アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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国事行為「立皇嗣の礼」の3つの憲法違反

2020年11月05日 | 天皇制と憲法

    

 政府は今月8日、「立皇嗣の礼」を国事行為として強行しようとしています。秋篠宮を皇位継承順1位の皇嗣とすることを内外に宣告する儀式です。これを「国」の行事として行うことは絶対に容認できません。そこには少なくとも3つの憲法違反があります。

 第1に、政教分離の原則(第20条)違反です。

 同儀式は装束から手順まで、すべて神道にのっとって行われる宗教儀式です(写真左は徳仁天皇の「立太子の礼」1991・2・23)。これを国事行為として税金を支出することは、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない」(第20条)という原則に反します。

 第2に、法の下の平等原則(第14条)に反します。

 政府が同儀式を国事行為とする“根拠”は、憲法第2条「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」に基づく皇位継承だということです。その皇室典範は、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」(第1条)と定めています。

 現在の天皇制は憲法でその在り方が規定されており、天皇は国の機関です。その就任(皇位継承)資格を「男系・男子」に限定していることは明白な女性差別です。「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により…差別されない」(第14条第1項)に反することは明らかです。

 第3に、重要なのは、主権在民の原則(前文)に反していることです。

 天皇が「世襲制」であることは当然のことのように思われていますが、これは根本的に問い直す必要があります(写真右は徳仁と祖父の裕仁)。「世襲」とは何でしょうか。

 「世襲制は、本来、民主主義の理念および平等原則に反するものであるが、日本国憲法は天皇制を存続させるためには必要であると考えて、世襲制を規定した」(芦部信喜『憲法』第五版、岩波書店2011年)のです。

 それは、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」(第1条)を大原則とした大日本帝国憲法を継承するためです。なぜなら、「「萬世一系」は…純粋血脈上の意味で「世襲のもの」として存続することができてきた」(奥平康弘『「萬世一系」の研究(下)』岩波現代文庫2017年)からです。

 「世襲制」は「万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」、すなわち天皇主権と一体不可分です。それは「一般的に「君主制の標識は世襲制にある」といわれる」(中村政則氏「戦前天皇制と戦後天皇制」、歴史学研究会編『天皇と天皇制を考える』青木書店1988年所収)ことからも明白です。

 ここで銘記しなければならないのは、「国民主権の観念は、本来、君主主権との対抗関係の下で生成し、主張されてきたもので、君主主権であることは国民主権ではなく、国民主権であることは君主主権ではない、という相反する関係にある」(芦部信喜、前掲書)ことです。

 日本国憲法は「万世一系」の天皇制を残すために「世襲制」を明記しました(第2条)。しかし、それは本来、国民主権とは「相反」します。ここに、現行憲法の根本的矛盾があります。「立皇嗣の礼」の裏にはこの根本矛盾が隠されていることを見抜く必要があります。

 この根本矛盾はどうすれば解消できるか。国民主権の原則を放棄しない限り、方法は1つしかありません。天皇の「世襲制」を廃止することです。しかし「世襲制」を廃しては天皇制は存続し得ません。すなわち、主権在民の原則を守るためには、憲法から「象徴天皇制」(第1章)を削除する以外ないのです。

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