『里見八犬傳』の第一部『妖刀村雨丸』、続いて第二部『芳流閣の龍虎』が公開されるや、錦・千代ブームは俄然高まった。錦之助のもとに届くファンレターの数も毎日百通を越えるほどになった。そのなかには、「京都市 犬飼現八様」の宛名だけで届いたというウソのような話もあった。
錦之助の犬飼現八は、凛々しく溌剌さに溢れていた。徹夜続きの強行軍で撮ったとは思えないほどの若さと元気が、錦之助の身体全体にみなぎり、動きもキビキビして敏捷だった。どこかのっそりしたところのある千代之介とは好対照と言えた。静の千代之介に対し、動の錦之助。陽の錦之助に対して、陰の千代之介と言われるようになるのは、『紅孔雀』以降だが、二人の個性の違いは、すでに『里見八犬傳』を撮った頃に現れていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/58/1deda43fd0fd51aed6e0c1aa69739443.jpg)
千代之介の犬塚信乃と城(芳流閣)の屋根の上で対決するシーンは、姫路城のロケと撮影所のセットで撮られた。城の屋根の上に実際登ったのは、もちろんスタンドイン(吹き替え)で、二人とも鳶職の人だった。姫路城は国宝級の史跡であるが、姫路市がよくぞ撮影を許可してくれたものだと思う。また、二人がつかみ合ったまま高い屋根の上から真下の川に落ちる所も、スタンドインだった。このシーンは、ロケ地を変え、琵琶湖の瀬田の唐橋で撮った。錦之助の代わりは中山吉包(義包 よしかつ)がやった。彼は、錦之助に見込まれて、のちに錦之助の付き人兼マネージャーになる人である。この時千代之介の代わりは小田真二だったが、東映剣会のメンバーで、彼もその後錦之助の吹き替えをよくやるようになる。
第五部『暁の勝鬨』のラスト近くに、錦之助が馬に乗るシーンがあるが、乗馬して馬を走らせるところは、高岡政次郎が代わりにやった。彼は東映の厩舎で馬を飼育し、馬の出て来るシーンでは、馬の世話から乗り手の指導までのすべてを指揮していた親方だった。主役が馬に乗るところは彼が進んでスタンドインも引き受けた。後年錦之助の吹き替えは息子の高岡正昭が行なうようになる。第五部で、馬に乗った錦之助が丘の上にいる他の剣士に向かって「オーイ」と呼ぶところがあるが、そこだけは吹き替えではなく錦之助自身が演じた。この頃はまだ馬に乗り慣れず、恐かったが仕方なく引き受けたと錦之助は語っている。
当時、『里見八犬傳』を観た子供たちの多くは、何もかも錦之助がやっていると信じ、ハラハラしながら観ていたにちがいない。が、現場では錦之助も自分の影武者たちのアクションをハラハラしながら見ていたのだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/a4/768cc818c98514b2abc8e1b8abb98822.jpg)
『里見八犬傳』五部作で、錦之助の出番が最も多く、また主役らしい活躍をするのは、第三部『怪猫乱舞』だった。峠の茶店の主人から山中に妖怪が出るという話を聞き、犬飼現八が妖怪退治に乗り出すところから、映画が急に面白くなり、完全に錦之助が画面をさらっていく。随所に錦之助らしさが出ていて、セリフ回しはややぶっきら棒だが自然な調子になり、錦之助が映画の撮影に慣れてきたことをうかがわせる。とくに茶店での会話はそれがよく現れていた。錦之助が山中の洞窟まで歩いていくシーンは、錦之助一人だけのカットを何カットも繋いでいるが、セリフもなくただ颯爽と歩いている姿だけで様になっていた。化け猫が変身した赤岩一角とその亡霊を阿部九州男が熱演しているが、洞窟の中で錦之助とその亡霊が出会う場面では、あのアクの強い阿部九州男に対し、錦之助は一歩も引けを取らず、すでに主役スターの輝きを放っていた。
錦之助の立ち回りは、第四部『血盟八剣士』のラストにもあったが、その上達が目立って見えたのは、第五部『暁の勝鬨』でのラストだった。その前に錦之助は田代百合子の浜路姫を護衛するため腰元に変装するが、これは失敗だった。錦之助は嫌がったが、会社からやれと言われて仕方なくやったそうだが、どうせやるならもっと美しい女形に変身すべきだった。第一、この役は藤里まゆみがやるべきだろう。錦之助の女装は中途半端で、男の錦之助が丸見えだった。立ち回りは、敵の本城に乗り込んで、腰元の衣裳を脱ぎ捨てるや、若武者姿の犬飼現八に戻ってから始まる。チャンバラ好きの錦之助はよほど研究したのだろう。身体の重心を下げて、刀の振り下ろしに力が加わったため、敵を斬り倒す時の迫力が以前とはだいぶ違っていた。自分から襲いかかっていくところも増やし、刀の振るい方にも変化をつけていた。ただ、相手を斬るたびに、「エイッ」と声を出して口を開けるのはどうしたものだろう。この癖だけが直っていなかった。
後年、錦之助も語っているように、『笛吹童子』から『里見八犬傳』まで休む間もなく撮影が続いたことは、映画に慣れる上で、大変良いことだった。錦之助の勘の良さと研究心は誰もが認めることだったが、歌舞伎の演技とセリフ回しからいち早く脱却し、映画俳優として加速度的に進歩していったのは、連日連夜撮影に追われている中でのことだった。
錦之助の犬飼現八は、凛々しく溌剌さに溢れていた。徹夜続きの強行軍で撮ったとは思えないほどの若さと元気が、錦之助の身体全体にみなぎり、動きもキビキビして敏捷だった。どこかのっそりしたところのある千代之介とは好対照と言えた。静の千代之介に対し、動の錦之助。陽の錦之助に対して、陰の千代之介と言われるようになるのは、『紅孔雀』以降だが、二人の個性の違いは、すでに『里見八犬傳』を撮った頃に現れていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/58/1deda43fd0fd51aed6e0c1aa69739443.jpg)
千代之介の犬塚信乃と城(芳流閣)の屋根の上で対決するシーンは、姫路城のロケと撮影所のセットで撮られた。城の屋根の上に実際登ったのは、もちろんスタンドイン(吹き替え)で、二人とも鳶職の人だった。姫路城は国宝級の史跡であるが、姫路市がよくぞ撮影を許可してくれたものだと思う。また、二人がつかみ合ったまま高い屋根の上から真下の川に落ちる所も、スタンドインだった。このシーンは、ロケ地を変え、琵琶湖の瀬田の唐橋で撮った。錦之助の代わりは中山吉包(義包 よしかつ)がやった。彼は、錦之助に見込まれて、のちに錦之助の付き人兼マネージャーになる人である。この時千代之介の代わりは小田真二だったが、東映剣会のメンバーで、彼もその後錦之助の吹き替えをよくやるようになる。
第五部『暁の勝鬨』のラスト近くに、錦之助が馬に乗るシーンがあるが、乗馬して馬を走らせるところは、高岡政次郎が代わりにやった。彼は東映の厩舎で馬を飼育し、馬の出て来るシーンでは、馬の世話から乗り手の指導までのすべてを指揮していた親方だった。主役が馬に乗るところは彼が進んでスタンドインも引き受けた。後年錦之助の吹き替えは息子の高岡正昭が行なうようになる。第五部で、馬に乗った錦之助が丘の上にいる他の剣士に向かって「オーイ」と呼ぶところがあるが、そこだけは吹き替えではなく錦之助自身が演じた。この頃はまだ馬に乗り慣れず、恐かったが仕方なく引き受けたと錦之助は語っている。
当時、『里見八犬傳』を観た子供たちの多くは、何もかも錦之助がやっていると信じ、ハラハラしながら観ていたにちがいない。が、現場では錦之助も自分の影武者たちのアクションをハラハラしながら見ていたのだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/a4/768cc818c98514b2abc8e1b8abb98822.jpg)
『里見八犬傳』五部作で、錦之助の出番が最も多く、また主役らしい活躍をするのは、第三部『怪猫乱舞』だった。峠の茶店の主人から山中に妖怪が出るという話を聞き、犬飼現八が妖怪退治に乗り出すところから、映画が急に面白くなり、完全に錦之助が画面をさらっていく。随所に錦之助らしさが出ていて、セリフ回しはややぶっきら棒だが自然な調子になり、錦之助が映画の撮影に慣れてきたことをうかがわせる。とくに茶店での会話はそれがよく現れていた。錦之助が山中の洞窟まで歩いていくシーンは、錦之助一人だけのカットを何カットも繋いでいるが、セリフもなくただ颯爽と歩いている姿だけで様になっていた。化け猫が変身した赤岩一角とその亡霊を阿部九州男が熱演しているが、洞窟の中で錦之助とその亡霊が出会う場面では、あのアクの強い阿部九州男に対し、錦之助は一歩も引けを取らず、すでに主役スターの輝きを放っていた。
錦之助の立ち回りは、第四部『血盟八剣士』のラストにもあったが、その上達が目立って見えたのは、第五部『暁の勝鬨』でのラストだった。その前に錦之助は田代百合子の浜路姫を護衛するため腰元に変装するが、これは失敗だった。錦之助は嫌がったが、会社からやれと言われて仕方なくやったそうだが、どうせやるならもっと美しい女形に変身すべきだった。第一、この役は藤里まゆみがやるべきだろう。錦之助の女装は中途半端で、男の錦之助が丸見えだった。立ち回りは、敵の本城に乗り込んで、腰元の衣裳を脱ぎ捨てるや、若武者姿の犬飼現八に戻ってから始まる。チャンバラ好きの錦之助はよほど研究したのだろう。身体の重心を下げて、刀の振り下ろしに力が加わったため、敵を斬り倒す時の迫力が以前とはだいぶ違っていた。自分から襲いかかっていくところも増やし、刀の振るい方にも変化をつけていた。ただ、相手を斬るたびに、「エイッ」と声を出して口を開けるのはどうしたものだろう。この癖だけが直っていなかった。
後年、錦之助も語っているように、『笛吹童子』から『里見八犬傳』まで休む間もなく撮影が続いたことは、映画に慣れる上で、大変良いことだった。錦之助の勘の良さと研究心は誰もが認めることだったが、歌舞伎の演技とセリフ回しからいち早く脱却し、映画俳優として加速度的に進歩していったのは、連日連夜撮影に追われている中でのことだった。