお任せといったような終わり方で、ここまで描いたらもう十分だろうといったマキノ監督の自信のほどが察せられた。



『浪花の恋の物語』

2006-03-28 06:07:45 | 浪花の恋の物語


 『浪花の恋の物語』(昭和34年9月中旬公開)は、悲しくも美しい映画である。男と女の添い遂げられない恋が、せつなく悲しい。そして、いちずに思い続ける心が、穢れなく美しい。これは男と女の悲恋の美しさをあざやかに描いた映画だと言えよう。
 原作は、近松門左衛門の人形浄瑠璃「冥途の飛脚」と歌舞伎の「恋飛脚大和往来」。梅川・忠兵衛の有名な話である。舞台は大阪。飛脚問屋「亀屋」の養子忠兵衛は、初めて登った廓で遊女梅川に惚れてしまう。挙句の果ては身請けするため、封印切り (依頼主の金に手を付けてしまうこと)という大罪まで犯して梅川を連れ出し、生家のある田舎の村へと駆け落ちしていく。
 この梅川・忠兵衛の悲恋物語を、名シナリオライター成澤昌茂が血の通った脚本に書き起こし、巨匠内田吐夢が色あでやかで見事な映画作品に仕上げた。ともすれば取っ付きにくい古典的な様式美の世界を、だれが見ても感動する映像美の世界に移し変えた。さすが内田吐夢である。さらに言えば、劇中の登場人物は、黒子に操られた人形ではなく、生身の俳優。下手をすれば、安っぽい田舎芝居になりかねないが、あにはからんや、この映画は演劇的にも完成度の高い作品になっている。内田監督の演出が冴えわたり、出演者もみな適役で最高の演技を繰り広げている。
 忠兵衛役の錦之助が良かったことは言うまでもない。錦之助はこの作品で新境地を開いたとも言える。チャンバラのヒーローが一転して、遊女に溺れる生真面目な町人役を演じたのである。いわば硬派の剣士・武将から、女に身も心も捧げる軟派の色男になったわけだ。上方弁を話すのも新たな挑戦であったにちがいない。
 梅川役の有馬稲子は体当たりの演技だった。しっとりと落ち着いた情の厚い女が男に惚れて次第に変わっていく。その狂わんばかりの女のさがを表現していた。近松門左衛門役の片岡千恵蔵は貫禄十分(ただ下膨れの顔がいつも気になる)。ほかに忠兵衛の養母に田中絹代、同業の親友に千秋実、廓の強欲な主人に進藤英太郎、廓のやり手ばあさんに浪花千栄子、梅川に横恋慕するイヤらしい金持ちに東野英治郎など、芸達者ばかり。若い花園ひろみも箱入り娘役で出ていた。

 『浪花の恋の物語』は、様式的な枠組みのなかに、斬新なアイデアを取り入れ、工夫した構成になっていた。面白いのは、近松役の千恵蔵が所々で現れ、狂言回しのような役割を演じていたことだ。芝居作者として忠兵衛と梅川に関心を寄せ、二人の様子をたえず見守っているのだが、あえてこのような傍観者的な視点を加えたことが、映画に奥行きを与えていた。破滅に向かう二人の恋がまるで遠近法で描かれた絵のように見えたからである。
 何と言っても、この映画のクライマックスが秀逸だった。二人は駆け落ちして、忠兵衛の父親の住む田舎の村へと逃げていく。雪の中、追っ手が迫り、難をのがれ飛び込んだ民家。決して離れまいと固く抱き合う二人。このシーンは胸を打つ。そのあと、近松のもとへ二人が追っ手に捕まったという知らせが届く。父親に会えなかったのだ。それを憐れむ近松の顔のアップ。
 その後に続くシーンは観る者の意表を突くものだった。拍子木の音が鳴ると、まるで幻想の世界に変わったかのように、歌舞伎風に道行(みちゆき)を舞いながら忠兵衛と梅川が登場するのだ。この錦之助の美しいこと!するとまた現実に戻って、廓に連れ戻された梅川が頭に黒い布をかぶされて廊下を引きずられていく。部屋でかぶりを取った梅川の亡者のような顔。その顔に二人が捕まって無理矢理引き裂かれる残酷な記憶がよみがえる。我に返った梅川。庭の井戸に飛び込んで死のうとするが、近松に阻まれてしまう。死ぬことさえ許されないと泣き崩れる梅川。
 最後は、近松の真正面のバスト・ショットから、カメラが後ろへどんどん引いて行く。舞台を見ている満員の観客。ここからまた幻想的シーンで、梅川が一人美しく舞っている。それが人形に替わって、浄瑠璃の大詰めの場面が映し出される。劇中では忠兵衛が父親に会える結末になっている。この20分余りの、虚構と現実が交錯するラストは素晴らしく、息をのんで見とれてしまう。(2019年2月5日一部改稿)


好きだった有馬稲子

2006-03-26 18:12:35 | 監督、スタッフ、共演者
 有馬稲子が好きだった時期が私にはある。彼女の出演した映画を1本も見ていない時に、である。それは彼女が、私の憧れのチャンバラスター錦之助と恋愛結婚したからであった。当時私は小学2年生か3年生で、雑誌か何かで、仲むつまじくしている二人の写真を見て、子供心に(といっても私は幼稚園のころ恋人がいたりして結構早熟だった気がする)、なんて美しい女性なんだ!と思った。
 錦之助はきっと美空ひばりか東映のお姫様女優のだれかと結婚するのではないかと自分なりに予想していたのだが、東映映画では見たこともない「いねこ」という変な名前の女性がどこからともなく現れ、急に錦之助の奥さんになったことにびっくりした。二人の電撃結婚にはマスコミも世間も大騒ぎしていたように思う。錦之助の女性ファンは有馬のことを天敵扱いしたにちがいない。
 それはともかく、すぐ後になって私は、二人が『浪花の恋の物語』(1959年)という映画で初共演し、互いに好いた惚れたの仲になったことを知った。(錦之助と有馬稲子の出会いと恋愛に関しては、鈴木尚之著『内田吐夢伝』に詳しいので、興味のある方はご一読を。)ただ、この映画は子供が見るものではない、と母親から釘をさされたのだろうか、その時は見ることもなかった。以来40数年、この年になるまでずっと見る機会を逃してきたが、先日中古ビデオを手にいれ、やっと見ることができた。錦之助と同い年なのに、ずいぶん落ち着いた姉さんタイプといった感じで、しっとりとした情感溢れる遊女を演じているなーと感心した。

 有馬稲子が出演した映画はそれほど見ていないが、小津安二郎監督の二作品『東京暮色』(1957年)と『彼岸花』(1958年)の有馬は特に印象に残っている。特に『彼岸花』の彼女はみずみずしく良かったと思う。
<有馬と久我美子、「にんじんくらぶ」の親友だった>

 あとは、松本清張原作の『波の塔』(1960年)で主演した有馬の姿がなぜか心に焼き付いている。彼女はサスペンスが似合っているのかもしれない。愛欲を内に秘めた罪深い人妻を演じた有馬もなかなかなものだった。
 錦之助と共演したほかの映画では、『武士道残酷物語』(1963年)での気品ある奥方役が何と言っても良く、取り乱すこともなく自害して果てる姿が哀れでしのびなかった。



『ちいさこべ』

2006-03-26 06:16:22 | ちいさこべ


 田坂具隆監督の『ちいさこべ』(昭和37年)という映画は、評価が真っ二つに分かれる作品であろう。感動してとても良い映画だったと言う人もいれば、退屈でうんざりしたと言う人もいるにちがいない。上映時間は2時間50分、一部と二部があって、とても長い映画である。しかし、私個人の感想を言えば、見ていて決して見飽きることもなく、ところどころで胸にジーンと滲みるような感激を覚え、とくに見終わったあとに心地よい余韻が残る映画であった。こうしたスロー・テンポの日本映画は、見る人が作品の世界に入り込めるかどうかが問題で、じっくりと腰を据えて見ないと作品の良さは味わえないのではないか。
 
 『ちいさこべ』は、山本周五郎の短編をもとに、田坂具隆が誠実にテーマと取り組み、いわば正攻法で映画化した作品である。環境の違う人々や階層の違う社会との関係について問題を投げかけながら、それに答える形で主人公の大工の茂次(錦之助)が人間的な成長を遂げていく過程を描いている。茂次が自分の道を進もうとすると、彼を取り巻く人々との間にさまざまな軋轢が起こる。それが人間社会の真相に目を向ける契機を与え、人間的な成長を促す。錦之助は茂次の微妙な心理の揺れ動きと推移を表現しながら、見事に変わっていく。時には苛立ち、不満を表し、時には満足し、喜びながら、頑固一徹だが徐々に周りの人々に感化され、自分の正しい生き方を自覚していく。そんな気難しいが賢明な主人公を錦之助は、力むことなく自然に演じている。これは、錦之助がこれまでの時代劇で演じたことのないような性格の主人公だった。
 
 あらすじを簡単に書いておこう。江戸で名高い大工職の家が江戸の大火事で全焼する。その時仕事で江戸を離れていた若棟梁の茂次(錦之助)は父と母を失い、無一物になるが、持ち前の自負心から他人の援助を拒み、頑なに実家の再興をめざす。だが焼け出された孤児たちのために無償の世話を続ける幼馴染のおりつ(江利チエミが良い)や、天涯孤独で寂しがり屋のやくざの利吉(中村賀津雄が熱演している)と接するうちに、世間という大きな存在を感じ、人は一人では生きられないことを悟り始める。豪商の離れを建てる仕事に打ち込んでいた茂次は、実家の再興ばかりを考えていた自分の生き方に疑問を感じ、孤児たちを引き取り、彼らのために家を建ててやる。そして、本当に家を必要としている人のために仕事をすることこそ、大工としての自分の使命であると感じ、困窮している町の人々のために長屋を建てることを決心する。

 この映画、確かに従来の東映時代劇とはかけ離れた作品で、チャンバラは一場面もない。アクションも皆無に近く、画面は全体的に暗い。そのなかでひと際明るくほほえましいシーンは、焼け跡の道端で下女のおりつが孤児たちと一緒にミュージカル仕立ての人形劇を演じるところ(この場面の江利チエミが実に良い)と、大工が建てた新しい家におりつと孤児たちが招き入れられ大喜びするところである。しかし、この二つの場面は、作品の基調が暗いだけに、人と人が寄り添いあって生きるぬくもりを感じさせ、いつまでも印象に残る。

 最後に、題名の「ちいさこべ」という言葉は、日本書紀にある話で、雄略天皇に仕えていたある家臣が、蚕の意味の「こ」と子供の「こ」を間違えて、蚕ではなくたくさんの子供を天皇に献上したため、大笑いされ、「小子部」(ちいさこべ)という姓を授けられ、集めた子供の養育を命じられたという話に由来するそうだ。映画の中でも、孤児たちのために作った部屋を「ちいさこべ」と名づけるときに、おゆう(桜町弘子が可憐だった)が茂次にその言葉の由来を説明していた。「ちいさこべ」とは今の幼稚園の起源だとも言われているらしい。(2019年2月8日一部改稿)



求道者、田坂具隆

2006-03-26 00:08:51 | 監督、スタッフ、共演者

 田坂具隆(ともたか)(1902年~1974年)の監督作品が私は好きだ。映画館で私が見た彼の映画は戦後の作品に限られ、その数も少ないが、田坂監督の名作はビデオで何度も繰り返し見ている。『陽のあたる坂道』(1958年) と『若い川の流れ』(1959年)は、すでに十数回は見ていると思う。どちらも田坂監督が日活で作った映画で、原作は石坂洋次郎の青春小説、出演は石原裕次郎、北原三枝、そして私の大好きな芦川いづみ。東映に移ってメガホンを取った映画では、『五番町夕霧楼』(1963年)と『湖の琴』(1966年)が好きだ。原作は水上勉で、主演は佐久間良子だった。ただし、この日活と東映の二作品どうしを比較してみると、私にはどうしても同じ監督が作った映画とは思えず、不思議な気持ちを味わう。テーマも作風もまったく違うからだ。一方は、明るく都会的な青春ドラマ、他方は、暗くて純日本的な恋愛悲劇である。原作が違うから当然だと言われるかもしれないが、同じ一人の監督が全く対照的な原作をこれほどまで素晴らしい映画作品に作り上げられるところがすごい。石原裕次郎の魅力も佐久間良子の美しさも、これらの作品の中では十二分に引き出されている。

 田坂監督が錦之助を主役に使った東映映画は5本あるが、そのうち山本周五郎の小説を映画化した作品が2本、『ちいさこべ』(1962年)と『冷飯とおさんとちゃん』(1965年)である。この二作はいわゆる世話物で、江戸の庶民の暮らしを描いた心暖まる話。前に挙げた日活作品とも東映作品とも違ったジャンルである。ほかに『親鸞』『続親鸞』『鮫』があるが、これまた違ったジャンルだと言える。これらの田坂作品で、錦之助はこれまでの時代劇では見せなかった人間的な側面を覗かせている。
 田坂監督には飽くなき求道者精神のようなものがある。戦前にも多くの作品を作り、山本有三原作の『路傍の石』(1938年)が有名だが、終戦直前に故郷の広島で被爆し、長い闘病生活を余儀なくされた。戦後は病弱だったため、決して多産な作家ではなかったが、一作一作精魂を込めて映画を作っていたように思う。内容もテーマも異なる題材をあえて取り上げ、しかもすべてを完璧とも言える名作に仕上げてしまう。その表現力の広さと深さは並大抵のものではなかった。映画作りへの情熱と執念も桁外れ。田坂具隆が巨匠と呼ばれるゆえんである。にもかかわらず、黒澤、小津、溝口の三監督に比べ、思いのほか一般的な評価が低いのが私は残念でならない。