錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『徳川家康』(その2 伊藤大輔の映画作法)

2006-08-26 06:13:19 | 監督、スタッフ、共演者
 伊藤大輔監督の東映作品の代表作としては常に『反逆児』が話題に上る。私は『反逆児』も傑作だと思っているが、『徳川家康』の方が作品的な完成度は高いと感じている。『徳川家康』を褒める人は少ないが、誰が何と言おうと、私の中では時代劇映画の最高傑作の一つである。『徳川家康』は、いわゆる娯楽時代劇ではない。主役が格好良く立ち回り、勧善懲悪によって観客の胸をすっと晴らしてくれる映画でもないし、ストーリーの奇抜さやリアルな斬り合いで、観客の度肝を抜くような映画でもない。あえて言えば、正統派の荘重な時代劇であり、封建的な人間のドラマである。2時間半近くに及ぶこの映画を軽い気持ちで観ると途中でぐったりして飽きてしまうかもしれない。だが、真剣になって最後まで観ると、現代に生きるわれわれの心に何か重いものをずっしりと感じさせてくれると思う。戦国時代の登場人物たちと心の奥底で通じ合えるものを感じさせてくれるのだ。


 率直に言って、伊藤大輔監督の戦後の作品をいくつか観ると、私はそこにアナクロニズム(時代錯誤)のようなものを感じることがある。彼の映画は現代的な人生観やテーマを安易に時代劇に反映させて描いたものではない。むしろ、封建時代の武将や侍や女たちの生き方そのものに肉薄して、その特殊で極限的な人間のドラマの方から、現代に生きるわれわれに訴えかける手法をとっている。しかし、封建時代の武士やその一族たちの生き様、彼らの生と死の側に描写が密着しすぎて、何か独善的な表現意欲と彼特有の美意識だけしか感じないことがある。伊藤大輔は封建的な美徳を賛美しているのではないかと思うことさえある。
 士族出身のこの監督には多分にそういう面もあったのだろう。彼が時代劇に執着したのも、武士道のような旧道徳に囚われている自分に対し、その是非を問いただそうとしたからなのかもしれない。彼は絶えず映画を作ることによって自己否定と自己肯定を繰り返し、その間を綱渡りしているようでもあった。伊藤大輔の時代劇映画は成功すると、濃縮された封建ドラマの中から人間の普遍的な本質が沸き出して、観る者に大きな感動を与えてくれる。彼の映画の特長は、時代劇という鍋の中に様々な人間を投げ入れ、ぐつぐつ煮立てて、エキスを抽出するといった映画の作り方にあったと思う。そこに登場する人物はすべて、現代の目から観れば、封建制度に束縛され、生きる道を定められた人間たち、簡単に言えば、宿命に生きる人間たちであった。しかし、現代人のわれわれとて、宿命とは言わないまでも束縛や制約を免れて生きることはできない。生き続けるには、束縛や制約を受け入れた上で、機に臨み決断を下して行動しなければならない。その意味では、封建時代の人間とそれほど変わらないのかもしれない。だから、彼らの生き方に人間的普遍性が付与された時には、現代人のわれわれにも強烈に訴えかける真実が伝わってくるのだろう。しかも、その生き方が極限状況にあって必死であればあるほど、強烈な感動をもたらすにちがいない。こういう映画作法は現代劇ではなかなか不可能なことである。極限的で特殊な状況がどうしても設定できないからである。伊藤大輔にとって時代劇とは、そうした極限状況の設定を可能にし、煮詰まって出てくる人間のエキスを映像化する表現手段だったと言えよう。『徳川家康』は、伊藤大輔のこうした映画作法が完全に近い形で成功した作品だった。(つづく)



『徳川家康』(その1 私の中のこの一作)

2006-08-26 04:42:39 | 戦国武将

 『徳川家康』は、封切りの時映画館で観た。その時私は小学6年生だったが、ものすごい感動を受けた。それがなぜかは分からなかった。ただその感動の大きさに打ちのめされた。そして、この映画の何が12歳の私に感動を与えたのかについて考えもせずに、その後ずっと、邦画洋画を問わずに多くの映画を観続けてきた。今私はここで「錦之助ざんまい」というブログの記事を書いているが、錦之助の映画ばかりを観てきたのではない。幼少の頃はそうだったが、自我に目覚め始めた頃以来長い間、映画ファンだった。封切りの映画も古い映画も、観たいと思った映画は出来るだけ観てきたと思う。
 時代劇で言えば、もちろん黒澤明の大作も溝口健二の名作と呼ばれる映画も、全盛期の東映時代劇も大映時代劇も独立プロの時代劇も、70年代後半から製作が始まった新しいスペクタクル時代劇も、一応評判となった時代劇映画は、映画館で観たりビデオを借りたり買ったりして、観てきたつもりである。そのほとんどは戦後の映画で、戦前に作られた時代劇映画で観たものは数少ないことだけはお断りしておくが、40年前から10年ごとに新に観た映画も加えて、自分の中で時代劇映画ベスト作品を選ぶと、いつも『徳川家康』が第一位なのだった。たとえば、黒澤明の『七人の侍』や『用心棒』と比べてみても、『徳川家康』の方が私の中では上位に来る。溝口健二の『雨月物語』や『山椒大夫』と比べるのは無理かもしれないが、それでも『徳川家康』の方が私の中では評価が高い。

 『徳川家康』は、伊藤大輔監督入魂の力作だったと思う。この映画は昭和40年の正月に公開されたが、この頃すでに衰退していた東映時代劇にとっても、いわば落日の最後の輝きを放った大作だった。
 原作は、言うまでもなく山岡荘八の『徳川家康』である。著者が昭和25年に新聞紙上で連載を始めてから18年もかかって完成したこの大部の歴史小説(講談社版全14巻)は、「経営者のバイブル」とも言われ、昭和30年代の大ベストセラーだった。(私は若い頃読みかけたが途中で投げてしまった。)
 それに対し、映画『徳川家康』は原作の三分の一弱を描いたものに過ぎなかった。(続編を製作するつもりだったかもしれない。)映画は、家康の誕生から、幼少時の人質時代、駿府の今川家での少年時代と元服後の時代(家康の「忍従の時代」)、そして、桶狭間の戦いで信長が今川義元を滅ぼしてから、若き家康が今川方を離れ、岡崎城を取り戻すまでで終わっている。
 この映画は、例のごとく原作に忠実ではない伊藤大輔独特の脚本だったこともあって、公開された当時は、やや期待外れに感じた観客が多かったようである。信長を演じた錦之助の出番もそれほど多くなかった。(確かに、前半では信長がなかなか登場しないので、錦之助ファンは苛立ったことだろう。後半のラスト近く、桶狭間の戦いあたりで錦之助最高の信長が見られるが…。)そんなこともあってか、小説の愛読者や錦之助ファンには、この映画の評判はあまりかんばしくなかった。

 今『徳川家康』という映画を観ると、時代劇映画の起死回生にかけた伊藤監督のすさまじい気迫というものをひしひしと感じることができる。(『柳生一族の陰謀』など、その比ではない!)一つ一つの場面が張り詰めていて、濃密なのである。この映画は、内容構成が秀でている。中身の濃い場面と場面が緊密につながり合い、戦国乱世の緊迫した人間ドラマを展開していく。私はこの映画をビデオで観返すたびに感動を新たにしている。時代劇映画の醍醐味というものを十二分に味わえるのだ。
 俳優一人一人の演技からも過剰なまでの意気込みが伝わってくる。信長を演じた錦之助はもちろん、家康の母親役の有馬稲子も素晴らしい。父親役の田村高廣も、家康の三人の子役も北大路欣也も、家来の妻で後家役の桜町弘子も、今川義元の西村晃も、出演俳優全員が熱演している。この映画には様々な人物が次から次へと出てくる。主役が何人もいるような映画なのだが、うねるようなドラマの中で緊密に関係し合っているため、人物一人一人に真実味がこもり、彼らが生き生きと躍動している。だから、シーンごとにその人物が主役に見えるのだろう。これは、まさに俳優冥利に尽きる映画だったとも言えよう。(つづく)



昭和34年のファン投票

2006-08-24 10:48:47 | 錦之助ファン、雑記
 昭和34年5月発行の『別冊近代映画・蜘蛛の巣屋敷特集号』にこんなアンケート結果が出ている。「ファンが選んだ錦之助映画ベスト10」の結果発表である。ベストテン作品と投票数は次の通り。

 第1位 紅顔無双流(4,743票)
 第2位 織田信長(4,249票)
 第3位 忠臣蔵(2,691票)
 第4位 江戸の名物男・一心太助(2,424票)
 第5位 風と女と旅鴉(2,145票)
 第6位 一心太助・天下の一大事(2,037票)
 第7位 美男城(1,539票)
 第8位 遠州森の石松(1,518票)
 第9位 源義経(1,296票)
 第10位 曽我兄弟・富士の夜襲(816票)
以下、『おしどり駕篭』、『浅間の暴れん坊』、『殿さま弥次喜多・怪談道中』、『源氏九郎颯爽記・白狐二刀流』、『獅子丸一平』、『隠密七生記』、『恋風道中』が並ぶ。

 この結果を見て、私は大変面白いと思った。また、ファンの目というのは確かなものなんだなーとも思った。どういう回答の仕方だったかは分からないが、投票数を見ると、5000人以上(もしかすると1万人)のファンがアンケートに回答したようである。若い女性ファンが大半を占めたと推察するが、ベストテンの結果は非常に順当だったように思う。もし私なら、男だということもあって、第1位に『紅顔無双流』は選ばないだろうが、それ以外はこれでもいいかなーと納得するような順位結果である。
 第1位の『紅顔無双流』は、柴田錬三郎の『剣は知っていた』の映画化で、戦国乱世を舞台にしたいわゆる貴種流離譚。錦之助が眉殿喬之介という剣士になって活躍するのだが、まあ、なんとも奇想天外な筋立てで、当時は大人気の「柴錬」(柴田錬三郎の略称)も今は昔の影もなく、いわば際物的な時代劇だった。柴錬原作の映画では市川雷蔵の『眠狂四郎』シリーズだけが生き残っているが、錦之助が主人公を演じた『紅顔無双流』も『美男城』も『源氏九郎颯爽記』も、今ではマニアだけが好む映画になってしまった。正直言って私は錦之助の美剣士物はあまり好きではない。
 第2位の『織田信長』は、『紅顔の若武者』の方で、当時まだ『風雲児』は製作されていない。これは選出作品のなかでは比較的古い映画(昭和30年公開)なのだが、錦之助初挑戦の汚れ役がよほどファンの印象に残っていたことが分かる。『源義経』と『曽我兄弟』もファンの記憶に残る作品だったようだ。
 第3位の『忠臣蔵』は、錦之助が浅野内匠頭を演じたオールスター映画で、これは私も封切りで観て、大感動した。前半は錦之助が主役で、最高の名演だった。今でもこの内匠頭は目に焼きついている。錦之助の殿様役は後年の全作品を含めてもこれがベストワンであろう。
 第4位と第6位に『一心太助』が2本入っているのは、当然とはいえ、大変嬉しい。やはり、ファンは江戸っ子の錦ちゃんが好きで、これは今も変わらないと思う。また、第5位に錦之助がノーメイクで臨んだ『風と女と旅鴉』が入っているのには、感心する。さすが錦之助ファンという感じなのだ。ファンは錦之助の挑戦心や意気込みというものをちゃんと評価している。このことは、第8位に『遠州森の石松』が選ばれていることでも分かる。
 ほかにも私が気づいたことを二、三、挙げよう。
 まず、『笛吹童子』『紅孔雀』など子供向けの童子物や剣士物はベストテンに1本も入っていないことだ。
 次に、錦之助が「つっころばし」を演じた世話物や、若衆や纏持ちに扮した江戸物が入っていないことに気づく。が、これらは比較的古い映画だったし、印象が薄れてしまったのか、または観ていないファンが多かったので、投票が集まらなかったのだろう。しかし、昭和33年前後に錦之助の傑作がずらっと並んでいたということを考えれば、その中からベストテンが選ばれるのは当然だったとも言えよう。
 さて、錦之助の映画が残念ながらすべて出揃ってしまった現在、もしファンが投票すればどういうことになるだろうか。
 かく言う私としては、今でもこの昭和34年当時のファン投票ベスト・テンとあまり変わらない作品を選ぶと思う。ただし、この中で第1位と第7位と第9位と第10位の作品は除くだろう。第2位、第3位、第4位は逆にひっくり返して、上に繰上げ、空位になった第4位に『おしどり駕籠』を入れ、第7位に『あばれ纏千両肌』、第9位に『弥太郎笠』、第10位に『宮本武蔵』(第一部)を入れようかなーと考えている。



『風雲児 織田信長』

2006-08-22 21:41:43 | 風雲児 織田信長


 『風雲児 織田信長』は、『紅顔の若武者 織田信長』の4年後、昭和34年10月に公開された。白黒スタンダードから総天然色シネマスコープの豪華版にして、『紅顔の若武者』の後半をリメイクし、さらにその続きを加えた作品だった。したがって、内容的には、重なる部分が多いとはいえ、『紅顔の若武者』が前編で、『風雲児』が後篇とも言えないことはない。『紅顔の若武者』は、信長が義父斉藤道三と対面し、不戦協定を結むまでで終わりになったが、『風雲児・織田信長』は、そこも含め、さらに桶狭間の戦いまでを描いている。

 錦之助が『紅顔の若武者』で信長を演じたのは22歳、『風雲児』で再び信長を演じたのは26歳の時であるが、信長の史料を調べてみると、面白いことが分かる。この2本の映画、どうやら錦之助の成長に合わせて製作したようなのだ。信長が桶狭間の戦いで今川義元を討ち破ったのがちょうど26歳で、『風雲児』を製作した時の錦之助の年齢とまったく一致している。
 ご参考までに信長の半生をかいつまんで紹介すると、まず、那古野(=名古屋)城主になったのが数え年で9歳、元服して織田三郎信長を名乗ったのが13歳、初陣が14歳、そして、斉藤道三の娘濃姫を嫁にもらったのが16歳の頃だった。前作『紅顔の若武者』は、濃姫が輿入れする場面から始まるわけだから、22歳の錦之助は16歳の信長から演じたことになる。まあ、戦国時代の話だから、元服後、初陣もすませた若武者といえば16歳でも立派な大人で、妻をめとっても不思議ではない年齢だったと言える。(この時濃姫は数え年15歳だったようだが、濃姫に関しては不明な点が多い)

 私はもちろん信長研究家でもないし、愛好者でもないので、信長を描いた小説はそれほど読んではいないが、ほとんどの小説が底本にしているのは『信長公記』(しんちょうこうき。太田牛一という信長の家来が1600年頃に著した信長の伝記)である。それによれば、「大うつけ」と呼ばれていたこの頃信長は、朝夕馬を乗り回し、夏は川で泳ぎ、また鷹狩りを好み、槍や鉄砲の稽古に励んでいたそうだが、着衣はだらしなく、髪は茶せんにかき立て、人目もはばからず、栗や柿や瓜をかぶりつき、餅を立ち食いし、傍若無人に振舞っていたという。父信秀が急死したのは信長19歳の時で、寺での盛大な葬儀に出た際の信長の粗暴な振る舞いは、『信長公記』にちゃんと書いてある。信長は、長柄の大刀と脇差をしめ縄にさし、髪は茶せんのまま、袴もはかずに、仏前で抹香を手づかみにして投げかけて帰ったという。ここは、『紅顔の若武者』にも『風雲児』にも登場するハイライト・シーンの一つで、どちらも錦之助の演技が見ものだった。『風雲児』はこの場面から始まるから、19歳の信長から演じたことになる。重臣平手政秀が信長に諫言し自害するのは、信長20歳の時で、この同じ年に、信長は斉藤道三と美濃・尾張の国境近くにある正徳寺で会見する。道三との会見で信長が正装姿になることも、『信長公記』が記している。
 政秀の自害、道三との会見は、『紅顔の若武者』では二つのクライマックスとも言えるシーンだったが、『風雲児』では、ここまでを前半にまとめたので、やや盛り上がりに欠けてしまった。私はこれまでずっと『風雲児』の方ばかり観てきて、前半のこの二つの場面がとくに印象的で、とても気に入っていたのだが、先ごろ前作の『紅顔の若武者』を観て、従来の考えを変えてしまった。前作の方が、政秀の自害にしろ、道三との会見にしろ、ずっと盛り上がる描き方をしていたのだ。正直言って、そう感じた。
 
 『風雲児・織田信長』について書こうと思っていたのだが、どうも話がそれてしまった。この映画は、前作同様、山岡荘八の原作を結束信二が脚色し、河野寿一が監督し、坪井誠が撮影した作品である。美術は同じ吉村晃だが、音楽担当が高橋半から富永三郎に代わった。共演者は、月形龍之介が平手政秀、進藤英太郎が斉藤道三を演じたのは同じで、濃姫は、東映を辞めた高千穂ひづるから香川京子に代わった。柳永二郎は両方に出演していて、前作では父信秀だったが、ここでは今川義元を演じている。また、この映画では中村賀津雄が木下藤吉郎役で共演している。
 まず、信長を演じた錦之助について言えば、前作に比べ演技力が格段の進歩を遂げている。それがありありと分かる。落ち着きと余裕が感じられ、風格すらうかがえる。26歳にしてこの演技力というのも凄いことだが、昭和30年代前半の錦之助のすさまじい進歩を知っているファンから見れば、既知の事実で、今更驚くことでもない。これは、前にも書いたことだが、信長を演じた俳優で錦之助の右に出る者はいないと私は思っている。それほど錦之助の信長は素晴らしい。ただ、私は『紅顔の若武者』の若々しい錦之助の荒削りで体当たりの演技も捨てがたいと思っている。迫力から言えば、若い頃の信長の方があったようにも感じる。まさに熱演賞に値する演技だった。それに対し、『風雲児』の信長は、堂々たる演技賞、主演男優賞に値すると言いたい。
 「人間五十年、下天のうちにくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり」で始まる謡曲「敦盛」をうたい舞う錦之助の信長はどちらの映画にも出て来るが、この場面は『風雲児』の方がずっと良い。やはり、桶狭間の戦いへいざ出陣という決断の時にうたい舞うと、悲愴感が漂う。(『紅顔の若武者』では道三と会見しに行く前だった)

 ところで、公平な目で判断すると、『風雲児』は、作品全体の総合点では、『紅顔の若武者』よりやや劣っていたように思う。桶狭間の戦いをクライマックスに据えたため、前半がダイジェスト版のようになってしまい、ドラマ性がやや希薄になっていたからだ。濃姫、平手政秀、斉藤道三の描き方も、前作に比べると不満が残った。濃姫を演じた香川京子は、高千穂ひづるとはまったく違ったタイプなのだが、及第点であろう。しかし、私は高千穂ひづるの方に投票する。高千穂の濃姫は、いかにも戦国武将斉藤道三の娘といった感じがしたからだ。香川京子は美しく演技もうまいのだが、気の強さみたいなものは感じられず、上品でしとやかさが目立った。月形龍之介と進藤英太郎も前作『紅顔の若武者』の方が十分に生かされていたと思う。柳永二郎の今川義元は実にサマになっていて、適役だった。尾張へ進軍する時、義元は駕篭に揺られて行くのだが、暑苦しさに参ってしまう。駕篭の中での義元の何とも言えぬ表情など、柳永二郎のうまさが実によく現れていたと思う。中村賀津雄の木下藤吉郎も適役で、印象に残った。

 錦之助が演じた信長の映画はもう1本ある。山岡荘八原作、伊藤大輔監督の大作『徳川家康』である。この時、錦之助32歳。『徳川家康』については改めて書きたい。(2019年2月3日一部改稿)



『紅顔の若武者 織田信長』(その2)

2006-08-21 07:46:40 | 織田信長

<濃姫の高千穂ひづる>

 『紅顔の若武者・織田信長』は、錦之助の素晴らしさはもちろんのこと、共演者も最高で、作品的にも傑作だった。
 まず、濃姫を演じた高千穂ひづるが魅力的だった。利口で気が強そうなのだがそうでもなさそうで、美しい上にしかも可愛らしいところのある不思議な魅力を振りまいていた。こういう女性は、何を隠そう、私の好みのタイプでもある。
 濃姫は斉藤道三の娘で、いざとなれば信長を殺せという父の命を受け、短剣を忍ばせて信長に嫁いだのだが、次第に信長に魅せられていく。信長も徐々に濃姫に心を許すようになり、政略結婚で夫婦になった二人が互いに愛し始める。戦国乱世のこの稀に見るラヴ・ストーリーが映画の本筋になっているのだが、これが実に良いのだ。錦之助と高千穂ひづるの組み合わせは申し分なく、この二人の場面はどれも良かった。濃姫の膝枕で寝てしまった信長を濃姫がいとおしがる場面、信長の死を覚悟して白装束で待っていた濃姫が帰って来た正装姿の信長を出迎える場面、二人が身を寄り添い合って将来を展望するラスト・シーンなどは、すっかり見惚れてしまった。
 次に、信長の重臣平手政秀を演じた月形龍之介が絶品だった。この月形の姿は目に焼きついて離れない。錦之助と月形の二人が演じた名場面は、本当に数多いが、信長と平手政秀は、家光と彦左衛門の主従関係とは味わいが違い、甲乙付けがたい見事な共演だったと思う。月形の政秀が最後に信長の居る部屋へやってきて、信長のいれた茶を飲みながら、二言三言言葉を交わし、寂しげに帰っていくまでのシーンは胸を打つ。政秀は切腹して信長に諫言するのだが、このあたりは映画中盤のクライマックスである。錦之助の信長が川に飛び込んで、死んだ政秀を悼んで慟哭するシーンも印象的だが、その前のシーンで政秀の亡骸を前にして嘆き悲しむ信長に対し、政秀の妻の松浦筑枝が切々と遺書を読み上げるところはとくに感動する。
 斉藤道三を演じた進藤英太郎がまた良かった。道三は「マムシ」という異名を持つツワモノであるが、進藤英太郎の演技も絶妙であった。決して悪役ではなく、一癖も二癖のある性格に滑稽さ加えた愛すべき道三だった。会いにきた信長を殺そうとはするものの、立派な正装姿で自分の前に現れた信長を見て、急に態度を変え「婿殿」と呼ぶところなど、奥ゆかしくさえあった。
 信長の父織田信秀を演じた柳永二郎の演技も見落とせない。傍若無人な振舞いをする信長の本心を理解し、あくまでも信頼を裏切らない愛情ある父親を演じていた。
 
 最後にこの映画の製作スタッフとデータを付け加えておこう。企画はマキノ光雄と小川三喜雄(錦之助の兄)、山岡壮八の原作を結束信二が脚色し、監督は河野寿一、撮影坪井誠、音楽高橋半、美術吉村晃であった。昭和30年9月20日公開、白黒スタンダード、92分。
 残念ながらこの映画はビデオ化されていない。