12日、NHKドラマ「大奥」(原作・よしながふみ、脚本・森下佳子)が最終回だった。春と秋の2部構成。いずれも力作だった。特に女性俳優陣の熱演が光った。
原作漫画、民放でのドラマ化も話題だったようだが、いずれも見ていない。徳川幕府の将軍は代々女性だった、という奇想天外な発想がしっくりこなくて敬遠していたところがあった。が、いい意味で予想を裏切られた。
「男社会」への痛烈な批判が主題であることは間違いない。
最終回、江戸城明け渡しの勝海舟と西郷隆盛の上野寛永寺での会談。あまりにも有名だが、ドラマではこの場に和宮(14代将軍家茂の妻、岸井ゆきの役)が男装で登場する。「代々女が将軍の徳川などつぶさなければ西欧列国にさげすまれる」という西郷に、和宮が言う。「これだけは覚えといて。この素晴らしい江戸の町をつくってきたのは女たちや」。同時に江戸庶民の女性たちの映像が流れる―圧巻のシーンで、ドラマのテーマが凝縮されているように思えた(写真)。
だが、このドラマで考えさせられたのは「ジェンダー」だけではない。歴史認識の問題、その危うさだ。
われわれの歴史認識は学校教育(教科書と学習指導要領)によって教え込まれる。その学校教育は、明治以降、国家権力の統制下におかれていることは言うまでもない。明治政府は薩長の藩閥権力だ。
長州閥の政治は驚くべきことに今日まで続いている。安倍晋三はその権化だった。国会の所信表明で吉田松陰を賛美したこともある。その安倍の「国葬」で菅義偉が山県有朋を引用したのは笑えない現実だ。
学校教育と共に軽視できないのが司馬遼太郎の一連の小説だ(私も『竜馬がゆく』など夢中で読んだ)。薩摩、長州出身の人物(「政治家」)に焦点を当てた「司馬史観」が日本人の近代史認識に与えている影響は小さくない。
われわれの歴史認識は、こうした薩長藩閥の明治政府以降の国家権力によってつくられてきている。徳川将軍は歴代女性だったというのはフィクションだとしても(おそらく)、「正しい」と思い込んでいる歴史(とりわけ近現代史)のどこまでが真実なのだろうか?
学校で教えられる「歴史」は国家権力のフィルター(検定・検閲)を通されたものだということを改めて肝に命じ、歴史の真実を追求し続ける必要がある、と思わせるドラマだった。
余談だが、半世紀以上も前、フジテレビ系で「大奥」というドラマがあった。思春期の夜、ドキドキしながら見た記憶がある。今思えば封建制度の江戸幕府をそのまま描いたものだ。同名ながら今日の「大奥」とは似て非なるもの。それを考えれば、時代は紆余曲折しながらも、前に進んでいるのかな、とも思う。
<今週のことば>
林カツ子さん(89歳の夜間中学生) やっと上を向いて生きられる
< 夜間中学に通う様々な年代や出身の生徒が参加する「近畿夜間中学校連合運動会」が4年ぶりに開かれた。…89歳で最高齢の天満中夜間学級の林カツ子さんは、運動会の1週間後が90歳の誕生日。「もうすぐ90歳だが、気持ちは15歳」と意気込み、円盤を指定エリアに投げ入れる競技や紅白玉入れに参加した。
戦時中に栄養失調で弱視になり、小学校を途中で断念した。大人になって家庭を築き平穏に暮らしていても、漢字をほとんど読めないことがいつも気がかりだった。「字が書けないことを周りに知られたくなくて、ずっと下を向いて生きてきた」という。
去年、夜間中学が今もあることを知り、せめて手紙ぐらい書けるようになりたいと入学。今は社会や数学の授業が楽しみだという。「90歳になって、また勉強ができる。やっと上を向いて生きられる気がします」>(15日付朝日新聞デジタル、丘文奈記者)
人間って、素晴らしい。