錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『瞼の母』

2015-04-24 11:56:02 | 瞼の母・関の彌太ッペ
 加藤泰監督の映画『瞼の母』を見ていつも感服することは、ラストまでの持って行き方がなんてうまいんだろうということだ。それと、もちろん、あのラストがなんとも言えず素晴らしい。ラストまでの持って行き方、つまり、ドラマの運び方と映像的な構成がうまいからこそラストが引き立ち、これほどまで感動的な終わり方になったのだとも言える。しかし、その辺のことを述べると長くなるので、今回はラストに絞って書いてみたい。

 『瞼の母』のラストシーン。夜明け前。跳ね橋につながる川沿いの道。
 長谷川伸の原作戯曲では、戸田の渡しの近くになっているが、この映画では、お登世の許婚(伊勢屋の長二郎といい、河原崎長一郎が演じているが、原作にはない登場人物)のセリフにもあるように、三ノ輪から少し行ったところにしている。戸田の渡しというのは、荒川にあり、中仙道の板橋宿の先だから、料理茶屋「水熊」のある柳橋(神田川の下流で、隅田川と合流する手前)からは相当遠い。三ノ輪は下谷の先なので、隅田川に沿って数キロ北上したところだから、忠太郎の母おはまと妹お登世が駕篭でここまで追いかけてきたとしても、不自然ではない。
 また、ラストを橋のある場所にしたのは加藤泰の創意である。彼は橋が好きで、彼の映画には橋がよく出て来る。そして、あの跳ね橋(可動開閉式の橋)は、江戸時代に隅田川にかかっていたのではなく、架空のものだと思うが、あの橋がすごく良い雰囲気を出している。スタジオに作ったセットであるが、美術デザイナーの稲野実さんの労作だ。錦ちゃんも大変気に入っていたという(稲野さんから聞いた話)。

 さて、忠太郎が、橋の前後で待ち伏せしていた連中を斬り倒したあと、追いかけて来た母と妹(その許婚もいる)を見て、木陰に身を潜める。ここから、エンドマークが出るまでの約5分間が見どころである。
 提灯を持って先頭を行く許婚(河原崎長一郎)が「忠太郎さん!」と呼ぶ。妹のお登世(大川恵子)も「にいさん!にいさん!」と声を上げる。
 駕籠から降りた母おはま(木暮実千代)が、「縁がないってものは、こんなものなのかね。わたしが悪かったよ。わたしが悪かった」
お登世「なんだかこのあたりに忠太郎にいさんが居るような気がする」
おはま「忠太郎!忠太郎!」。
 そう呼ぶのを聞いて、忠太郎は感極まり、合羽で顔を覆い、「おっかさん……、妹……」とつぶやき、涙を流す(錦ちゃんのバストショット)。これは嬉し涙である。冷たくあしらわれ追い返されとき、自分を愛していないと思った母親が今、心を込めて自分の名を呼んでいる。初めて会った妹も可憐で、なんと思いやりのある娘なのか。妹の許婚も気の優しい男のようだ。
 だが、忠太郎は飛び出していきたい気持ちを抑え、ぐっと堪える。暖かい家族の輪に加わりたいが、やくざで人殺しの自分にはできない。今の忠太郎はこれをはっきり自覚している。忠太郎はまた涙を流す(錦ちゃんのアップ)。これは悔しさと悲しみの涙である。
 母と妹と許婚があきらめて去っていく。
 木陰から飛び出そうと立ち上がる忠太郎。が、踏みとどまって、三人を見送る。
 ここで忠太郎の特大アップ。やや仰角で錦之助の左顔方向の眉から口元までが映し出される。頭も顎も切れている。加藤泰はここそとばかり、忠太郎の万感胸に迫る思いをこのクロースショットで表わし、見る者を引っ張り込む。忠太郎は母たちをじっと見送ると目を上げ、瞼を固く閉じる。頬に伝わる涙。錦之助最高の感情表現の演技(いや、演技を越えた迫真の表情と言うべきか)であり、加藤泰監督の会心のカットである。この特大アップに、この映画のすべてが凝縮されている、と私は思う。
 忠太郎の見た目で三人が去っていくショットをはさみ、最後にロングショットで橋を渡って行く忠太郎の姿をシルエットで映す。木下忠司のテーマ曲が高鳴り、左下にエンドマーク。

 蛇足だが、忠太郎はこのあと、どのように生きていくのか?
 忠太郎に橋を渡らせたということは、別世界への旅立ちを暗示している。ただ、この別世界がどういうものなのかは不明である。旅人やくざを続けるのか、どこかに腰を落ち着けて真人間になるのか。この映画は、何も示唆せずに終わっている。人生そんなもので、将来何が起こるかは神のみぞ知る、誰にもわからない。そういう終わり方もまた良いのだと思う。


長谷川伸三部作

2013-09-08 18:35:42 | 瞼の母・関の彌太ッペ
 土日に新文芸坐へ行って、『瞼の母』『関の彌太ッペ』『沓掛時次郎 遊侠一匹』を観て来た。
 三作とも何度も見ている映画であるが、見るたびに感動を新たにするから不思議だ。錦之助の演じる旅人(たびにん)やくざの心の暖かさ、人を思う一途な気持ちに胸を打たれるのと同時に、三作とも見終わってなんとも言えない寂しさを感じる。やくざ者であるがゆえに、はかない夢も破れ、忠太郎も弥太ッペも時次郎も孤独のまま、遠くへと立ち去っていく。その寂寥感に胸を締め付けられる。とくに『沓掛時次郎 遊侠一匹』は、錦之助がこのあとすぐ東映を去っていくという悲しい現実と重ね合わせると、ラストシーンの寂しさが一層募ってくる。
 見終わってそういった寂しさは感じるものの、やはりいい映画だったなと感動するから、何度も見るわけだ。

 『瞼の母』(昭和36年12月製作 昭和37年1月公開)と『沓掛時次郎 遊侠一匹』(昭和41年4月公開)は、同じ加藤泰監督作品である。そして、この二作の間には4年以上の歳月が流れている。山下耕作監督の『関の彌太ッペ』が封切られたのは、昭和38年11月20日、錦之助の31歳の誕生日である。『瞼の母』は錦之助が29歳、『沓掛時次郎』は33歳の時の作品だが、今思うと錦之助という役者はなんと成熟していたのかと思う。いや、若くして老成していると言った方が適切かもしれない。スクリーンの中の錦之助を見ていると、今の30歳前後の俳優が未熟に見えて仕方がない。
 映画監督もそうである。加藤泰は大正5年生まれだが、彼が『瞼の母』を作ったのは45歳の時である。山下耕作は昭和5年生まれで、『関の彌太ッペ』を作ったのは33歳で、新進監督時代である。小津安二郎に触れるまでもなく、映画監督の成熟度も現代とは雲泥の差があるような気がしてならない。
 近頃私は、人間と文化の成熟ということを考えるようになったが、昭和30年代の日本人と日本文化に比べ、平成の今の日本人と日本文化は未熟で稚拙にしか思えない。この50年簡、日本人と日本文化に成長発展があったのだろうか。不毛だった気がしてならない。
 最近の日本映画を見ても私は感動することがまったくない。洋画も同じだ。50年前の名作を見れば今でも感動し、充実した時間を過ごせるから、結局古いものに帰ってしまう。
 昭和25年から昭和50年までの25年間と平成になってからの25年間を比べれば、製作された映画の本数は激減したが、果たして平成時代に何度も見たいような映画が作られたのだろうか。
 昭和30年代の現代劇の名作映画は、あの頃の時代背景や風俗を反映していることもあって、今見ると古さを感じるが、時代劇の名作はかえって古さを感じないように思う。
 長谷川伸三部作に限らず、錦之助主演の時代劇が、今後も上映され、若い人たちが見て、その感動を後世に伝えていくようになることを私は切に望んでいる。


『関の彌太ッペ』(その3)

2006-05-25 20:15:09 | 瞼の母・関の彌太ッペ
 映画『関の彌太ッペ』は、「瞼の母」ならず、いわば「瞼の妹」だった。映画の弥太郎は、小さい頃両親に死なれ、たった一人の身内の妹とも生き別れたという設定になっていた。弥太郎は妹に会いたい一心で、股旅を続けている。胴巻きに入れ大切に持っている五十両の金も妹に上げるためだし、妹が田舎町の女郎屋で働いているという情報を得たため、弥太郎は心を弾ませ会いに行く。その途中で、お小夜という女の子に会って、川に落ちて溺れるところを救うのだが(ここも原作にはない)、小さい女の子を見ると、妹を思い出すという弥太郎の心理描写はすべて映画のシナリオで付け加えたことだった。女郎屋を探しあて、同輩の女郎から妹の死を聞く場面も映画上の創作。墓参りも同じ。
 映画では、妹が死んだことを知って、絶望した弥太郎がすさんだ生き方をするようになるのだが、原作にはそうした重大な転機はない。弥太郎がずっと刃の中をくぐってきたので、七年経ってお小夜に再会する時には顔つきが変わってしまったというだけである。
 これは、私の正直な感想だが、弥太郎に妹への思慕の念を抱かせたのは、成功だった。この主人公の性格に奥行きを与え、観客が共感できる愛すべき人物に変えた大きな要因になったと思う。ストーリーは複雑になるが、お小夜に対する弥太郎の思い入れも行動も理由付けがはっきりしたからだ。原作はその点、あいまいであり、弥太郎という人物も単純だった。原作を読んでから、映画のシーンを思い浮かべてみると、映画は妹への思慕をしつこいほど描写しているのが分かる。後半、弥太郎がお小夜の様子を見に行く前に、お茶屋で病気になり、女の子を可愛がる場面を挿入したのも、くどいほどだった。成澤昌茂は、非常に論理的で緻密なシナリオ構成をする脚本家であるが、ある意味懲りすぎるきらいもあるかもしれない。

 映画で箱田の森介を演じた木村功を私は高く買っている。このことは前に述べた。が、原作を読むと、森介の性格付けがずいぶん違うことが分かる。原作の森介は、短慮で一途だが、物分りは良く、さっぱりとした性格のやくざである。それに対し、映画の森介は屈折した、何か複雑な心理を持った人物になっていた。また、映画では森介が登場する場面を増やし、森介のためにわざと筋書きを変えている。お小夜の父親の和助を斬るのも森介であるし、お小夜に持たせた五十両入りの胴巻きを持ち逃げするのも森介である。原作では、和助は、弥太郎と争っている時に手傷を負い、娘を頼むといって、自殺同然、川に身投げする。つまり、森介は、和助・お小夜の父娘が登場する最初の場面には出てこない。映画では、弥太郎が森介を追いかけて、金を奪い戻し、井戸端で兄弟分の契りをする。そして、沢井屋へ引き返し、五両引いた残りの四十五両を黙って、窓辺に置いて、去っていくが、ここももちろん原作にはない。原作は簡単で、弥太郎が沢井屋にお小夜を連れて行った時に、五十両を無理矢理預けて終わりである。花の咲き乱れた垣根越しに弥太郎がお小夜を眺めるシーンは、映画だけのものだった。

 さて、原作で森介が出てくるのは、弥太郎がお小夜を沢井屋に預けて七年が経ってからである。ばくち場での喧嘩がもとで、弥太郎と勝負を決しようとして、森介が登場する。二人で果し合いをやる場面が第二幕になるが、笹川の繁蔵が仲裁に入って、二人の仲をまとめ、ここで、兄弟分になる。映画は、豪雨の中、竹林でやくざの乱闘シーンがあり、敵味方に分かれていた弥太郎と森介と再会する。ただし、料理屋で、旅回りの親分才兵衛(月形龍之介)から沢井屋のことを二人が聞くくだりは、原作も映画も同じ。
 原作はそこから第三幕になり、再び沢井屋の場面となる。森介が沢井屋へ乗り込んでからの展開は、映画も原作に忠実だった。森介がお小夜に一目惚れし、とんだ厄介者になっているのを、弥太郎が知って、森介を連れ去ろうとする場面まではほぼ同じ。映画では、弥太郎が森介を裏山へ連れて行き、誰も見ていない所で斬り殺すが、原作でも森介が弥太郎と争う場面があるが、これはお小夜の前だった。お小夜が森介をかばい、弥太郎に大恩人だから斬らないでくれと懇願する。それを聞いて、原作では思い余って弥太郎が本当のことをお小夜に打ち明ける。森介はそれを聞いて反省し、お小夜からきっぱり手を引く。
 映画では、あの有名なセリフ「この娑婆にゃー、つれえーこと、悲しいことがたくさんある。だが忘れるこった。忘れて日が暮れりゃー明日になる…」があり、そのセリフを聞いて、お小夜が弥太郎だと気づく。このセリフ、実は成澤昌茂の創作だった。長谷川伸のセリフではないので、注意しておきたい。弥太郎が恩人だったとお小夜が知るに至るまでの話の持って行き方は、映画の方がずっと良い。映画の方がいつまでも印象に残ると思う。

 原作では、そのあと、弥太郎がやくざの追っ手と斬りあいをするが、森介が助太刀する。これが雨の中。やくざをみな(三人だが)叩き斬って、弥太郎と森介は、やくざの脱ぎ捨てた雨合羽を一緒に羽織って、旅に出る。二人を見送るお小夜初め沢井屋の面々。ここで舞台は幕になる。
 映画は、黙って去って行った弥太郎をお小夜が追いかける。「旅人さん」と大声で呼びながら探し回る小夜を、橋げたの陰でじっと見守っている弥太郎。そして、暮六つの鐘の響く中、やくざと果し合いの場所へ向かう弥太郎の後姿。笠をほうり投げ、進んでいく。実に印象的で胸を打つ映画のラスト・シーンだった。

 草葉の陰で原作者の長谷川伸がどう思っているかは知らないが、結論的に言えば、映画『関の彌太ッペ』は、原作を見事に映像化し、原作を上回る作品だった。筋立ても登場人物もやや単純に感じられる戯曲「関の弥太ッペ」を、映画は深め、しかも美しく表現していたと思う。


『関の彌太ッペ』(その2)

2006-05-25 17:03:52 | 瞼の母・関の彌太ッペ

<晩年の長谷川伸>
 小石川図書館へ行って、長谷川伸全集を二巻借りてきた。第十一巻の随筆集と第十五巻の戯曲集である。現在この二冊のあちこちを拾い読みしている。随筆集がとくに面白い。戯曲の主人公のモデルの話、舞台化のいきさつなど、いろいろな制作裏話や楽屋噺が飄々とした文章で正直に書いてある。戯曲集は股旅物の短編を集めたもので、もちろんこの中には「瞼の母」「関の弥太っぺ」「沓掛時次郎」が入っている。『瞼の母』は先日違う本で読み、錦之助の映画とも比較したので、今度は「関の弥太っぺ」と「沓掛時次郎」を読むことが目的だった。どちらも長い戯曲ではないが、映画の情景や登場人物のセリフを思い出しながら読んだので、意外と時間がかかった。映画『瞼の母』は、登場人物の性格やセリフが原作に忠実だったが、「関の弥太っぺ」と「沓掛時次郎」は、映画が原作とずいぶん違っていることを知り、驚いた。こんなに変えてよいものなのか、原作者の長谷川伸が生きていたら怒るだろうな、とも思った。ある随筆に長谷川伸自身がこんなことを書いている。
 「私の場合では私の小説の映画化などどうでもいい、戯曲の映画化はそれと違って大いに興味がもてる。しかし、それも監督と出演俳優によることで、ハイ来たハイと承諾する訳ではない、(中略)監督が戯曲殺しをやったらその次には断然お断りの手を用ゆる。戯曲は小説よりもはるかに銀幕劇に近接したものだから、それこれ同じことに考える監督なら背中を向けることが私の立場では正当だと考えている。」(「銀幕劇と感覚緩和」昭和11年9月)
 要するに、自分の戯曲を映画化する際には、小説とは違って、慎重かつ入念にやってもらいたい、自分の戯曲を好き勝手に変えるような映画監督は断固拒否する、という長谷川伸の意志表明なのである。この一節を読んで、映画『関の彌太ッペ』と『遊侠一匹 沓掛時次郎』は、原作者の言う「戯曲殺し」なのではないか、とくに、『関の彌太ッペ』は原作を好き勝手に変えすぎているように感じた。脚色というよりむしろ翻案、ないしは、古い言葉だが換骨奪胎と呼ぶべきものだと感じた。シナリオ作家の成沢昌茂と監督の山下耕作が映画『関の彌太ッペ』の製作に取り掛かったのは昭和38年の夏以降で、ちょうどこの年の6月に長谷川伸は亡くなっている。彼らがシナリオを原案の段階で長谷川自身に話して許可を得たかどうかは分からない。
 もちろん、原作と違うからといって、映画『関の彌太ッペ』の評価が下がることはないと思うし、この映画がこれまで多くの人に感動を与え、また今後も与え続けることは確かであろう。私もこの映画が大好きなので、ただ原作と比較してみたいという好奇心を起こしたまでの話である。私は自称映画青年(映画中年?)であると同時に、文学青年(?)であるので、文学青年としての良心がうずいたと思っていただきたい。長谷川伸といえば、山手樹一郎、村上元三、山岡荘八の師匠であり、池波正太郎からみれば大師匠にあたる作家である。しかも映画の原作が戯曲だとすれば、長谷川自身の言葉を借りるまでもなく、場面設定や登場人物の性格そしてセリフの重要性はないがしろにできないものだと思う。
 原作を読んで、まず驚いたことが二つあった。それは、原作には弥太郎の妹のことがまったく出てこないこと、そして、箱田の森介に関わる部分が非常に違うことだった。つまり、映画で重要だった妹への思慕というテーマは原作には影も形もなく、弥太郎と森介のやくざ者同士の仁義と友情が原作のテーマだったことである。話の大筋は同じだとしても、映画はストーリーを複雑にし、ずいぶん尾ひれを付けたうえ、テーマまで改変していると思った。映画では、箱田の森介が弥太郎の手にかかって死ぬが、原作で森介は死なない。森介は改心して弥太郎と仲良く旅に出るところで終わるのだ。(つづく)

『関の彌太ッペ』(その1)

2006-05-11 04:33:16 | 瞼の母・関の彌太ッペ
 『関の彌太ッペ』は、やくざの関の弥太郎(通称・弥太っぺ)が、旅の途中で、川岸に咲き誇った花を摘んでいる十歳くらいの女の子に出会うところから始まる。この子が川に落ちたところを弥太郎が救う。父親(大坂志郎)と二人旅だった。この父親、実はゴマのハイで、弥太郎は生き別れた妹に上げようと持っていた胴巻きの金五十両を盗まれてしまう。父親がやくざの森介(木村功)に斬られ、今わの際の頼みを弥太郎は聞く。娘を親類の家まで送り届けてくれと言うのだ。母親はすでに無く、ててなし子になってしまったお小夜を弥太郎は母方の親類の家へ連れて行く。そこは沢井屋という旅籠屋であった。年老いた女主人(夏川静江)と息子夫婦が応対する。子のない嫁(鳳八千代)の勧めもあって、なんとか家に置いてくれることを引き受けてもらい、喜ぶ弥太郎。外に出ていたお小夜を迎いに来る沢井屋の嫁。二人の姿を弥太郎は夜陰でそっと見る。
 その数日後、お小夜の父親を斬って弥太郎の金を持ち逃げした箱田の森介(木村功)を探し当て、弥太郎は胴巻きの五十両を取り戻す。森介と意気投合し、兄弟分の契りを交わす。そしてまた弥太郎は旅籠屋へ引き返す。ここからの場面は前半のハイライト、私の大好きな場面でもあるので、小説風に綴ってみよう。

 弥太郎が沢井屋の庭の垣根越しに可愛いお小夜の姿を見たのは、四十五両の金を届けに行った日であった。垣根の植木には薄紫色のむくげの花が咲き誇っていた。障子を開け放った部屋の中でお小夜は年老いた女主人に美しい着物を着せてもらっている。平和で幸せそうな情景。弥太郎はほっとして、花の香りを漂わせた空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
 これなら安心して旅に出られる。お小夜はきっと幸せになれるだろう。そう思うと弥太郎は、誰にも会わずに、金だけ置いてこの場を立ち去ろうと思った。弥太郎は薄紫の花の付いた枝を一本折ると、勝手口の方へ回った。小窓がちょうど開いていて、竹格子の間には手の入る隙間があった。弥太郎は花の付いた枝を金の入った胴巻きに生けるように差し込むと、それを小窓の内側の桟の上に置いた。
 その時、女主人が来て花に気がつき、丸めた胴巻きを手にすると、驚いた表情を見せた。弥太郎はまた庭の垣根の方へ回った。部屋の中で大騒ぎが始まるのが見えた。息子の嫁が胴巻きを受け取って、驚いた声を上げた。
 これで約束は果たした。お小夜は肩身の狭い思いをせずに、育ててもらえるだろう。弥太郎は自分のしたことに感動し、晴れ晴れとした気持ちになった。
 『関の彌太ッペ』で、弥太郎が最も幸福を感じる場面である。

 お小夜を沢井屋に預けた後、弥太郎は旅を続け、妹が働いていると聞いた女郎屋を訪れる。そして、妹と仲良くしていた女郎(岩崎加根子)から話を聞く。が、妹は労咳に罹り、すでに死んでいた。弥太郎は失意の底に落ちる。盛り土をしただけの妹の墓に参り、途方に暮れる弥太郎。これからオレはどう生きていけばいいのか。
 
 それから十年の歳月が流れる。雨の激しく降る日、とある飯屋で酒をあおるように飲んでいるやくざがいた。それは、変わり果てた弥太郎、一人殺すのに一両で請け負う、魂の抜け殻のようになった弥太郎であった。
 ここから後半が始まる。錦之助は前半で演じた明るい弥太郎とは打って変わり、まったく別人のようになった弥太郎を演じる。陰惨で心のすさんだ弥太郎を、である。
 雨の中、竹林でのやぐざの喧嘩。このすさまじい斬り合いの中で、助っ人を頼まれた弥太郎は、相手方に箱田の森介と昔馴染みの旅人(月形龍之介)がいるのに気づく。喧嘩を切り上げ、一献を酌み交わす三人。その時この旅人からお小夜の様子と沢井屋の女主人が十年前の恩人を探しているという話を聞く。弥太郎は黙っていたが、暗闇のような心に明かりがさす。そして、お小夜を一目見たくなって、再び沢井屋を訪ねに行くのだ。

 ここから、やくざの森介が悪役に転じる。私は木村巧の演じた森介の姿が目に焼きついて離れない。十年前の恩人に成りすまし、金をせびろうと、沢井屋を訪れる。だが、美しいお小夜(十朱幸代)に一目惚れしてしまい、沢井屋に居続けて、とんだ厄介者になってしまうのだ。森介が私は憎めない。彼の行動を見て、私は堪らない切なさを感じる。身の程知らないとはいえ、森介もかわいそうな孤独なやくざだった。最後は、弥太郎に斬られて殺されてしまうが、木村功の表情、演技とも心に残るものだった。錦之助と木村巧は、『宮本武蔵』でも共演しているが、私は『関の彌太ッペ』で木村功が演じた箱田の森介は絶品だと思っている。錦之助に勝る(!)とも劣らない名演だったと思う。
 大きくなったお小夜を演じた十朱幸代はこの当時二十歳。可愛いが、ややこまっしゃくれた所があり、この役はどうだっただろうか。私はむしろ子役を演じた女の子の方を好む。

 「この娑婆にゃー悲しいこと、つれえーことがたくさんある。だが忘れるこった。忘れて日が暮れりゃー明日になる」
 この文句、弥太郎がお小夜に言い残した言葉だが、最後にまた、垣根に咲いているむくげの花の陰で、弥太郎が独り言のようにつぶやく。
 忘れもしない!お小夜ははたと気がつく。
 この人こそ、あの旅人さんだったと…。