アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

核心外した香山リカ氏の「雅子皇后論」

2022年12月19日 | 天皇制と差別・人権・民主主義
  

 雅子皇后の59歳の誕生日(12月9日)にあたり、精神科医の香山リカ氏(写真右=琉球新報より)が「療養生活 社会の「映し鏡」」と題した論考を寄稿しました(13日付中国新聞=共同配信)。
 香山氏は、雅子氏が男女雇用機会均等法施行(1986年)の翌年に外務省に入省した「均等法第1世代」だとし、こう述べています(抜粋)。

「「均等法第1世代」の女性がとくに大切にするのは「自己実現」だ。雅子皇后もこの価値観を身に付け、結婚後も「自分にしかできない公務」を探し続けたように見える。
 しかし、その雅子皇后の生真面目さこそが、「お世継ぎ」の出産や華麗な皇室ファッションなどを望む皇室内外の期待との間に齟齬を生むことになり、心身のバランスが崩れる結果を招いたのではないか」

 そしてこう結んでいます。

「皇后と言う立場になってから少しずつ公務の幅が広がり…「100%でなくてもこれでいいんだ」と今の自分自身を存分に肯定し、これからは自分の楽しみの時間も十分に取っていただきたい。一国民としてそう願うのである」

 雅子氏の才能を惜しみ、精神科医としてその療養生活を気遣う思いは伝わります。しかし、この論考には根本的な欠陥があります。それは、天皇制の2つの本質を完全に捨象していることです。

 1つは、憲法の象徴天皇制においては、皇后はもちろん皇族には政治的発言や表現の自由などの基本的人権がことごとく認められていないことです。

 もう1つは、天皇制は「皇位継承」が「男系男子」に限定され、女性皇族は「代替わり」の主要な儀式からも排除されるなど、典型的な女性差別制度だということです(写真中は女性皇族を排除して国事行為として行われる「剣璽等承継の儀」)。

 こうした天皇制の本質において、雅子氏が皇室に入った時点で、「キャリア」を生かした「自己実現」「自分にしかできない公務」など不可能なのです。雅子氏が療養生活を余儀なくされているのは、まさにこうした天皇制の差別・人権抑圧の結果にほかなりません。

 香山氏が雅子氏の病気の根源に一言も触れず、逆に雅子氏の「生真面目」のせいにし、さらに皇后としての「自分自身を存分に肯定」することを進言しているのは、たいへんな“誤診”と言わねばなりません。

 かつて、女性史研究家の鈴木裕子氏は、皇室に入って病気になった雅子氏にこう語りかけたことがあります。

「皇族の女性は基本的に「子産み機械」視され、生と性の自己決定権がなく一族の長(いうまでもなく天皇のことです)が率いる「男権家父長制大家族」の一員として、定められた役割を果たすしか与えられていないのです。

 「一族」やその取り巻きたちが「男児」を出産しないあなたを直接間接にバッシングして、そのためあなたがこの「一族」や取り巻きたちに対し、「適応障害」に陥ったのは当然といえば当然です。

 あなたは実力もあり、並外れた能力もお持ちだろうと思います。お連れ合いともども皇族をおやめになって、一家三人で別天地にお暮しになったらいかがでしょうか。そうすれば長年にわたる病も癒されるのではないでしょうか。病気の「原因」を断ち切れるのですから、すぐ良くなるはずです」(「週刊新社会」2006年9月13日号、『フェミニズム・天皇制・歴史認識』インパクト出版会2006年所収)

 香山氏と鈴木氏のどちらが的確な“診断”をしているかは明白でしょう。それは、雅子氏にとって有効は処方箋であるのみならず、日本の政治・社会にとってもきわめて有益です。

 それにしても、「民主的知識人」とみられている香山氏の天皇制肯定論は見過ごせません。
 香山氏だけではありません。望月衣塑子記者(東京新聞)は「皇室が世界に本来進むべき道を指し示す」ことを期待し(2020年6月2日のブログ参照)、落合恵子氏(作家)は天皇・皇后の娘・愛子氏に「公務にやりがいを感じ」ることを期待しています(2021年12月11日のブログ参照)。
 「反権力」とみられている女性識者の中に、天皇制への無批判・肯定論が根強くあることは、日本の「フェミニズム・民主勢力」の大きな弱点・欠陥と言わねばなりません。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日曜日記228・「死んだ後の世... | トップ | 「母性」―個人と社会と天皇制 »