錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『日本侠客伝』(その2)

2006-10-30 23:37:50 | 日本侠客伝・最後の博徒
 『日本侠客伝』は、監督のマキノ雅弘にとっても、主演の高倉健にとっても、特別出演の錦之助にとっても、ターニング・ポイントになった映画である。大袈裟に言えば、この映画によって三人のその後の映画人生が大きく変わってしまった。
 マキノ雅弘の著書『映画渡世・地の巻』を読まれた方はご存知かと思うが、この映画はもともと企画段階では錦之助が主演する予定だった。ところが、錦之助が主演していた前作『鮫』(田坂具隆監督)のクランクアップが大幅に遅れたために、『日本侠客伝』の撮影スケジュールがずれ、錦之助の歌舞伎座公演(中村時蔵追善公演)と重なることになってしまった。そこで急遽脚本を書き直し、主役には錦之助の推薦もあって高倉健を使い、錦之助は助演にまわることになった。錦之助の撮影日数はわずか4日で、公演が終わってからもう1日だけ撮影に付き合ってもらい、映画を完成したのだという。結局この映画の後、あれだけ仲の良かったマキノ雅弘と錦之助は喧嘩別れすることになってしまった。
 また、高倉健はこの映画で自分の進むべき道を見出したようである。マキノ監督も錦之助と袂を分かった後は、高倉健を主役に据え『日本侠客伝』や『昭和残侠伝』のシリーズ作を精力的に撮り続けていくことになる。そして、高倉健はその間『網走番外地』のヒットシリーズにも恵まれ、一躍東映映画の金看板にのし上がっていく。藤純子もその後東映の最後の女優スターに成長していくことはご承知の通りである。
 一方錦之助は、任侠路線よりも芸術的な時代劇にこだわったため、東映での居場所がなくなっていき、この映画の上映後二年も経たずしてついに東映を離れることになる。それからは苦難の道を歩むわけだが、やはり錦之助は東映の映画の方がぴったり来る。東宝なんかの時代劇より、東映の任侠映画の方に出演した方がずっとサマになっていたと思うのだが…、これも後の祭りだった。
 『日本侠客伝』を観て私はいつも思うのだが、錦之助の着流しのやくざ姿は本当にカッコ良い。もちろん、演技も最高である。カツラをかぶらない明治・大正期のやくざを演じた錦之助にも私はたまらない魅力を感じるのだ。だから、錦之助が東映を辞めずにもっと任侠映画にも出演していたらどんなに素晴らしい映画が生まれたことだろう、と残念に思わざるをえない。
 
 最後に、『日本侠客伝』の製作スタッフや助演者のことを付け加えおこう。プロデューサーは俊藤浩滋(藤純子の父親)と日下部五朗で、東映の任侠路線と実録やくざ映画を推進する立役者になった二人。脚本は、笠原和夫、野上龍雄、村尾昭。この三人もこの映画の後任侠やくざ映画の脚本を書きまくった作家たちである。撮影は大ベテラン三木滋人、美術が鈴木孝俊、音楽は斉藤一郎。助演者はすでに挙げた俳優のほかに、田村高廣、松方弘樹、大木実、ミヤコ蝶々、南都雄二、藤間紫、伊井友三郎、品川隆二、安部徹、天津敏だった。田村高廣は、『花と龍』の方が役柄も重要で、引き立っていたが、この映画でも印象に残る演技をしていた。松方弘樹も熱演していた。大木実は高倉健の弟分でこの映画では良い役だった。品川隆二は男気のある沖山組の代貸しで、組のあくどいやり方に悩む複雑な役柄だったが、好演していた。



『日本侠客伝』(その1)

2006-10-30 22:43:17 | 日本侠客伝・最後の博徒

 マキノ雅弘の手にかかると、やくざ映画も恋愛映画になってしまう。そこがマキノ作品の良さでもあるが、時代劇や任侠映画のファンの中にはそれを嫌う人も多い。カッコ良いヒーローは、硬派でなければならず、女に恋心を寄せたり、女に未練がましい態度をとることは好ましくないというわけだ。そこで、マキノ監督の思い入れたっぷりな男女の描写を長ったらしく感じるのだろう。アクションや立ち回りが好きな映画ファンは、どうも彼の映画を甘ったるく感じるようだ。その気持ちも私は分からないわけではない。マキノ雅弘は、良く言えば、フェミニスト、悪く言えば、軟派である。だからかどうかは知らないが、とりわけ女優の演技指導は熱心で、自ら実演し手取り足取り教えていたそうだ。確かにマキノ監督の映画は、女優の扱い方が巧みである。私は硬派のチャンバラ時代劇も好きだが、恋愛映画も大好きなので、マキノ監督が描く男と女のしっとりとした場面も好きで、いつも感心して観ている。錦之助の出演作で言えば『遠州森の石松』も『弥太郎笠』も本質的には恋愛映画で、錦之助と丘さとみの二人のシーンが(といってもキス一つない)実に印象的で目に焼きついている。この二作はどちらも明るい純愛ストーリーだった。
 『日本侠客伝』(1964年)は、時代劇ではなく、60年代後半に大流行する東映任侠路線のはしりとも言うべき作品で、後にシリーズ化するその第一作だった。が、やはりマキノ監督ならではの恋愛色の濃い映画だった。ただ、男と女の情愛がぐっと深まった作品で、錦之助と三田佳子が夫婦になって絶妙の共演をしている。
 ストーリーは、昔気質のやくざの木場政組と新興勢力のあこぎな沖山組との争いで、任侠映画のパターン通りの筋書きである。が、この映画には、男女のカップルが三組も出て来る。しかも、このカップルはどれも違った男女関係なのである。
 まず、木場政組の長吉(高倉健)とおふみ(藤純子)は許婚で相思相愛の仲。健さんが五年間の兵役を終えて帰ってくるまで、健気にずっと待っていたのが藤純子で、清純な二十歳そこそこの生娘役。
 次に、錦之助が扮する清治は木場政組の客分で、どこかの親分の女だったお咲(三田佳子)と駆け落ちして一緒になったという設定。逃げてきた二人をかくまい、丸くおさめたのが木場政の親分だった。それから木場政組の客分になっていたのだが、女房の三田佳子は、二人でタバコ屋でもやりながら平穏に暮らしたいと願っている。二人の間には五歳の娘がいる。しかし、親分が病死した後、錦之助は木場政組のため一肌脱いで命を懸けることになる。
 三組目が、木場政組の身内・赤電車の鉄(長門裕之)と辰巳芸者の粂次(南田洋子)である。長門と南田は日活時代大恋愛して、本当に夫婦になっただけあって、息もぴったり。監督が長門の叔父のマキノ雅弘と来れば、ツーカーの間柄でもある。(この映画には長門の弟の津川雅彦もチンピラ役で出演している。)芸者の南田は幼馴染の健さんにぞっこん惚れていて、最初は長門の片思いだったが、長門の男気と情にほだされて、南田が好きになるといった関係である。
 つまり、一つの映画の中に、三組の男女が現れ、それぞれの心の通い合いがストーリーの上で大きなウエイトを占めている。そんなやくざ映画も珍しいが、この映画を観て感心するのは、これらの男女の情愛の描き方が実にきめ細やかなことである。まさにマキノ雅弘一流の芸当だと言ってよい。

 私はこの映画を映画館で二度、ビデオでは10回以上観ているが、何度観ても、胸にじーんと来る。とくに、長門裕之が惚れた南田洋子のために尽くすだけ尽くして、南田の心を射止めた直後に闇討ちに合い、錦之助の腕の中で死んでいく場面は、可哀想で見ていられない。それと、錦之助が単身殴り込みをかける決意をして、うらぶれた家の部屋で恋女房の三田佳子と幼い娘と別れる場面は目頭が熱くなる。錦之助の憂いのある表情がなんとも言えず、胸がかきむしられる。錦之助と三田佳子の共演は他にもあるが(『鮫』と『冷飯とおさんとちゃん』)、この映画で錦之助の相手役を務めた三田佳子は素晴らしく、いちばん好きである。また、幼い娘役に、藤山寛美の娘で子役時代の藤山直美が出て名演をしているが、錦之助に強く抱きしめられて、「痛いよぉ」と言いながら、錦之助の涙を小さな手で拭う場面は、見ていてこっちまで涙が流れる。
 高倉健と藤純子のことにも触れておこう。この二人は『日本侠客伝』で初めて共演し、恋人役を演じることになったのだが、まったく違和感を覚えなかった。二人の共演はその後何作あったか数え切れないほど多いが、健さんの相手役にはやはり藤純子が最適だったと思う。藤純子もまだ東映映画でデヴューして(昭和38年6月)、一年余りにすぎなかったのに、マキノ雅弘の秘蔵っ子として鍛えられただけあって、演技もしっかりしていた。高倉健は当時33歳、まだ若いがきりっとしていて、役の上でも先輩スター錦之助を立てていた。錦之助が沖山組へ殴り込みに行ったことを知り、身柄を引き取りに乗り込むところは凄みがあって圧巻だった。(つづく)



『悲恋 おかる勘平』(その2)

2006-10-23 06:09:02 | 悲恋物
 この映画の欠陥は、夫婦が仲を引き裂かれる話にしては、その愛の描き方が弱かったことにあったと思う。これは、錦之助が悪いのではなく、脚本と演出の責任なのだが、主役の勘平という男がイジイジしていて私にはどうも理解できなかった。また、共感も持てなかった。汚名返上と亡き主君への報恩のことばかり考えているようで、夫婦になってからは、お軽を大して愛していない感じさえ受けた。
 それに、勘平が立派な侍かというとそうでもなかった。たとえば、主君の石碑建立のための寄付金の話を浅野家の同輩・神崎与五郎(片岡栄二郎)から持ちかけられると、自分の金もないくせに安請け合いしてしまう。家に帰って義父に金を工面してくれないかと懇願する。貧乏な百姓であることが分かっているのに、なんとも情けない男なのだ。結局自分で金を稼ごうと考えて、山へイノシシを狩りに行き、夜中に間違って人を撃ち殺してしまう。しかも殺した人の懐に大金の入った財布があるのを発見するとそれを黙って奪い取り、寄付金として原郷右衛門のところへ持って行く。その後、勘平は撃ち殺した人が義父だと思い違いして、切腹するのだが、観ている側はそれも自業自得のような気がしてしまう。あまり可哀想だとは思えないのである。
 勘平に比べ、お軽の方が一途で、夫に尽くすひたむきな気持ちはずっと共感できると私は感じた。夫に何とか金を工面してやろうと、父母と相談し、泣く泣く祇園の遊女に身を売る決心をするのだから、偉い妻だった。千原しのぶのお軽はあわれで、なかなか良かった。

 
<勘平(錦之助)とお軽(千原しのぶ)>
 この映画は、観ていて、ウソっぽさが目に付いてならなかった。話の展開も登場人物も不可解で、首をかしげたくなる点が多すぎたと思う。以下、気になったところを挙げておく。
(一)勘平とお軽が御台(瑤泉院)の屋敷の庭先で同輩の手によって打ち首なりかかるところがある。まずここが疑問だった。内匠頭が殿中で刃傷に及んだ時、勘平が持ち場をはずし、木陰でお軽とひそひそ話をしていたことが不忠不義の理由だったが、それが打ち首にされるほどの大罪なのだろうか?しかも、内匠頭が切腹したすぐあとに、屋敷内で二人を打ち首にしようとするのもあり得ないことだと思った。
(二)勘平の父と母はまったく話に出てこないが、早野家というのはどういう家柄なのか?追放後、婿養子みたいにお軽の貧しい実家に入って、勘平が猟師になっているのも不思議だった。
(三)寺坂平左衛門(加賀邦男)という侍が出て来るが、これがお軽の兄ということなのだが、山崎にいるお軽の父母とはどういう関係なのか、その息子なのかまったく不明。
(四)大野定九郎という不良の赤穂浪人(元家老の息子という設定)が何度も出て来るのだが、この人物の性格付けが出来ていなかった。山道でお軽の父・与市兵衛を殺して金を奪い取るほどの極悪人なのだが、芝居の悪役ならともかく、映画の登場人物としては描ききれていなかった。
(五)勘平切腹の場面で、神崎与五郎が与市兵衛の遺体の布団をめくって、鉄砲傷ではなく刀傷だと言うところあるが、ここなど非常にわざとらしかった。
(六)また、原郷右衛門(原健策)がなぜ懐に連判状を持っているのか、またなぜこんな大切なものを持ち歩いているのかが分からなかった。いまわの際に勘平に血判を押させてやるのだが、早野勘平の名前がすでに書いてあるのも奇妙だった。
(七)お軽が祇園の大夫になって、結局大石内蔵助から身請けされるのだが、大石とお軽はいったいどういう関係なのか、この点も疑問だった。また、内蔵助役にわざわざ中村時蔵を引っ張り出す必要もなかったと思う。一力茶屋のシーンなど、時蔵の芝居っぽい演技とセリフは、まったく映画には不向きだった。
(八)一力茶屋での内蔵助の弁解がましい言葉も無意味だったし、なぜ内蔵助がお軽に勘平の切腹死を伝えたのかがどうしても理解できなかった。これでは、せっかくのラストシーンがぶちこわしではないか。
 内蔵助に身請けされたお軽は御台(瑤泉院)の屋敷に戻る。そして、そこで仇討成功の知らせを聞く。そのとき、連判状に勘平の名と血判があるのを見て、お軽は泣いて喜ぶ。仇討に使われた遺品の槍を抱き、夫の最後の晴れ姿を空想する。このラストシーンは、大変素晴らしかったと思うのだが、討ち入り前に勘平が切腹したことをお軽が知らないという設定にしたほうが絶対に良かったし、感銘深かったはずである。
 この映画はもう二度とリメイクすることはないだろうが、以上の点に留意して脚本を書き直せば、ずっと良い映画が出来るにちがいない、と私は勝手に思っている…。




『悲恋 おかる勘平』(その1)

2006-10-23 06:04:13 | 悲恋物
 歌舞伎や文楽の『仮名手本忠臣蔵』は、ご存知のように、史実の赤穂事件をモデルにしているが、時代設定もストーリーも登場人物も変更している。時代は足利期に変え、浅野内匠頭は塩冶判官(えんやはんがん)、吉良上野介は高師直(こうのもろのお)、大石内蔵助は大星由良之助に改名するといった具合である。だから、講談や小説や映画の『忠臣蔵』や『赤穂浪士』とは似て非なる話だと言ってよい。お軽と勘平が登場するのは、もちろん歌舞伎や文楽の方で、この二人はフィクションのヒーロー・ヒロインである。
 私は、映画やテレビの『忠臣蔵』は昔から最近に至るまでいろいろな作品を観ているが、歌舞伎や文楽の『仮名手本忠臣蔵』の舞台は若い頃に二、三度観たきりで、記憶もあいまいである。とくに、勘平やお軽が登場するくだりはうろ覚えに近い。(私が観たお軽は坂東玉三郎だったような気がするが…。勘平は誰だったか?)そこで、今回は歌舞伎のガイドブックを調べ、そこから得た知識を参考にしながら書かせていただく。


<お軽(中村福助)と勘平(中村勘九郎)>
 歌舞伎の話でいうと、早野勘平は判官の近習であり、お軽は腰元だったが、刃傷事件が起こった際、城外で逢瀬を楽しんでいたため、不忠不義の罪に問われ、追放の身になってしまう。そこで二人は京都郊外山崎にあるお軽の実家へ落ち延びて、人目を忍ぶ暮らしをする。ここから先が、『仮名手本忠臣蔵』では有名な五段目「山崎街道」と六段目「勘平住家」である。
 五段目は、勘平が同輩の千崎弥五郎に偶然出会い、仇討の仲間に入れてもらうため、資金調達を約束するところから始まる。お軽の父・与市兵衛が娘を祇園に身売りした金を持ち帰り夜道を歩いていると、山賊まがいの斧定九郎に襲われ、殺されて金を奪われる。すると、今度は、勘平がイノシシと間違えて撃った鉄砲玉が定九郎に命中し、彼を殺してしまう。暗くて誰だか分からないが、懐を探ると、大金の入った財布がある。勘平はそれを黙って奪い取り、逃げて行く。
 六段目は、勘平が家に帰ってからの話で、お軽が祇園に連れて行かれた後、与市兵衛の死骸が運ばれて来る。血の付いている財布を勘平が持っていたため、お軽の母・おかやに疑われ口論している最中に、原郷右衛門と弥五郎が訪ねに来る。おかやから話を聞いて、彼らは勘平をなじる。勘平はてっきり自分が舅を殺したものと思い込み、悩んだ末に切腹する。やがて、遺体の傷から真相がわかり、改めて仇討の仲間に加わることを許されて、勘平は死んでいく。

 映画の『悲恋 おかる勘平』(昭和31年)は、この五段目と六段目をストーリーの中心に据え、それを赤穂義士の物語に組み込んで、裏に起こった悲話のように仕立てたものだった。だから、映画の中では、勘平、お軽、与市兵衛(お軽の父)、おかや(お軽の母)などは歌舞伎の役名を用い、一方浅野家の人々は、実名と同じにしている。浅野内匠頭、御台の阿久里(瑤泉院)、大石内蔵助、片岡源五右衛門、神崎弥五郎などはホンモノが登場するわけだ。この映画の原作は邦枝完二の小説だそうだが、私はこの原作のことを寡聞にして知らない。脚色したのは依田義賢(斉木祝という人と共同執筆)で、監督は佐々木康だった。
 勘平を演じたのは若き日の錦之助である。お軽はこれまた若い千原しのぶで、他に与市兵衛が横山運平、おかやが毛利菊枝、御台の阿久里が喜多川千鶴、大石内蔵助が錦之助の実父三世中村時蔵といったところが主な配役である。

 しかし、映画を観る限り、正直言って、この話は芝居には向いているかもしれないが、映画には向かなかったのではないかというのが私の感想である。いや、歌舞伎のストーリーを忠実になぞっただけで、映画の良さが発揮されずに終わってしまったと言ったほうが良いかもしれない。もっと歌舞伎から離れ、テーマを絞って映画にすべきだったのではないかと感じた。確かに、錦之助は熱演している。一所懸命に演じている姿は、いじらしいほどだった。芝居ではなく映画らしく演じようと錦之助が意識していたこともはっきり見てとれた。が、どう見ても話が不自然で、錦之助の熱演は報いられずに終わってしまったように思えてならなかった。歌舞伎では感動を呼ぶであろう「勘平切腹」の見せ場、いわゆる「手負いの述懐」の場面も、映画では前後の流れの中で浮いている印象を受けた。
 勘平とお軽の物語をお涙頂戴のメロドラマに仕立てようとした製作者の意図は分かる。が、それならば、映画に適さない歌舞伎の場面などは捨てた方がよった。もっと違った場面を見せ場にした方が感動したと思う。
 この映画、タイトルには「悲恋」とあるが、勘平とお軽の物語は、どう見ても悲恋ではない。惚れ合った男と女の激しい恋が成就しないで終わるのが悲恋だとすれば、この物語はそうではない。あえて言えば、夫婦愛の悲劇がテーマである。勘平とお軽は、追放の果てに、一時的に夫婦になる。しかし、勘平はいざという時には主君の恩に報いるため死ぬ覚悟をしている。だから、二人にとっては仮の夫婦生活で、いずれは別れなければならない運命にある。主君への報恩と夫婦愛との間のこうした葛藤をドラマにして描いたならば、この映画はもっと素晴らしいものになったと思う。(つづく)



時代劇とチャンバラ

2006-10-12 03:53:24 | 錦之助ファン、雑記
 先ごろ池袋の新文芸座という所で、「時代劇ぐらふぃてぃ」と名づけた特集を組み、日替わりで二本ずつ、違った時代劇映画を上映していた。錦之助の映画も4本あり、ほかに観たい映画もあって、私は毎日のように通った。ところで、この「時代劇ぐらふぃてぃ」という特集のタイトルで、「時代劇」という部分に「チャンバラ」というルビが振ってあったことがちょっと気になった。「時代劇」と「チャンバラ」は一致しないのではないか?この疑問が一つ。もう一つは、この特集で上映した作品で、60年代の集団時代劇や残酷時代劇の傑作が、いったい「チャンバラ映画」なのだろうか?という疑問だった。『十兵衛暗殺剣』『切腹』『上意討ち』『十一人の侍』『十三人の刺客』が私の観た主な映画で、これらの作品はどれもリアルで残忍な斬り合いが目立っていた。たとえば、『切腹』や『十三人の刺客』の壮絶な決闘シーンが「チャンバラ」なのだろうか。なんだかそうではないようにと私は思ったわけである。そこで、今回は「時代劇映画」と「チャンバラ映画」の関係から整理して、「チャンバラ」とは何かということについて私なりに考えてみたい。



 簡単に言ってしまえば、「チャンバラ映画」は「時代劇映画」の狭い一つのジャンルに過ぎないということである。例をあげよう。『七人の侍』や『用心棒』など、黒澤明監督の「時代劇映画」は、はたしてチャンバラ映画だったのであろか。その点について私は疑問に思っている。市川右太衛門の『旗本退屈男』シリーズは明らかにチャンバラ映画だった。錦之助の映画で言えば、股旅物の『弥太郎笠』はチャンバラ映画で、『沓掛時次郎』はチャンバラ映画ではなかった気がする。『源氏九郎颯爽記』にはチャンバラシーンが何度もあったが、『宮本武蔵』の数々の決闘シーンはチャンバラなのだろうか。どうも違うような気がする。
 もう、ある程度お分かりかと思うが、「チャンバラ」というのは、私の考えでは、第一に、悪人や捕り手をバッタバッタと斬りまくることである。第二に、人を斬るという行為の描写がリアルである必要はないこと。第三に、人を斬るという行為の意味が単純明快で、勧善懲悪のためや追い詰められて仕方なくといった理由によるものだということである。

 「チャンバラ」は確か「チャンチャンバラバラ」が縮まったものだと思うが、刀と刀がぶつかり合う音が「チャンチャン」である。つまり擬音語というヤツである。では、「バラバラ」の方はどういう意味なのだろう。斬られた人があちこちに倒れる様子なのか、あるいは斬られて人の首や胴体がバラバラになる有様なのであろうか。はたまた、戦っている人の髪が乱れてバラバラになることなのだろうか。よく分からない。それはともかく、チャンバラと殺陣(たて)について一言触れておこう。
 殺陣にも、舞踊的な立ち回りや剣戟と、リアリティを重視した刀さばきや斬り合いがある。チャンバラは前者であり、刀が相手の体に触れなくても斬られたことにしてしまう。つまり、斬る、斬られるは約束事に近いので、ウソくさくてもかまわないわけだ。もちろん、チャンバラにも、歌舞伎で使ういろいろな型(かた)に従った立ち回りから、新国劇から流行したような迫力のある剣戟まで、いろいろあるが、大事な点は、人を斬り殺すというリアリティや残虐性がチャンバラの本質ではないことである。60年代からは、こうしたチャンバラがだんだん時代劇映画から消えて行き、リアルな殺陣が主流になり、肉を斬る音や斬られた者が血しぶきを上げるような残虐な斬り合いが流行して行く。
 
 ところで、「時代劇映画」は、広い意味では、幕末を含め江戸時代から前の時代を背景にして登場人物が活躍するすべての映画である。が、狭い意味では、武士を中心とする封建社会を舞台にした映画を「時代劇映画」と呼ぶこともできるだろう。そうすると、戦国時代から江戸時代までを背景にした映画が「時代劇映画」ということになる。(奈良時代から室町時代までの有名人物を描いた映画は、「歴史劇映画」であり、神話時代の登場人物を描いた映画は「神話劇映画」と呼べるだろう。)
 ここでは、とりあえず、狭い意味での「時代劇映画」を前提にして話を進めたい。さて、この「時代劇映画」は、(一)武将や武士を主人公とする映画、(二)江戸時代後期のやくざを主人公とする映画、(三)町民や農民を主人公とする映画、この三つに分けられる。(一)は、「戦国物」や「武士道物」や「浪人物」など、(二)は、「股旅物」や「次郎長物」など、(三)は、「世話物」「心中物」や数は少ないが「農民蜂起劇」などがあるだろう。
 さて、チャンバラ映画というのは、こうした時代劇映画の中でも、主人公の武士ややくざが刀を振り回し、バッタバッタと敵を斬り倒す映画である。また、そうした場面がクライマックスになっている映画である。が、それだけではない。大事な点は、娯楽映画だということである。そして、チャンバラが観る者に痛快さを与えるものだということである。要するに、私が考えているチャンバラ映画というのは、チャンバラの場面がクライマックスで登場する痛快娯楽時代劇なのだ。



 全盛期の東映時代劇のほとんどは、この意味でチャンバラ映画だった。市川右太衛門の『旗本退屈男』は、メイキャップも衣装も、立ち回りも、ショーに近いチャンバラ映画だった。松田定次監督のオールスター映画もチャンバラ映画だった。『赤穂浪士』も『次郎長物』もクライマックスの立ち回りは、まさにチャンバラだった。では、大映時代劇はどうだったのか。市川雷蔵の『眠狂四郎』シリーズや勝新太郎の『座頭市』シリーズはチャンバラ映画だったのだろうか。製作された年代によって殺陣の様式が時代風潮を取り入れ、進化して次第にリアルになっていくが、痛快娯楽時代劇だったことは確かである。したがって、『眠狂四郎』も『座頭市』も進化したチャンバラ映画だったと言えるだろう。
 
 どうにも収拾が付かなくなってきたので、今日はこれまで。