アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

樋口陽一氏の「天皇賛美」に異議あり<下>

2017年12月19日 | 天皇制と憲法

     

 昨日に続き、東京新聞の連載記事(12月3日付)に掲載された憲法学者・樋口陽一氏(写真左)の天皇賛美を検証します。

 ③    天皇は「憲法順守」しているか。

  天皇がしばしば「憲法順守」を口にすることに対し、樋口氏は「自由や民主主義を大切にし、戦争を起こさないように、という集約的なメッセージ」だと絶賛しています。

  しかし、「憲法順守」の言葉とは裏腹に、数々の憲法無視・蹂躙を行っているのは明仁天皇自身です。

 例えば、「退位」の発端になった「ビデオメッセージ」(2016・8・8)自体、明白な政治発言・行為です(憲法第4条違反)。
 また、天皇が「象徴としての行為」と誇示してやまず、メディアもNHKを先頭に賛美し続けている「被災地訪問」も、憲法の「国事行為」を逸脱しています。

  「(「象徴としての行為」について)日本国憲法が象徴天皇に求める厳格な制限を全く逸脱した、民主的統制を免れた行為」であり「公的行為としては一切やめるべきだ。被災地に行きたいなら一市民として自由に行けばよい」(渡辺治・一橋大名誉教授、12月8日付朝日新聞)

  ④  「明君」待望論は「主権在民」に反しないか。

  かつて憲法学者の宮沢俊義が「天皇の政治的行為」を防ぐために「天皇は『ロボット』的存在」であるべきだと主張したことに対し、樋口氏は、「政府による天皇の政治利用を防ぐという意味で、今は逆にロボットにさせないことが必要だ」と述べています。

 その点に関連して「平成とは何か」と問われた樋口氏は、「明君を得て象徴天皇制を安定に向かわせた時代」だと答えています。

  これはこれまで見てきた問題発言の中でも、最も危険な発言と言えるでしょう。なぜなら、安倍政権との対比で、いわゆる「民主陣営」の中にも少なからず「明君」待望論が蔓延していると思われるからです。

 確かに安倍首相による天皇(皇室)の政治利用は目に余ります(例えば写真右は2013・4・28「沖縄屈辱の日」の政府式典で「天皇陛下万歳」を唱えた安倍氏)。
 しかし、だからといって天皇に「ロボット」にならないことを期待するのは、天皇に政治的発言・行為を求めることにほかならず、憲法第4条、さらに「国民主権」の原則に反することは明白です。

  「国民主権」こそは、樋口氏の憲法論の中核のはずです。
 樋口氏はかつて、「国民主権の採用が天皇主権の否定を意味する、という論点に関するかぎり、戦後憲法学は、比較的はやく、ほぼ共通の了解に達していた」と指摘するとともに、「憲法の運用上は、象徴天皇制が、国民主権の徹底を抑止する方向にはたらいてきた」(『講座 憲法学2』日本評論社)と警告していました。

 いま樋口氏が天皇明仁を「ロボット」でない「明君」と評価することは、象徴天皇制が「国民主権の徹底を抑止する」ことにほかならないのではないでしょうか。
 先の「明君」発言に続けて、樋口氏が「本当は明君がいらないのが国民主権の原則だが、明君に頼っているのが現状です」と付け加えているのは、「明君」待望が「国民主権」とは相いれないことを自身百も承知だからではありませんか。

  安倍首相の天皇政治利用をやめさせるのは、主権者・国民(市民)の責務です。樋口氏がその原則をあいまいするほど、「象徴天皇制」は危険な制度と言わざるをえません。

 これから2019年の「退位・即位」へ向け、安倍政権によるさまざまな「天皇・皇室キャンペーン」が行われます。学者・識者とりわけ憲法学者が、科学的な分析・主張によってその責務を果たすことが強く求められています。

 <お知らせ>

 『「象徴天皇制」を考える その過去、現在、未来』(B6判、187ページ)と題した本を自費出版しました。
 これまで当ブログに書いてきた「天皇(制)」の関するものをまとめたものです(今年10月までの分)。「天皇タブー」が蔓延する中、そしてこれから「退位・即位」に向けて「天皇キャンペーン」がさらに大々的に繰り広げられることが予想される現状に、一石を投じたいとの思いです。

 ご希望の方に1冊1000円(郵送料込み)でおわけします。郵便振り込みでお申し込みください。
 口座番号 01350-8-106405
 口座名称 鬼原悟

 

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