荘厳にして凄絶な戦国悲劇。運命に押しつぶされていく武将の生き様を錦之助が見事に演じ、巨匠伊藤大輔がまさに入魂の演出をして完成させた格調高い傑作である。時代劇にして、時代劇を超えた作品とでも言おうか。きっとこの映画を観た人は、まるでギリシャ悲劇かシェイクスピア悲劇を鑑賞したかのような錯覚にとらわれ、胸の奥深くで地響きが鳴るような感動を覚えるだろう。
舞台は、徳川の領地三河の岡崎。時代は、織田信長の天下統一の頃。主人公は、三郎信康という悲運の武将である。
なぜ悲運か。一国の城主として武勲の誉れ高く、天下を取るほどの才覚と技量を持ちながら、出生の運命に弄ばれ、若くして滅びなければならなかったからである。
徳川家康を父とし、今川義元の直系を母としたことが、三郎信康の生きる道を阻む。しかも、妻は織田信長の娘である。三郎信康は、父にも母にも義父にも反逆できず、いわば三叉路に立ち止まったまま身動きが出来ない。信康は述懐する、「四方を厚い壁にふさがれて、突き破れない」と。
父家康は、お家大事とばかり、織田信長の権勢に屈している。母築山御前は、夫家康にうとんじられ、岡崎の城内に押し込められている。ただひたすら今川家の再興を祈願し、息子信康だけが生きる支えである。信康と妻徳姫の間には、女子はいるものの、嫡子の男子は生まれていない。築山御前はそれを喜びさえしている。信長とは血縁のない別腹から嫡子が生まれることを望んでいる。姑と嫁の仲は険悪である。姑は、今川家を滅ぼした信長もろとも嫁も呪い殺そうとさえしている。
三郎信康の家来は、つわもの揃いで、主君を担ぎ、信長に代わって天下を取らそうと願っている。こんな八方ふさがりの状況で、信康が生き延びる道があるだろうか。
戦国乱世は、人の生が人の死によってあがなわれる世界である。人が生きるためには人を滅ぼさなければならない。信康は、反逆児だったからではなく、反逆児と見なされたがゆえに、死ななければならない。
信長にとっては、将来を嘱望された三郎信康が邪魔者である。今川家の血筋も根絶やしにしたい。そこで、家康を追い詰め、息子信康を断罪するように仕向ける。信長に反逆の罪を負わされ、父家康によって、自刃を命じられる。信康は父も母もそして妻も恨むことができずに、血で血を洗う乱世のなかで、無念にも死んでいく。
ラストの切腹シーンが圧巻である。信康の無念さと側近たちの断腸の思いが、荘厳な様式美の中に凝縮されている。信康が割腹しているのに、家来(東千代之介と安井昌二)が何度刀を構えても介錯できない。この描写がすさまじい。
信康は腹に突き立てた刀をぐっと押さえ、辛抱する。最期の最期まで辛抱しなければならないこの信康の姿は、彼の全人生を集約させたとでも言える象徴的場面である。
「うろたえるな、未熟者め!」と最愛の家来を叱咤し、首をはねさせる信康の潔さと品格。脳裏に焼き付いて、いつまでに離れない。
共演者では、築山御前を演じた杉村春子が鬼気迫る演技で、嫉妬と怨念に身を焦がさんばかりのすさまじい女を表現し、信康の妻役の岩崎加根子も高慢で愛情に飢えた女を巧みに演じている。杉村の姑と岩崎の嫁の対決もこの映画の見どころと言えるだろう。
*『反逆児』の原作である大佛次郎の戯曲「築山殿始末」と伊藤大輔による映画化までの経緯は改めて書く予定。(2019年2月3日一部改稿)
共感して、圧倒され、見終わった後は、しばらく言葉も出てきませんでした。
親と子、夫と妻、そして武将と家臣。後半はほとんど泣いていました。これほど泣いた映画は無かったと思います。信康に心を寄せらずにいられなかったです。でもまだ、消化しきれていない自分がいます。
今度は家で静かに見てみたいです。
愛は明治に入ってきた概念ではなかったのかしら?
60年代の若者に受ける形を取り入れたのでしょうか?
今回の「反逆児」はフィルムセンター所蔵のものなので、フィルム状態が良かったですね。
スクリーンで「反逆児」を観るのは3年ぶりでしたが、この映画は何度観ても感激しますし、いつも新鮮さを感じます。また感情の起伏の激しさに圧倒されます。
信康が二度ほど「愛」という言葉を遣いますが、確かにこの時代には、西洋的な愛という概念はありませんね。ラストの切腹シーンで、信康が家来に「(妻を)愛していた」と伝えてくれと言うところがありますが、インパクトの強いセリフでした。「反逆児」の登場人物は皆、自我に目覚めた近代人のようですし、伊藤大輔監督は、現代にも通じる人間の悲劇を描こうとしたと思います。
各種上映会、また、出版などで八面六臂のご活躍、このブログで拝見しています。関西で上映会があってもなかなか行けないのが現状で、申し訳ありません。いつか、きっとお会いしたいです。
ところで、「反逆児」で信康が徳姫に「愛していた」と表現したことについて、学生時代、この作品を初めて観た時、伊藤大輔監督の講演もあり、その折、伊藤監督もこの表現について当時から異論があったと話していました。
そよ風さんもご指摘のように西洋的表現じゃないのか、ということですね。しかし、伊藤監督は当時の文献などに「愛している」という表現が散見されるため、この表現を使ったが、決して西洋の専売特許ではないと断られていました。ボク自身、詳しく調べたわけではないので、そういうものかと受け取っていたのですが…。
徳姫の「こんなにもお慕い申し上げているのに」と最後に信康と抱き合って発する一言は非常に女性らしいですね。
この一年はずっと上映活動をやっていました。
京都での上映会、お暇があればぜひいらして下さい。期間中私は京都に逗留し、毎日通う予定です。
青山さんは、伊藤大輔監督の講演を聴かれたのですか!伊藤監督がそう言っていましたか。
時代劇を作る上での時代考証に関しては、伊藤監督独特のこだわりがありますが、知識の浅い私には分からないことばかりです。あまり深く考えずに観ていますが、時々疑問を感じて調べてみようかと思っても、そのままに忘れてしまいます。
でも「反逆児」については、もっと内容のある文章をここに書こうと思っています。
『反逆児』は、9:45~、13:30~、17:25~の3回上映予定です。
中村 錦之介「反逆児」BSで放映されたものを初めて見ました。
私の高校2年生の時の作品ですね。
曖昧な記憶ですが この頃から アメリカ西部劇の上映が少なくなり やがて「マカロニウエスタン」にとってかわられた時代だったような
これと同じくして 「時代劇」も少なくなってきたような気がします。
さて この「反逆児」ですが 長い間(50年以上)信長 だとばかり思っていました(信じていました) 錦之介⇒信長の作品があった筈
その続編?と勝手に解釈
初めの方 原 建策?が月形 龍之介を 信長と呼んでいたような・・・あれ?
暫くして 家康が出てきて 信長と同席 信長が錦之介を「婿どの」・・・ありゃりゃ???
でしたね。
なんせ 錦之介を「信長」と信じているものだから 月形 龍之介がいつの間にか 「齋藤道三」になっちまって・・・
もう・・・めちゃくちゃ・・・
挙句の果ては 東 千代介 信長の部下なら 前田 犬千代か・・・・?
参った 参った
『反逆兒』の前に、錦ちゃんは映画で信長を二度演じていますよね。
『反逆兒』の主人公の松平信康は、家康の子で、9歳の時に織田信長の娘・徳姫と結婚して、元服後に信康を名乗るのですが、信長から「信」の字をもらったとのこと。
この映画では、月形龍之介の信長が、錦ちゃんの信康を観て、「わしに似すぎている」というセリフがありますよね。若い頃の信長の姿が信康に重なるのは無理もありません。
ところで、信長を演じた俳優はたくさんいますが、私が観た映画では、戦前に月形龍之介が演じた信長が絶品でした。千恵蔵の信長はあまり良いとは思いませんでした。
戦後は、錦ちゃんの信長ですね、一番良いのは。雷蔵、勝新、テレビでは高橋幸治の信長も頭に浮びますが、私はやはり錦ちゃんです。
錦ちゃんは『真田幸村の謀略』で徳川家康も演じていますが、中島貞夫監督には悪いけど、あの映画はどうも不出来で…。
錦ちゃんは、秀吉は演じていませんが、やろうと思えば出来たでしょうし、「太閤記」の木下藤吉郎を錦ちゃんが演じたら面白かったと思っています。藤吉郎は、弟の賀津雄さんがやっているので、遠慮したようですね。
broncoさん同様、私も取りとめのない話をしてみました。