アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記251・ウトロ祈念館と自衛隊基地

2023年06月04日 | 日記・エッセイ・コラム

  

 ウトロ平和祈念館(京都府宇治市、写真左)の開館1周年記念文化祭が5月14日あった。
 あいにくの雨だったが、1階ホールからテントで前の広場につなげた会場は拍手と熱気に包まれた。

 地元の女性たちによる「ウトロ農楽隊」、宇治市在住のミュージシャン・川口真由美さんのミニコンサート、そして韓国からかけつけた市民コーラスグループ「チャムチョッタ」の熱唱など、盛りだくさんだった。

 やがて雨もやみ、広場では農楽隊と参加者の輪ができた(写真中)。ウトロ農楽隊は強制立ち退き攻撃(1987年~)との闘いの中で生まれた。中断していたが、22年4月、平和祈念館の開館とともに復活した。

「立ち退き訴訟を起こされて、ウトロのまちにはチャンゴの音が響くようになりました。若い女性たちを中心に、朝鮮の民俗音楽を演じる「農楽隊」を始めたのです。その音はきっと「ウトロはここにいますよ」という、ウトロに生きている彼女たちならではの表現でした」(田川明子平和祈念館館長、『パンフレット2022』より)

 ウトロの歴史、音楽の力、たたかう人々の美しさを実感したひとときだった。

 そんな中、平和祈念館に初めて訪れた時(3月6日)から気になっていることがある。祈念館の真向かいが陸上自衛隊の基地(大久保駐屯地)だということだ。

 文化祭を楽しむ人々の向こうに見えるのが自衛隊基地だ(写真中)。祈念館屋上から見ると、基地の道1本隔てた左側に西宇治中学校が隣接していることが分かる(写真右)。平和祈念館と自衛隊基地と中学校が肩を並べている。象徴的な光景だ。

 ウトロはもともと帝国日本の飛行場建設(1940年)のために在日朝鮮人が集められてできた地区だ。日本の敗戦によって飛行場建設は中止され、そこに連合軍が進駐(45年9月)。その後を自衛隊基地が引き継いだ(57年2月)。

 陸自大久保駐屯地の存在は、戦争によって翻弄され、敗戦後も劣悪な環境で差別されてきたウトロの歴史と不可分だ。

 平和祈念館の隣に自衛隊基地があることは決して気分のいいことではない。が、発想を変え、憲法違反の軍隊をなくし、差別をなくし、文字通りの平和を祈念し実現する決意を新たにするための反面教師と考えよう。

【今週のことば】

 遠藤周作  「老いの感受性」

「老いということには色々な定義があるだろう。しかしそれがシルバー・エイジとかゴールデン・エイジとかでないことは確かである。…しかし自分が老いてみて思うのだが、老いにもある利点がある。若いころには潜在していてまだ顕われなかった感覚が動きはじめることだ。(中略)
 「老い」は「もうひとつの世界」にたいし青年時代や壮年時代には持てなかった敏感さを私に与えてくれる。…私たち人間を包んでいる大きなもの、大きな世界、その大きな世界が我々の日常に囁きかけているかすかな声。それに耳を傾けるのが老年だと思うようになっている」
(今回韓国の旅に携行した『生き上手 死に上手』文春文庫1994年第1刷所収。遠藤周作は1996年、73歳で死去)
(私は遠藤周作と違って無宗教ですが、年を重ね、また癌の手術をして、「もうひとつの大きな世界」への関心が大きく膨らんでいます)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 仲裁拒否するウクライナ政府... | トップ | メディアの朝鮮差別報道は何... »