アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記136・「女性蔑視」断言しないメディア・「集中治療を譲る意志カード」

2021年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム

☆「女性蔑視」と断言しないメディア

 12日、森喜朗五輪組織委会長が辞任した。彼が会長を辞めたからといって世の中が変わるものではない。むしろそれで「一件落着」とばかりに東京五輪強行へ拍車がかかるなら逆行だ。

 だが、森の居直り・逃亡を許さなかったことの意味も小さくない。女性蔑視・差別は見逃さないという契機になればいい。

 ところが、そんな流れについていけてないものがある。日本のメディアだ。

 森発言を差別と断言せず「女性蔑視ととれる」と形容しているメディアがある。NHKニュースは一貫してそうだ(「時論公論」などの解説では断定している解説委員もいる)。テレビ朝日系ニュースもそうだった。

 森は12日の辞任“演説”で、問題発言を「解釈の仕方」だと尚も居直った。「女性蔑視ととれる」は「解釈の仕方」と同義だ。NHKなどは森と同じ水準だということだ。報道で見る限り、海外メディアはすべて「女性蔑視」「女性差別」と断言している、これが当たり前の感覚だ。

 森発言で日本社会のジェンダー差別があらためてクローズアップされているが、「日本社会」という漠然としたものではなく、まずはNHKをはじめとする日本のメディアの女性差別への鈍感さ、それらの組織自体の差別体質を変えていくことが急務だ。

☆「集中治療を譲る意志カード」を考える

 ずっと気になっているものがある。1月23日のニュースで紹介された「集中治療を譲る意志カード」(写真)だ。大阪の医師(65)が考案したという。こう書かれている。
「新型コロナウイルス感染症で人工呼吸器や人工肺などの高度治療を受けている時に機器が不足した場合には、私は若い人に高度医療を譲ります」
 ネットで3000件を上回る反響があり、多くは称賛の声だったという。

 大災害など切迫した局面では、救命医がやむを得ず治療の優先順位をつけることがある。トリアージだ。このカードはいわばトリアージの自己申告といえよう。称賛の声は、人への思いやり、自分を犠牲にしてでも将来のある若い人を助けようという心情に対する評価だろう。

 気持ちは分からないでもないが、はたしてその評価は妥当だろうか。

 すぐに連想したのは、先の戦争における兵士たちだ。この身を捧げて家族を守る、国を守る。そう思って、思わされて戦地へ赴いた。いま、コロナ禍を戦争に例える言説が少なくない。菅首相や小池都知事は「国難」という言葉を平気で使う。そんな状況と、この「カード」が重なる。

「高齢者」が「若い人」に治療を譲るという発想、それを称賛する風潮も肯定されるべきではないだろう。

 コロナ禍の医療ひっ迫は、歴代自民党政権の新自由主義政策と安倍・菅政権の無策の結果だ。その中での「治療の譲渡」は、国家権力が押し付ける「自己責任」論への同調ではないだろうか。
「善意」はベクトルを間違えると、意に反してとんでもない結果を招くことになる。

14日午前5時~6時、NHKEテレ「こころの時代」で、「沈黙は共犯 闘う医師」と題して、コンゴの婦人科医でノーベル平和賞受賞者、デニ・ムクウェゲさんのインタビュー番組がありました(2019年12月22日の再放送)。日本人(特に男性)はぜひ聴くべきと思いました。20日(土)午後1時から再放送があります。

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