錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

中村錦之助伝~アイドルスター誕生(3)

2013-02-24 23:15:26 | 里見八犬傳
『里見八犬傳』の第一部『妖刀村雨丸』、続いて第二部『芳流閣の龍虎』が公開されるや、錦・千代ブームは俄然高まった。錦之助のもとに届くファンレターの数も毎日百通を越えるほどになった。そのなかには、「京都市 犬飼現八様」の宛名だけで届いたというウソのような話もあった。
 錦之助の犬飼現八は、凛々しく溌剌さに溢れていた。徹夜続きの強行軍で撮ったとは思えないほどの若さと元気が、錦之助の身体全体にみなぎり、動きもキビキビして敏捷だった。どこかのっそりしたところのある千代之介とは好対照と言えた。静の千代之介に対し、動の錦之助。陽の錦之助に対して、陰の千代之介と言われるようになるのは、『紅孔雀』以降だが、二人の個性の違いは、すでに『里見八犬傳』を撮った頃に現れていた。



 千代之介の犬塚信乃と城(芳流閣)の屋根の上で対決するシーンは、姫路城のロケと撮影所のセットで撮られた。城の屋根の上に実際登ったのは、もちろんスタンドイン(吹き替え)で、二人とも鳶職の人だった。姫路城は国宝級の史跡であるが、姫路市がよくぞ撮影を許可してくれたものだと思う。また、二人がつかみ合ったまま高い屋根の上から真下の川に落ちる所も、スタンドインだった。このシーンは、ロケ地を変え、琵琶湖の瀬田の唐橋で撮った。錦之助の代わりは中山吉包(義包 よしかつ)がやった。彼は、錦之助に見込まれて、のちに錦之助の付き人兼マネージャーになる人である。この時千代之介の代わりは小田真二だったが、東映剣会のメンバーで、彼もその後錦之助の吹き替えをよくやるようになる。
 第五部『暁の勝鬨』のラスト近くに、錦之助が馬に乗るシーンがあるが、乗馬して馬を走らせるところは、高岡政次郎が代わりにやった。彼は東映の厩舎で馬を飼育し、馬の出て来るシーンでは、馬の世話から乗り手の指導までのすべてを指揮していた親方だった。主役が馬に乗るところは彼が進んでスタンドインも引き受けた。後年錦之助の吹き替えは息子の高岡正昭が行なうようになる。第五部で、馬に乗った錦之助が丘の上にいる他の剣士に向かって「オーイ」と呼ぶところがあるが、そこだけは吹き替えではなく錦之助自身が演じた。この頃はまだ馬に乗り慣れず、恐かったが仕方なく引き受けたと錦之助は語っている。
 当時、『里見八犬傳』を観た子供たちの多くは、何もかも錦之助がやっていると信じ、ハラハラしながら観ていたにちがいない。が、現場では錦之助も自分の影武者たちのアクションをハラハラしながら見ていたのだった。



『里見八犬傳』五部作で、錦之助の出番が最も多く、また主役らしい活躍をするのは、第三部『怪猫乱舞』だった。峠の茶店の主人から山中に妖怪が出るという話を聞き、犬飼現八が妖怪退治に乗り出すところから、映画が急に面白くなり、完全に錦之助が画面をさらっていく。随所に錦之助らしさが出ていて、セリフ回しはややぶっきら棒だが自然な調子になり、錦之助が映画の撮影に慣れてきたことをうかがわせる。とくに茶店での会話はそれがよく現れていた。錦之助が山中の洞窟まで歩いていくシーンは、錦之助一人だけのカットを何カットも繋いでいるが、セリフもなくただ颯爽と歩いている姿だけで様になっていた。化け猫が変身した赤岩一角とその亡霊を阿部九州男が熱演しているが、洞窟の中で錦之助とその亡霊が出会う場面では、あのアクの強い阿部九州男に対し、錦之助は一歩も引けを取らず、すでに主役スターの輝きを放っていた。
 錦之助の立ち回りは、第四部『血盟八剣士』のラストにもあったが、その上達が目立って見えたのは、第五部『暁の勝鬨』でのラストだった。その前に錦之助は田代百合子の浜路姫を護衛するため腰元に変装するが、これは失敗だった。錦之助は嫌がったが、会社からやれと言われて仕方なくやったそうだが、どうせやるならもっと美しい女形に変身すべきだった。第一、この役は藤里まゆみがやるべきだろう。錦之助の女装は中途半端で、男の錦之助が丸見えだった。立ち回りは、敵の本城に乗り込んで、腰元の衣裳を脱ぎ捨てるや、若武者姿の犬飼現八に戻ってから始まる。チャンバラ好きの錦之助はよほど研究したのだろう。身体の重心を下げて、刀の振り下ろしに力が加わったため、敵を斬り倒す時の迫力が以前とはだいぶ違っていた。自分から襲いかかっていくところも増やし、刀の振るい方にも変化をつけていた。ただ、相手を斬るたびに、「エイッ」と声を出して口を開けるのはどうしたものだろう。この癖だけが直っていなかった。
 後年、錦之助も語っているように、『笛吹童子』から『里見八犬傳』まで休む間もなく撮影が続いたことは、映画に慣れる上で、大変良いことだった。錦之助の勘の良さと研究心は誰もが認めることだったが、歌舞伎の演技とセリフ回しからいち早く脱却し、映画俳優として加速度的に進歩していったのは、連日連夜撮影に追われている中でのことだった。



中村錦之助伝~アイドルスター誕生(2)

2013-02-23 19:04:32 | 里見八犬傳
 ゴールデンウィークの連休が明けた頃、錦之助は自分でも信じられないほど有名になっていた。京都撮影所へ毎日ファンレターが届く。東映本社からも転送されて来る。また、どこで住所を調べたのか、東京の三河台の実家へもレターが届くようになっていた。その数が日を追うごとに増え、一日五十通を越えるほどになった。ほとんどが十代の子供たちからで、女の子からのレターがその大半を占めていた。こんなことは歌舞伎時代にはなかったことだった。錦之助は今更ながら映画というものの影響力の大きさに驚き、たどたどしい字で書かれた子供たちからの励ましの言葉に胸を熱くした。
『笛吹童子』での錦之助は、子供たちにとって親しみやすい兄のようなイメージだった。きりっとして品が良く、やさしさが溢れていて、こんな兄貴がいたらどんなに素晴らしいだろうと少年少女たちは錦之助に憧れた。『唄しぐれ おしどり若衆』で錦之助が扮した指方龍之丞という前髪若衆は、菊丸とはまた違った魅力だった。颯爽とした青年剣士で、強くて美しかった。少年たちは錦之助の強さと勇ましさに心を躍らせ、少女たちは錦之助のみずみずしい若さと美しさに胸をときめかせた。
『笛吹童子』の人気が、錦之助の人気に変わったのである。錦之助はまたたく間に子供たちのアイドルになった。
「錦之助と千代之介をうちのスターにするんや。それには二人の顔が毎週出るようにせなあかん」と、マキノ光雄は製作部のスタッフに号令をかけた。マキノは一気に錦之助と千代之介を売り出しにかかかる作戦に出た。
 
 娯楽版の『里見八犬傳』は五部作になり、6月第一週から7月第一週までの五週間、ぶっ続けで上映することになった。脚本は村松道平が書き、監督は河野寿一である。主演は千代之介と錦之助(クレジットタイトルには出演者の最初に二人の名前が並んで出るが、第一部は千代之介が右側、第二部は錦之助が右側、そして第三部以降も不公平なく左右交互に出した)。助演者には『笛吹童子』にも出演した田代百合子、小金井修、島田照夫(片岡栄二郎)を加え、それに小柴幹治(三条雅也)、月形哲之介、千原しのぶ、藤里まゆみ、石井一雄(東宮秀樹)、林玉緒(中村玉緒)など、ずらっと若手を揃えた。
 中篇五部作は、本篇二本半にあたる。これを5月から6月半ばまでの五週間で次々に撮り上げていかなければならない。強行撮影となるのは必至であった。
 監督以下スタッフは馬車馬のように働いた。『笛吹童子』が当って気勢が上がり、撮影所全体に活気がみなぎっていた。カツドウ屋が喜び勇んで活動を開始したのだった。出演者もめまぐるしいほどの忙しさだった。錦之助の犬飼現八は第一部のラストからの登場だったが、千代之介の犬塚信乃と城の屋根で対決する前後のシーンを撮影した時のスケジュールはすさまじいものだった。錦之助はその時のことをこう書いている。
「セットで四晩徹夜し、四晩目の夜中三時ごろ終るや、直ちにロケバスで姫路へ。ロケバスの中で腰かけながら寝て、姫路に着くや直ちに日一杯ロケーション。暮れてくると再びロケバスで京都へ。京都で矢つぎばやにセット入り、次の朝までぶっつづけに撮影して、朝二、三時間休んで再び撮影。まったくもってすごい強行撮影でしたが、気が張っている時はこわいもので、病気一つしませんでした」
 東映京都撮影所の製作課長は岡田茂だった。当時まだ二十代後半、エネルギッシュに現場での陣頭指揮に当っていた。朝早くロケバスが姫路へ出発する時、岡田は玄関に見送りに出た。錦之助と千代之介が立っていた。二人とも目を真っ赤に充血させている。錦之助は岡田をにらめつけるように見て、
「四日も徹夜で、もう動く元気もないよ。五、六時間だけでも寝かせてくれよ。じゃないと、おれたち死んじゃうよ」
「バスの中でゆっくり寝ていってくださいよ、さあ」と、岡田は言うと、二人をバスに押し込んだ。



中村錦之助伝~アイドルスター誕生(1)

2013-02-20 03:15:54 | 里見八犬傳
 錦之助は、『笛吹童子』が終ると、三日ほど休んですぐに『里見八犬傳』の撮影に入った。
『里見八犬傳』への出演は、『笛吹童子 第一部』が封切られ、ヒットすると急遽決まったことだった。福島通人からは、当初、『笛吹童子』三部作と『唄しぐれ おしどり若衆』に出演するようにという指示だけで、そのあとの話はなかった。それが、まだ『笛吹童子』がアップしないうちに、錦之助は山崎所長に呼ばれた。
「次はこれに出演してもらいたいんだけど、どうかなあ」と、山崎は新しい脚本を差し出しながら錦之助に尋ねた。
「へー、『里見八犬傳』ですか。いいですけど、福島さんの方は大丈夫ですか」
「福島さんにはマキノ部長が東京で話をすると言ってるから、心配ないよ」
 それで、錦之助は引き受けた。再び千代之介との共演で、千代之介は犬塚信乃、錦之助は犬飼現八の役だった。

 錦之助を『笛吹童子』と『唄しぐれ おしどり若衆』の主役に抜擢したのはマキノ光雄の決断だったが、マキノ自身、錦之助の評判がこれほどまでに上がるとは、実のところ思っていなかった。そこそこ評判が良ければ、いずれまた使ってみようという程度にすぎなかった。それが、どうしたものか、めったに俳優を褒めないキャメラマンの三木滋人が初日の撮影で錦之助を褒めちぎったというし、スタッフの間にも、まるで新しいスターが誕生するかのような期待が膨らんでいる。マキノは早速京都へ赴き、試写室でラッシュを見た。これは、もしかすると、とマキノは思った。そして、『笛吹童子 第一部』が封切られると、大入りで、錦之助の評判も良い。すぐにマキノは手を打った。『里見八犬傳』の犬飼現八役に錦之助を登用したのだった。
 マキノは新芸術プロ社長の福島通人にもすぐに連絡を取り、錦之助出演の了解を得た。マキノの肚のうちではすでに、錦之助を東映の専属俳優にしようという意志が固まっていた。福島の話では、錦之助はまだ新芸術プロと専属契約は結んでいない。千載一遇のチャンスである。錦之助という大魚を絶対に釣り落としてはならない。そこで、マキノは錦之助を東映京都撮影所という池から出さないようにした。強行撮影を続けさせ、東京へも帰ることができないようにした。
 マキノ光雄という男は、手練手管に長けたプロデューサーだった。他人には豪放磊落のように見え、また彼自身そのように振舞っていたところもあるが、事を進めるに当っては、細心にして密だった。人心掌握術も心得ていた。東映との専属契約を錦之助が快諾するように仕向けるにはどうすればよいか。その決め手を考えた。まず、東映の重役スター片岡千恵蔵にわざわざ相談した。もちろん、千恵蔵主演の『悪魔が来りて笛を吹く』を褒めることも忘れなかった。
「千恵さん、おかげさんで第一週、よう入りましたわ。やっぱり千恵さんの金田一は最高や」
「そうか。大入りだったってな」と言う千恵蔵は満足そうだった。
 それからマキノはおもむろに、
「実は、頼みたいことがあるんや」
「なんだよ、光ちゃん」
「こないだ娯楽版で使った錦之助な、東映の専属にしたいと思うとるんやけど、いっぺん見てくれないか。千恵さんの意見、聞いてから決めたいんや」
 千恵蔵もマキノにそう言われて頼られると、悪い気はしない。セットを覘いてみようということになった。
 千恵蔵が『里見八犬傳』のセットに現れたのはその日のうちだった。
 千恵蔵は錦之助を一目見て、若い頃の自分に似ているような気がした。体当たりで何かにぶつかっていくような覇気がある。
 隣りで見ていたマキノに千恵蔵は、ぼそっと言った。
「光ちゃん、いいじゃないか」

 その日の撮影が終って、マキノは錦之助と会った。錦之助は、千恵蔵が自分の方を見ていたのに気づいていた。撮影中だったこともあり、千恵蔵とは簡単に挨拶しただけで済ませたが、錦之助は千恵蔵が自分のことをどう思ったか、非常に気になっていた。
 マキノは開口一番、こう言った。
「御大がえろう褒めてはったで。すぐに東映に入ってもらわなあかん、と言うんや」
「ほんとですか!」
 大スターの千恵蔵が自分を見に来てくれて、東映入りを勧めたというのだ。それを聞いて、錦之助は感激した。
「どうやろ、東映と契約、結んでもらえんやろか。わしもスタッフもみんな望んでることなんや。頼むわ」と、マキノは錦之助の目を見つめて懇願するように言った。 
 この時、錦之助は東映と専属契約を結ぼうと心に決めた。が、新芸術プロの福島社長への義理もあり、また、契約料のことで母ひなと相談しなければならないと思い、即答は避けた。
 そのあと、福島通人も錦之助のもとへ東京から電話をかけてきて、ぜひ専属になってほしいと錦之助を説得したが、遅かった。錦之助は福島に謝った。福島も最初から専属契約を結んでおけば良かったと後悔したが、後の祭りだった。
 昭和二十九年五月半ば、結局、錦之助は絶好の条件で東映と専属契約を結んだ。