tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

掛川宿から見附宿まで歩く

2018-05-22 19:04:45 | 東海道五十三次の旅
5月22日(火)
青空が眩しい夏のような一日でした。
東海道散歩から帰って一週間、そろそろ行った先々を忘れかけておりますのでまとめてみました。

   
   東名高速より

富士山がお出迎えです。バスで着いたところは、前回のゴール地点でした。

   
   事任八幡宮

何でも願い事を引き受けてくれるという八幡様です。ここで旅の安全をお願いして出発です。

   
   伊達方一里塚跡

江戸から55番目の一里塚跡です。

   
   葛川一里塚跡

江戸から56番目の一里塚跡です。
黙々と4キロ歩いたことになります。

   
   七曲がり

掛川城下に入ると、この七曲がりがあります。城に中々到達できないようにと工夫された道だそうですが、現代ではこれ位の事ではと思ってしまいます。

   
   お菓子屋さん

丁葛という屋号のお菓子屋さんは、江戸時代から続いております。
葛湯が有名だそうです。

   
   ヘンミィの墓

長崎オランダ商館の使節団の中の、ゲイスベルト・ヘンミィという方がここで亡くなったので、洋式の石の棺を作って葬ったといわれている。

   
   大手門

掛川城の大手門ですが、再建されたものです。

   
   天守閣

掛川城は、再建された城ですが、木造で再建された珍しいお城です。
図面も残っていなかったので、山内一豊が築いた城ですので、後の一豊が入った高知城を参考に作ったそうですので、なるほど高知城によく似ておりました。

   
   大日本報徳社

二宮尊徳の思想を受け継いだ団体の総本部だそうで、今でも日本の財界政界の方達協賛者が多いそうです。

      
   一豊と千代

これが銀行の壁です。

   
   案内板

東海道と十九首塚という恐ろしい名前の場所の案内板です。

   
   十九首塚

天慶の乱出敗れた平将門の首を京都に輸送する際に、この場所で京都からの検視役と出合ったためここで首実検をして、首を近くの川の橋にさらしたそうです。
これを村人が手厚く葬ったのが「十九首塚」です。
近くの橋は、「将門橋」という名前が付いております。

   
   大池一里塚跡

江戸から57番目の一里塚跡です。

   
   一号線

日本橋から230キロです。
旧東海道は入り組んでいるので、距離はもっとずっとあると思います。


   松並木

そろそろ夕方になって来ました。
ホテルを目指して歩いております。
第一日目が終わりました。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« イブキトラノウが咲き始めて... | トップ | 帛紗さばきを中心に・・・ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。