ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 田中浩著 「ホッブス」 (岩波新書 2016年2月)

2017年05月10日 | 書評
民主主義的近代国家論の基礎となったホッブスの政治理論 第8回

2) 近代国家論の誕生ー「市民論」、「リヴァイサン」 (その2)

 「市民論」(1642年)
「市民論」は18章からなり、第1から第4章までは「自由について」、第5章から第14章は「統治について」、第15章から第18章は「宗教と国家について」となって、分量でいうと「法の原理」の2倍くらいである。内容的には「法の原理」とほとんど同じであるが、イギリス人だけでなく欧州全体の統治者と人民に対して「正しい政治とは何か」を分かりやすく解説したものである。民主主義の原理、すなわち権力の基礎は人民の契約に基づいているという「人民主権論」を正当化した「社会契約論」について述べている。「社会契約論」はホッブス、ロック、ルソーなどの近代の代表的思想家によってとなえられたものと考えがちだが、実のこの考えはギリシャ時代のエピクロスの政治思想に見られる。ローマ共和国のキケロから中世のルクレチウスを経て、ルネッサンス期に受け継がれ17世紀に入ってガッサンディによって再生された。そして、社会契約説論が「人民主権論」として近代民主主義の政治原理にまでなったのはホッブスによってである。なぜホッブスかというとイギリスのピューリタン革命に遭遇して、「二重権力論」を克服してはるかに民主的なものに高められたからである。イギリスで「社会契約論」を用いて政治論を論じたのはホッブスとフィルマ―(1589-1653年)であった。フィルマ―は「権利の請願」(1628年)を前にして国王権力絶対化の理論を構築した。家父長制を根拠にしてその延長に国王の権利を祀りあげた。この家父長制論を真っ向から粉砕したのはロックの「統治二論」(1689年)であった。フィルマ―は権力の基礎ないし起源は人々の同意による。従って人間はそお統治形態を自由に選択できるという点で近代的な政治理論、すなわち「社会契約論」であった。この「社会契約論」は欧州大陸ではホッブスより半世紀も早く、絶対君主とローマ教皇との対立の際に用いられた。スペインのジェズイットの宣教師スアレス、モリーナ、マリアナなどの「サラマンカ学派」はローマ教会の権威と財産を暴君から守るために「社会家約説」により正当化した。さらのイタリア、イングランドのジェズイットも法王の権威は世俗的政府の権威より優先するとした。16-17世紀の全欧州における宗教改革以来のローマ教皇と各国の世俗的主権者の争いにおいてフィルマ―は国王の権力は人民の選択によるとしてジェズイット派を攻撃し、ホッブスは神が優先するか人が優先化の問題に対して、最終決着をつけるために「人間による、人間のための」権力の代表の社会契約論を再生した。ホッブスの政治理論で最も論争点となるのは、代表(主権者、最高権力者)にはコモンウエルスの安全を図り、人々の生命の安全を図るために強い力を与えなければならないし、又代表には反抗してはいけないという文言である。これはホッブスが絶対的君主を擁護しているに見えるが、カルヴィン主義の「抵抗権」理論(暴君には抵抗しても良い)は教会の中世的権力は世俗国王の権力に反抗しても良いことである。ノックス、ランゲ。モルネ、ブカナン、アルトジウス、グロティウスらは「反抗の権利」や「暴君の殺害」を公然と訴えたし、所有権や財産権という自然権は国王たりとも犯せないという立場である。こうしたジェズイットとカルヴィンは野理論は、国王の権力は人民の同意によってつくられたものであるという共通点を持っていた。しかしジェズイット派は神の集団であるカトリック教会や教皇の権威が世俗的各国君主に対して優越するという論理を展開した。カルヴィン派は、人民の君主に対する反抗権を主張した。ホッブスの政治学は「社会契約論」と「国家と宗教との関係」という二つの部分を解明して、世界初の「近代的国家論」を構築するものである。神の世界が優先するという宗教優先理論に対しては、ホッブスは「主権者権力」が絶対であるとして、それが宗教権力に優先するとした。すなわちホッブスは、権力の基礎は「人民の同意」によるという社会契約論を主張しただけでなく、国家の宗教からの解放という課題を提唱したのである。ここで真に近代国家論の創設者たりうる資格がホッブスにある。宗教界がホッブスを無神論者だと攻撃する理由もここにある。それに対してホッブスは「キリストが救世主である」点だけで結束しようと呼びかけた聖書主義の立場をとった。

(つづく)