アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

南京大虐殺と天皇

2017年12月16日 | 天皇と戦争・戦争責任

     

 

 13日は日本帝国軍(皇軍)が国際法を無視し、中国人民を大量虐殺・強姦した末、南京市を陥落させた日から80年目でした。南京市の「南京大虐殺記念館」では「国家追悼式典」が行われました(写真左)。

 日本のメディアは、習近平国家主席があいさつしなかったことを取り上げ、本質から外れた「政局報道」に終始しました。南京大虐殺に対しては、自民党や右翼など、「30万人」という虐殺の数をめぐって歴史的事実の隠ぺいを図ろうとする動きが絶えません。

 一方、中国の識者からは、「大虐殺の有無はもはや論点ではない。(自明の意ー引用者)…中日両国は蛮行の再発防止に何をすべきかとの観点に立ち、南京大虐殺を共同研究するべきだ」(張連紅・南京大虐殺史研究会副会長、11日付琉球新報=共同)との声が出ています。

  南京大虐殺の歴史を追究し、その教訓を導き、「再発防止」に努めなければならないのは、私たち「日本人」であることは言うまでもありません。

 その際、日本ではほとんど問われることのない、南京大虐殺における天皇の責任を直視する必要があります。天皇の「代替わり」に伴って、天皇(制)美化、天皇タブーがますます広がっている今、それはとりわけ重要です。

  皇軍に「南京攻略」を命令したのは、言うまでもなく、大元帥・天皇裕仁でした。

  「一九三七年一二月一日、それまではただ編合が命令されていただけの中支那方面軍にたいし、大本営は戦闘序列を発号し、そのうえで『中支那方面軍ハ海軍ト協同シテ敵国首都南京ヲ攻略スベシ』という大陸令をくだした。戦闘序列というのは天皇の令する軍の編成のことであり、大陸令というのは、大本営陸軍部の発する天皇の命令である。この大陸令で、はじめて中国を『敵国』と呼び、首都南京の攻略を正式に命令したのである」(藤原彰著『南京の日本軍 南京大虐殺とその背景』大月書店)

  南京市とその周辺でおびただしい虐殺と強姦の蛮行が皇軍によって行われましたが、裕仁天皇はその事実・経過を詳細に把握していました。そして容認し、鼓舞しました。

  「昭和天皇は皇軍による犯罪行為について沈黙をしていた事実が残る。皇軍が南京を陥落させた瞬間まで、天皇は軍の動静を詳細に追っていたのである。また、事件の前兆があった時期を通じて、あるいは殺戮、強姦のあった全期間に、天皇は不快、憤り、遺憾を公にすることよりは、むしろ、中国に『自省』を促すという国策のもとで、大勝利に向け臣下の将軍や提督を鼓舞していたという否定しがたい事実もある」(ハーバート・ビックス著『昭和天皇上』講談社学術文庫)

  現地で南京攻略を直接指揮した松井石根大将に対し、国際的非難が轟々と湧き起こり、陸軍の中からさえ批判の声が聞かれるようになりました。そんな中、南京占領を喜び、松井大将に称賛の言葉さえ与えたのが裕仁天皇でした。

  「この日(1937年12月14日―引用者)、昭和天皇より南京占領を喜ぶ『御言葉』が下賜された。 
 陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下御言葉 中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申伝えよ。(『南京戦史資料集Ⅱ』)
 …現地軍の中央命令無視、独断専行による侵略戦争の拡大を、天皇が追認し鼓舞、激励するという構図がここにある」(笠原十九司著『南京事件』岩波新書)

  国際法上も、人道上も、史上まれにみる蛮行・南京大虐殺の最高最大の責任者が、名実ともに天皇裕仁であったことは、紛れもない歴史的事実です。

  では、その裕仁の長男、明仁天皇はまったく無関係といえるでしょうか。

 明仁天皇は父・裕仁天皇の戦争責任については、一貫して沈黙を貫き、事実上容認しています。南京大虐殺についても例外ではありません。

 明仁天皇・美智子皇后の「慰霊の旅」が、あたかも”平和の天皇”を象徴するかのように賛美されています。しかし、天皇・皇后の「慰霊」は、旧日本兵(「天皇の兵」)が対象で、皇軍が暴挙を働いた場所は避けています。「南京」もそうです。

  また、明仁天皇は「記憶しなければならない日」として、「8・6」(広島被爆)、「8・9」(長崎被爆)、「8・15」(「終戦記念日」)、「6・23」(「沖縄慰霊の日」)の4つをあげています。それもまた”平和天皇の象徴”と美化されています。しかし、この4つもまた、いずれも日本の「被害」を象徴する日です。明仁天皇が「記憶しなければならない日」の中に、日本(皇軍)の「加害」を象徴する日は1つもありません。

 本来、沖縄戦は沖縄の民衆に対する皇軍の加害を特徴としていますが、明仁天皇にその認識はありません。

 明仁天皇がほんとうに歴史に向き合うというなら、「12・13」を「記憶しなければならない日」に加えるべきではないでしょうか。

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