ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 田中浩著 「ホッブス」 (岩波新書 2016年2月)

2017年05月11日 | 書評
民主主義的近代国家論の基礎となったホッブスの政治理論 第9回

2) 近代国家論の誕生ー「市民論」、「リヴァイサン」 (その3)

 「リヴァイサン」(1651年)
ボシュエが近代フランス語の創始者なら、ホッブスは近代英語の創始者と言われる。「リヴァイサン」は平易な英語で書かれた。「リヴァイサン」を一言で言うと、近代国家の原理を最初に系統化した国家理論の書である。「リヴァイサン」の最大の功績は生命の安全を達成するための社会契約論を構築したことである。ホッブスの社会契約論では、国家の基本的構成単位は「人間」である。カトリック教会や教皇から国家を解放し、国家と宗教を切り離す一大偉業をやってのけた。その背景には「マグナカルタ」以来のイギリスの民主主義の発展があった。リヴァイサンの構成は、第1部「人間について」、第2部「コモンウエルスについて」(国家論、政治社会論、主権論)、第3部「キリスト教のコモンウエルス」、第4部「暗黒の王国」となっており、「法の原理」や「市民論」を内容的に発展させ体系化したものであるが、宗教と政治に関する部分が多くなっている。第1部と第2部は近代国家論の原理と形成、第3部と第4部は聖書学である。「市民論」は「自然状態」から話を進めるが、「リヴァイサン」は「法の原理」と同じように、人間本性部分を繰り返して、そこから自己保存のために自然状態からコモンウエルスの設立に移る必要性が述べられる。人間本性は「十戒」のようなもので、命を守ることが最高善に設定されることがホッブスの自然法論の最大の特徴である。「主権者には強い力を与えよ」ということは、当時のイギリスの国情をあらわしているように見える。福沢諭吉の「文明論之概略で強調された、弱い国力では他国に侵略され独立を保てないという懸念と同じである。イギリスで常備軍が整備されたのは18世紀以降のことである。いずれにせよ近代国家には人民の生命と自由を守るための権力が必要である。民主主義の原理が、国民全体にいきわたっているかが最も大切なことである。時の権力者の恣意によって「法と制度」は、緊急事態とかによっていくらでも変えられる危険性があるからである。現在の議会制民主主義国家では、議会が国民の利益を代表しているとされる。大衆社会では国益と人民の利益には様々な矛盾と衝突が起きる。オーストリアの法学者ケルゼンはこれを「代表の擬制概念」と呼んだ。そして選挙で議会の多数意見を作るというが、議会の多数派意見が必ずしも国民の意見を時間差なしに代表しているとは言えない時には「直接民主主義方式(国民投票、リコール)」が採られる。ホッブスの時代はまだ議会民主主義制度が十分発展しておらず、代表とは誰の意見を代表するのかはっきりしなかった。権力の抑制は社会契約の原理によって担保できるとされた。ホッブスの政治学で問題とされるのが「主権者には抵抗してはいけない」という文言である。これに対してロックの「抵抗権」が対比される。ホッブスは二重権力の存在は混乱の原因だと考えていたからこういう文言が出てきたのであって、ホッブスの政治学の原理からは生命の保存、自然権から「個人的抵抗権」は当然容認されてる。ロックも名誉革命(1688年)を擁護して、人民全体の生命の危険があったときのみ反乱は正統化されるという。「リヴァイサン」第3部「キリスト教のコモンウエルス」の中で、ローマ教皇とカトリック教会を徹底的に批判した。メシア救世主の再来までは自然法思想でなんとかやっていけると考えた。理性の戒律である自然法とともに、すべての人民が政治的主権者の命令(法律)に従うことが必要であるという。各国の最高権力者である主権者が、聖俗両方の支配者であるとホッブスが述べている。国家と教会ひいては国家と宗教の分離と共存の論理を展開し、近代政治思想の基礎を築いた。第4部「暗黒の王国」は聖書論であるので、ここではもう述べない。

(つづく)