tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

茶道は究極のおもてなし文化

2014-03-17 17:38:33 | 茶の湯
3月17日(月)
春を予感させる穏やかな一日でした。
今日は予定を入れずに、朝から来る茶会に使おう、使いたいと思っている道具を出して、取り合わせをして見ました。

実際に並べて見ると、イメージして道具を組んでいたのとは違い、はっきりとしたものが見えますからこれに越した事はありません。



決まった道具

道具の取り合わせは、人それぞれの癖や考え方がありますから一概には言えませんが、私は、何と言っても、まず軸を決めてそれからです。
軸が骨格と考えて、それから、花入・香合・棚・水指・茶碗・薄器・茶杓など、それぞれの趣向に沿って道具を組み上げて行くようにしております。

道具にはそれぞれに見合った力がありますから、バランスを考えて行かないと、ちぐはぐな取り合わせになってしまうようです。
ひとつだけ跳びぬけた道具を使うと、それに見合う道具を合わせないと変な道具組になってしまいます。

一点豪華主義とでもいうのでしょうか、余り褒められたものではないようです。
茶席全体で醸し出す雰囲気をお客様に感じていただけたら最高のおもてなしになります。

このところ、例のお・も・て・な・し以来、もてはやされておりますが、お茶こそが、あらゆる作法を通して、究極のおもてなしを実践しているものだと思っております。



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2 コメント

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Unknown (やまゆり)
2014-03-18 13:03:08
「おもてなし」
例のスピーチの一件から、妙に言葉だけが独り歩きしてしまっているような気がします。
どこへ行っても「おもてなし」「おもてなし」で、「ただ言葉を並べ立てればいいというわけではないでしょうに・・・」と感じる私はひねくれ者です。
大事なことは「もてなす心」であって、表面上だけ取り繕っても意味がないというか・・・。

お茶を学んでいくことは「心を学ぶ」ということだと最近になってようやく気づきました。
主客共に相手を気遣うこと、お道具を大事に思うこと(扱うこと)が所作の根底にあるように感じます。

茶道の「おもてなし」は西洋の「ホスピタリーティー」とは似て非なるものなのでしょうね。
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Unknown (tyako555)
2014-03-18 17:46:05
やまゆり様
今盛んにもてはやされております。おもてなしですが、何をしておもてなしなのか??です。
媚諂うと同義語になりかねない昨今です。
相手が何を求めているかを感じ取ってこそ本当のおもてなしができるのだと思います。
親切の押し売りにならないようしたいものです。
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