ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 田中浩著 「ホッブス」 (岩波新書 2016年2月)

2017年05月08日 | 書評
民主主義的近代国家論の基礎となったホッブスの政治理論 第6回

1) ホッブス政治学の確立ー「法の原理」 (その2)

「法の原理」(1640年)
「法の原理」の内容は、第1部「自立的人格としての人間について」、第2部「政治体としての人間について」となっている。第1部で人間の本性を分析し人間にとっての最高善は「生命の安全」にあること、そのためには人間が力を合わせて「共通権力」を作り、「自然権」を放棄して、共通権力を作ることを契約した全員の多数決で「代表(主権者)を選び、代表の作る法律に従って平和に生きることを述べている。第2部は「宗教と政治」の問題の解決策を述べている。ではどのようにして「国王大権論」でもなく「制限・混合王政論」でもない政治学を組み立てるのであろうか。ホッブスは古代ギリシャ末期の思想家エピクロスの政治学を用いて、ピューリタン革命期の王権と議会の対立の解消をはかる、新しい「近代国家論」の原理を提唱する。ドイツの哲学者ディルタイやカッシーラらはホッブスの思想にはエピクロス的性格があると指摘している。ベイリの「エピクロス」(1926年)を読むと、人間の本性、自己保存本能、自然状態、自然権、自然法、社会契約などエピクロスの理論はホッブスの政治学や国家論とほとんど同じであることが分かると著者は指摘する。ホッブスは、ヨーロッパ中世社会における市街的思想であるキリスト教思想に対抗する最強の思想としてエピクロスの哲学を採用したとみられる。「自然法」と「市民法」を組み合わせて「生命の安全」と「国家の安全」を体系描いた政治学はそれまで存在しなかった。ホッブスが近代国家論の創始者と言われるのはこのためである。ここでホッブスの政治学の特徴をまとめる。

① 人間中心: デカルト(1596-1650)「方法論序説」やカント「純粋理性批判」は、認識の主体は人間にあると主張した。二人は人間の主体性を主張した近代最初の哲学者と言われる。ホッブスこそが近代において人間の主体性を主張した最初の人ではないかと著者は力説する。人間が国家や社会の主体である。人間を出発点とする点ではデカルトもホッブスも無神論になる。
② 生命の安全: 人間を運動の主体として捉えると、人間にとっての最高善は「生命の安全」であるという考えにつながる。生命活動を助長する行為は善、疎外する行為は悪である。従って戦争は最高の悪である。
③ 自然状態: ホッブスは国家や法もないエピクロス的「自然状態」を持ってきた。それは人間の生命の安全を図るうえで国家を作ることが必要なわけを説明するためである。自然状態はもともと平和であるが、人間の本性には欲望がありこれが紛争の原因をなす。「万人の万人に対する闘争状態」という「自然状態」を出発点として、ホッブスは不安定な闘争状態から人間が主体的に抜け出す方法を示したのである。アリストテレスやボダンの政治学では人間は「社会的動物」であるから国家を作るとされる。
④ 自然権の放棄と社会契約: 人間は自然状態でも理性を持っているから、自分は自分で守るという「自然権」の考えを放棄し、各人が力を合わせて「共通の力」を形成する契約を結ぶ方が利口であるという考えを提案した。
⑤ コモンウエルと主権者の設立: 共通権力に参加した全員の多数決により「代表」を選び、この代表を主権者と呼ぶ。 そしてこの主権者には強い力を与えるのである。ホッブスの主権者は後のルソーの「一般意思」と同じく国民主権主義に支えられている。こうしてホッブスは人間が「自分の生命を守るため」には強制力を持つ国家を形成することが必要であるという近代国家論の原理を提示した。
⑥ 政治と宗教の問題: ホッブスは原理主義に陥りやすい宗派の争いを憂慮し、「イエスは救い主である」という点において和解せよと呼びかける。のちの「宗教の自由」という考えに行き着くのであろうが、ホッブスから200年後J・Sミルの「自由論」(1859年まで待つ必要があった。キリスト教国家においては教会が主権国家に干渉する行為を否定している。ホッブスは「個人の自由」と「生命の安全」を保持するという「近代国家の原理」を構築したのである。

(つづく)