アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記122・2つの映画の2つの言葉・河瀨直美監督

2020年11月08日 | 日記・エッセイ・コラム

☆2つの映画の2つの言葉

 最近観た2つの映画が印象に残っている。

 1つは、河瀨直美監督の最新作「朝が来る」(原作辻村深月)。特別養子縁組を巡って「親子とは?」「家族とは?」を問いかける。

 特別養子縁組は「子どもがほしい親が子どもを探すためのものではなく、子どもが親を探すためのもの」。それがこの映画、原作の主題だ。が、それにも増して心にしみた言葉があった。

「なかったことにしないで」

 14歳(中学生)で出産し、子どもを手放さざるをえなかった少女の内に秘めた叫びだ。これは原作にはない。河瀨監督(脚本)の創作だ。

 もう1つの映画は、2年前のベストセラー「84年生まれ キム・ジョン」(原作チョ・ナムジュ)の映画化(監督キム・ドヨン)。韓国社会の女性差別を告発したものだが、もちろん日本社会に通じる。日本でもベストセラーになったのはそのためだろう。

 最も印象に残ったのは終盤のコーヒーショップの場面だ。幼い子がコーヒーカップをひっくり返し、母親のジョンが懸命に床を拭く。それを見ていた順番待ちのサラリーマン風の男たちがジョンを「母親虫」と中傷する。その男に向かってジョンが言う。

「あなたに私の何がわかるの?!」

 ついさっき会ったばかりで話もしていないのに、私の何が分かってそんなことを言うの―怒りと悲しみの言葉だ。

 わが子を手放さざるを得なかった14歳の少女の「なかったことにしないで」。育児をしながら仕事を模索し懸命に生きる母親の「あなたに私の何が分かるの」。2つの言葉は、同じことを訴えていると思う。

 人には歩んできた足跡がある。歴史がある。年齢は関係ない。その人が今立っている場所は、その人が歩んできた道程の到達点だ。その歩みは、「なかったこと」にはできない。「今」をみているだけでは人は理解できない。その人の歩みに思いをはせなければ、人を理解することはできない。「大事なものは目に見えない」(『星の王子さま』)。

 「人」を「国」に置き換えても同じではないだろうか。

 人も国も、歩んできた道、歴史を「なかったこと」にはできない。歴史を見ずして「何が分かる?!」。

 ☆河瀨直美監督

 河瀨直美監督は、心の痛みを抱えた人に寄り添う映画をつくる監督だ。それは河瀨さん自身の幼少時代の家族関係と無関係ではないだろう。河瀨さんの作品はどれもそれが反映している。
 20年ほど前、河瀨さんがいまほど著名でないころ、作品「火垂」をめぐってインタビューしたことがある。真剣で温かい目の輝きが印象的だった。

 その河瀨監督が、「東京オリ・パラ」の公式記録映画の監督に就任したと報道で知ったときは驚いた。河瀨さんがどんな記録映画をつくるか、興味がないわけではない。
 しかし、どのような映画をつくろうと、結局は政府・五輪組織委公認の映画だ。五輪の病巣にメスを入れ、その根本を問い直すようなものにはならないだろう、できないだろう。
 優れた感性と人間性をもった稀有な映画監督だけに、残念でならない。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« コロナ禍で市民社会に浸透図... | トップ | 当事者能力疑う菅首相と安倍... »