5月22日(火)
青空が眩しい夏のような一日でした。
東海道散歩から帰って一週間、そろそろ行った先々を忘れかけておりますのでまとめてみました。
東名高速より
富士山がお出迎えです。バスで着いたところは、前回のゴール地点でした。
事任八幡宮
何でも願い事を引き受けてくれるという八幡様です。ここで旅の安全をお願いして出発です。
伊達方一里塚跡
江戸から55番目の一里塚跡です。
葛川一里塚跡
江戸から56番目の一里塚跡です。
黙々と4キロ歩いたことになります。
七曲がり
掛川城下に入ると、この七曲がりがあります。城に中々到達できないようにと工夫された道だそうですが、現代ではこれ位の事ではと思ってしまいます。
お菓子屋さん
丁葛という屋号のお菓子屋さんは、江戸時代から続いております。
葛湯が有名だそうです。
ヘンミィの墓
長崎オランダ商館の使節団の中の、ゲイスベルト・ヘンミィという方がここで亡くなったので、洋式の石の棺を作って葬ったといわれている。
大手門
掛川城の大手門ですが、再建されたものです。
天守閣
掛川城は、再建された城ですが、木造で再建された珍しいお城です。
図面も残っていなかったので、山内一豊が築いた城ですので、後の一豊が入った高知城を参考に作ったそうですので、なるほど高知城によく似ておりました。
大日本報徳社
二宮尊徳の思想を受け継いだ団体の総本部だそうで、今でも日本の財界政界の方達協賛者が多いそうです。
一豊と千代
これが銀行の壁です。
案内板
東海道と十九首塚という恐ろしい名前の場所の案内板です。
十九首塚
天慶の乱出敗れた平将門の首を京都に輸送する際に、この場所で京都からの検視役と出合ったためここで首実検をして、首を近くの川の橋にさらしたそうです。
これを村人が手厚く葬ったのが「十九首塚」です。
近くの橋は、「将門橋」という名前が付いております。
大池一里塚跡
江戸から57番目の一里塚跡です。
一号線
日本橋から230キロです。
旧東海道は入り組んでいるので、距離はもっとずっとあると思います。
松並木
そろそろ夕方になって来ました。
ホテルを目指して歩いております。
第一日目が終わりました。
青空が眩しい夏のような一日でした。
東海道散歩から帰って一週間、そろそろ行った先々を忘れかけておりますのでまとめてみました。
東名高速より
富士山がお出迎えです。バスで着いたところは、前回のゴール地点でした。
事任八幡宮
何でも願い事を引き受けてくれるという八幡様です。ここで旅の安全をお願いして出発です。
伊達方一里塚跡
江戸から55番目の一里塚跡です。
葛川一里塚跡
江戸から56番目の一里塚跡です。
黙々と4キロ歩いたことになります。
七曲がり
掛川城下に入ると、この七曲がりがあります。城に中々到達できないようにと工夫された道だそうですが、現代ではこれ位の事ではと思ってしまいます。
お菓子屋さん
丁葛という屋号のお菓子屋さんは、江戸時代から続いております。
葛湯が有名だそうです。
ヘンミィの墓
長崎オランダ商館の使節団の中の、ゲイスベルト・ヘンミィという方がここで亡くなったので、洋式の石の棺を作って葬ったといわれている。
大手門
掛川城の大手門ですが、再建されたものです。
天守閣
掛川城は、再建された城ですが、木造で再建された珍しいお城です。
図面も残っていなかったので、山内一豊が築いた城ですので、後の一豊が入った高知城を参考に作ったそうですので、なるほど高知城によく似ておりました。
大日本報徳社
二宮尊徳の思想を受け継いだ団体の総本部だそうで、今でも日本の財界政界の方達協賛者が多いそうです。
一豊と千代
これが銀行の壁です。
案内板
東海道と十九首塚という恐ろしい名前の場所の案内板です。
十九首塚
天慶の乱出敗れた平将門の首を京都に輸送する際に、この場所で京都からの検視役と出合ったためここで首実検をして、首を近くの川の橋にさらしたそうです。
これを村人が手厚く葬ったのが「十九首塚」です。
近くの橋は、「将門橋」という名前が付いております。
大池一里塚跡
江戸から57番目の一里塚跡です。
一号線
日本橋から230キロです。
旧東海道は入り組んでいるので、距離はもっとずっとあると思います。
松並木
そろそろ夕方になって来ました。
ホテルを目指して歩いております。
第一日目が終わりました。