tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

下北半島を巡る旅 -5-

2014-05-29 18:29:27 | 日常雑感
5月29日(木)
午前中の爽やかなお天気が午後から一変してヒョウ交じりの凄い雨が降り出しました。
そして数分後にはお日様が顔をのぞかせるという目まぐるしさで、夕方には嘘のような青空が広がっております。
変なお天気です。

今日は、下北半島を巡る旅の最終回にしたいと思います。

17時40分ごろに着いた宿は、むつグランドホテルで、斗南藩が命名した「斗南の丘」に建っております。
今ではむつ市のランドマーク的なホテルです。

予約する時に最上階の部屋をお願いしましておりましたので、希望通り一番上の階の部屋でした。

   

   むつグランドホテル (HPより)

丘の上で尚最上階ですから見晴らしは素晴らしく、むつ市街はもちろん斗南磐梯山全体が見渡せる素晴らしいロケーションです。
そしてホテル自慢の温泉も「斗南温泉」と名付けられております。

部屋から温泉は別棟になっておりますが、その廊下伝いに、斗南藩士の子孫が提供した、貴重な写真や軸、そして、日用品などが展示されていたのには驚きました。
ホテル側も、建設された場所が、斗南藩の本居地となるはずだった丘であることを十分理解しての建設であったようです。

   
   
   朝食

8時30分朝食を済ませて横浜町の菜の花を目指して出発です。
横浜町は昔から菜の花で有名なところで、いつの日か行きたいとずっと思っていたところですので、やっと実現いたしました。

   

   菜の花と風車

ここで栽培されている菜の花は、東京ドーム25個分といいますが、年々作付面積は少なくなっているそうです。
それでも見渡す限りの菜の花は菜の花好きの私たちを十分満足させてくれました。

現金収入の少なかった頃、菜種油を取るために始めたそうですが、今では菜の花が町おこしの一翼を担い、多彩なイベントなどを開催して菜の花の町として、横浜町を支えております。

ここで2時間を取っておりましたが、少し雨模様という事もあり、早々に切り上げて次の目的地の八戸を目指しました。

八戸まで90キロで、今回の旅では一番のロングドライブになりました。
10時に横浜町を出ましたので、12時頃には着くはずです。

横浜町から峠を越えて太平洋側へ出て、大小の湖を渡り順調なドライブですが途中高い金網のフェンスが長々と続くところなど、民家らしいものは見渡らない寒々とした光景が続いておりました。
昼食でも取りながらゆっくりと八戸へと思っておりましたが、カーナビが案内するところは海辺の工場が立ち並ぶ所ばかりですので、食堂など見渡らないまま、蕪島に到着してしまいました。
1時間50分くらいでした。

   

   蕪島神社

情報通りウミネコが空にも地にも・・・ビックリするほどの数です。
そして、名前の通り、蕪の花が盛りを過ぎておりましたが一面に咲いておりました。

車を止めて神社に向かうと、鳥居の脇に沢山の傘が置いてありましたので、全員にその傘を借りて差すように言い階段を上って行きました。
雨は降っておりませんでしたが、傘は差した方がいいようです。云うところの爆弾の直撃を受けないためにも・・・。

右も左もウミネコが卵を抱いております。
カメラを向けても微動だもいたしません。人に慣れ切っているようです。

   

   津波の記録

階段中ほどまで行くと、津波の到達記録のプレートがありました。
同行の誰もが「え!」と絶句。そして、改めて「こんなところまで来たんだ・・・」と、あの日を思い出しました。
今、車を止めてきたところなどひとたまりなかったでしょうに・・・。

   

   蕪島神社境内

ウミネコが卵を抱いておりますが、ここでは本物の猫は来ないのでしょうか?そんな心配が頭をかすめておりました。
ここも30分くらいで離れました。

まだ昼食を食べておりませんので、そろそろお腹も空いてきております。
近くのガソリンスタンドで給油しながら聞きましたが、この近くにはありませんというつれない返事です。

今度国立公園に指定された、種差海岸を左手に見ながら、八食センターまで行くことになりました。あそこなら確実ですから・・・。
八食センターでは1時間それぞれ別行動で散策。

アメ横みたいな感じです。
よくテレビに出てくる七輪村では買った魚を持って行くと焼いてくれるそうですが、持って行った人はおりませんでした。
それぞれ昼食を済ませて14時30分に出発です。

そして、八戸駅東口のレンタリースの店に到着、延べ500キロの行程でした。

   
   
   八戸駅東口

新幹線の乗車まで1時間くらいありましたが、皆さんお疲れのようで、ベンチに腰掛けて動こうとしません。

3日間の旅でしたが、2月頃から準備を始め、特に、八戸市の運営する「地域SNSはちみーつ」の仲間の方々に沢山の情報を頂戴して、万全を期しての旅になりました。
そして、いいタイミングで、「東奥日報」で「むつ斗南藩残照」という連載記事が始まり、たまたま担当記者の方が、はちみーつに登録しておりましたので、その記事を読ませていただく幸運にも恵まれました。

ただ汽車に乗り出かければ旅ができるのに、これ程準備と時間を要したことはありません。
お蔭様で、計画通り、時間通りの旅になりました、改めて皆さんのご厚意に感謝したいと思います。

沢山の情報ありがとうございました。
そして、私の備忘録的なブログにお付合い下さいました皆様に感謝です。
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (上毛)
2014-05-30 16:20:04
こんばんは。
いよいよ八戸にようこそ。

蕪島は、観光地らしからぬ寂しさ(?)に驚かれたことと思います。何と言っても観光の目玉が生き物ということですから、できるだけそっとしておく必要がありますからね。

ひいき目に見ると、八戸は下北半島に加え、十和田湖や陸中海岸いずれの玄関口にもあたる位置にありますから、もう少し知名度があってもいいのでは...、と思ってしまいます。

今回の旅、群馬では味わえないさまざまの「海の幸」をご堪能いただけましたでしょうか。
詳細かつ楽しく役立つレポートを、ありがとうございました。
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Unknown (続うみねこ物語)
2014-05-30 16:20:59
お疲れ様でした。
詳細なレポート、一緒に旅しているような気分でした。
見逃していたと思うのですが、これほど「斗南藩」にご興味を持たれた訳は?
返信する
Unknown (tyako)
2014-05-30 16:21:52
上毛三さん様

お蔭様で有意義な旅をすることができました。
そして斗南藩の事など、今まで解らずにいた事が今回の旅で理解することができたことが最大の収穫です。

機会があればもう一度同じコースを回って見たいと思っております。

ありがとうございました。
返信する
Unknown (tyako)
2014-05-30 16:22:48
ウミネコ物語様

始めの頃「ウミネコ物語」様のウミネコが??でしたが、少しづつ八戸のご出身であることからのネーミングだと分かりました。

今回の旅は、恐山参拝もありましたが、やはり斗南藩の事をもっと知りたい・・が一番でした。
ずっと昔まだまだ若かった頃、司馬遼太郎さんの本に出合い、その中で、「歴史は勝者の歴史で、本当の歴史は敗者を知れば分かる」という内容の話を聞きました。

そんな時に会津に行き、斗南藩の事を知りました。江戸時代に数ある大名家で国替えをされたのは会津藩だけでした。
そして、斗南藩の事を知ろうにも記録が、というより、私たちが手のできる本が全くと言っていいほど世に出ておりませんでした。
今回その意味が初めて分かりました。
斗南藩自体が、廃藩置県により1年8か月で消えてしまったからです。
そういった意味で、今回の旅は本当に有意義なものになりました。

ありがとうございました。
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