大寄せのお茶会では、軸・香合・花を床の間に飾ります。茶席に入ってお客様は床の間を拝見して今日のお茶会の趣向に思いを巡らします。花と香合を取り合わせた仮想茶会を開いてみたいと思います。。
笛の香合ですが、この爽やかな時期によく使われます。それはある人物を想像させる重要な品であるからです。
遠く遥か昔の源平の合戦までさかのぼります。平家の公達「平敦盛」を思いださないでしょうか。
平敦盛は、一の谷合戦当時16歳、平家物語にも語られる際立った美少年であったといわれております。敦盛は笛の名手として知られ、祖父の忠盛(ただもり)が鳥羽院から賜った名笛「小枝(さえだ)」は、父の経盛(つねもり)へ、経盛から敦盛へと代々受け継がれておりました。敦盛は武士というより、平安朝の貴公子のような少年であったと伝えられております。
謡曲「敦盛」といわれて直ぐに思い出せる人は少ないかも知れませんが、織田信長が桶狭間出陣の前に「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり・・・」と謡い舞って出陣した時の一節が「敦盛」なのです。
謡曲「敦盛」は、一の谷の戦いで少年敦盛を討った熊谷直実は、無常を感じ出家して蓮生と改め、菩提を弔うために古戦場を尋ねると、敦盛の霊が草刈男の姿で現れ迎えてくれるのです。
蓮生法師はひたすら回向を続けながらまどろむと夢の中に、華やかな姿で現れた敦盛が、一門没落の運命の中にも忘れかねる歓楽の日々があった事や、戦いの有様を物語り、憎き敵を討とうとしますが、敵蓮生法師の日々の回向に感謝し、共に極楽往生の出来ることを喜びつつ消え去るという物語です。
床の間の花は「クマガイ草」です。名前の由来は、源平時代から、戦場で馬上の武士が疾走すると背中につけた布が膨らみ、その形が此花の唇弁に似ていることからの命名だそうです。その布は母衣といい、連絡将校のお役目を持った武将が背中に背負っていた大変名誉なことであったそうです。また、母衣は後からの矢を防いでいたといわれております。
笛の銘ですが、平家物語では「小枝」とありますが、伝えられているのは「青葉」ですが、やはり「青葉」といったほうが分かりやすいかと思います。さて、どちらなのでしょうか?
香合と花だけで、遠い古の物語を思い浮かべられるのも、お茶の楽しみのひとつかも知れません。
笛の香合ですが、この爽やかな時期によく使われます。それはある人物を想像させる重要な品であるからです。
遠く遥か昔の源平の合戦までさかのぼります。平家の公達「平敦盛」を思いださないでしょうか。
平敦盛は、一の谷合戦当時16歳、平家物語にも語られる際立った美少年であったといわれております。敦盛は笛の名手として知られ、祖父の忠盛(ただもり)が鳥羽院から賜った名笛「小枝(さえだ)」は、父の経盛(つねもり)へ、経盛から敦盛へと代々受け継がれておりました。敦盛は武士というより、平安朝の貴公子のような少年であったと伝えられております。
謡曲「敦盛」といわれて直ぐに思い出せる人は少ないかも知れませんが、織田信長が桶狭間出陣の前に「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり・・・」と謡い舞って出陣した時の一節が「敦盛」なのです。
謡曲「敦盛」は、一の谷の戦いで少年敦盛を討った熊谷直実は、無常を感じ出家して蓮生と改め、菩提を弔うために古戦場を尋ねると、敦盛の霊が草刈男の姿で現れ迎えてくれるのです。
蓮生法師はひたすら回向を続けながらまどろむと夢の中に、華やかな姿で現れた敦盛が、一門没落の運命の中にも忘れかねる歓楽の日々があった事や、戦いの有様を物語り、憎き敵を討とうとしますが、敵蓮生法師の日々の回向に感謝し、共に極楽往生の出来ることを喜びつつ消え去るという物語です。
床の間の花は「クマガイ草」です。名前の由来は、源平時代から、戦場で馬上の武士が疾走すると背中につけた布が膨らみ、その形が此花の唇弁に似ていることからの命名だそうです。その布は母衣といい、連絡将校のお役目を持った武将が背中に背負っていた大変名誉なことであったそうです。また、母衣は後からの矢を防いでいたといわれております。
笛の銘ですが、平家物語では「小枝」とありますが、伝えられているのは「青葉」ですが、やはり「青葉」といったほうが分かりやすいかと思います。さて、どちらなのでしょうか?
香合と花だけで、遠い古の物語を思い浮かべられるのも、お茶の楽しみのひとつかも知れません。