アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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「南北会談」と「朝鮮学校無償化排除」

2018年04月30日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

     

 韓国と朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の歴史的な南北会談が行われた27日、朝鮮学校を高校無償化制度から排除している日本政府(安倍政権)に対する損害賠償請求訴訟の判決が名古屋地裁でありました。

  判決(福田千恵子裁判長)は、政府の差別政策を「裁量内」と追認し、原告(朝鮮学校卒業生10人)の請求を棄却する不当判決でした(写真左=朝鮮新報より)。

 同様の訴訟は全国5カ所で起こされており、これまで大阪地裁(2017年7月28日)では原告が勝訴しましたが、広島地裁(同7月19日)、東京地裁(同9月13日)で原告が敗訴しており、不当判決は今回で3回目です。残る福岡地裁判決が注目されます。

  朝鮮学校を高校無償化から排除することは憲法に反する差別・人権侵害であることはこれまでも繰り返し述べてきました(例えば2017・9・26、2018・4・24ブログ参照)。ここでは別の角度から考えます。それは、日本のメディアが今回の判決をほとんど報道しなかったことです。

  判決当日(27日)のテレビで、私が見た限り(NHK,民放、報道ステーションなど)、このニュースを報じたものは皆無でした。
 翌28日付の主要各紙(東京新聞以外は西日本版)の扱いは以下の通りです。
〇朝日新聞 第3社会面 ベタ(1段見出し)
〇東京新聞 第2社会面 ベタ
〇毎日新聞 なし
〇読売新聞 なし
〇中国新聞 第2社会面 3段
〇琉球新報・沖縄タイムス・「しんぶん赤旗」 なし

 当日の主要なニュースはいうまでもなく「南北会談」であり、それを大きく報道するのは当然です。またこの日は、財務省の「福田次官セクハラ認定」会見(南北会談にぶつけたと思えるタイミング)などのニュースもありました。しかしそれにしても、「無償化排除判決」のこの扱いは問題です。

 たんに扱いが不十分なだけではありません。そこには「無償化排除」問題に対する基本的な認識の不十分さ・誤りがあると言わざるをえません。それ自体の重大さが分かっていないとともに、この問題が「南北会談」との関連でとらえられていないからです。

 「南北会談」と「朝鮮学校無償化排除」は密接な関係があります。

 第1に、いずれも根底には日本の朝鮮侵略・植民地支配があることです。

 朝鮮半島の分断・朝鮮戦争(1950年~)の歴史的元凶が日本の植民地支配であることは言うまでもありませんが、朝鮮学校も、「在日朝鮮人が(日本の植民地支配で-引用者)奪われた言語、文化、歴史をとり戻すために、日本各地に『寺子屋』のような『国語(朝鮮語)講習所』を作り、それが徐々に学校へと発展していった」(田中宏一橋大名誉教授、梶井陟著『都立朝鮮人学校の日本人教師』岩波現代文庫の解説)ものであることを日本人は銘記する必要があります。

 第2に、安倍政権の朝鮮敵視政策との関連です。

 安倍首相は今回の「南北会談」「板門店宣言」に対し、トランプ米大統領と歩調を合わせるために一応「評価できる」としていますが、同時に「引き続き圧力をかけ続ける必要がある」(27日)と、朝鮮敵視政策を改めようとしていません。その口実に「拉致問題」を政治利用していることもこれまで通りです。

 一方、安倍政権が朝鮮学校を無償化から排除しているのも、「拉致問題や朝鮮総連との関係」(2012年12月の下村博文文科相=当時の会見)が口実です。今回の名古屋地裁判決ではこの点について、「下村文科相の発言などから、拉致問題との関係で(無償化制度)適用は相当ではないとの考えもあったと認めるのが相当」(28日付中国新聞=共同)と、その政治的意図を認定しています(にもかかわらず原告敗訴としたのはきわめて不当)。

 「南北会談」と「朝鮮学校無償化排除」は、その歴史的根源において、また日本政府(安倍政権)の朝鮮敵視政策において通底しているのです。

 私たち日本人は、朝鮮を侵略・植民地支配した加害の歴史を反省するなら、また、在日朝鮮人に対する差別をやめる・やめさせる責任を自覚するなら、南北朝鮮の対話、非核化、平和的統一を応援・支援すると同時に、朝鮮学校の無償化排除を直ちにやめさせ、廃止された自治体援助も復活させる必要があります。

 しかし、日本のメディアにその視点はありません。第三者的な南北会談報道とともに、名古屋地裁判決の無視・軽視がそれを示しています。

 「朝鮮高級学校への高校無償化適用問題は、単に朝鮮学校の生徒や保護者のみの問題ではなく、朝鮮学校をめぐる日本社会の問題であり、日本人自身の問題でもある」(朴三石朝鮮大教授『知っていますか、朝鮮学校』岩波ブックレット)のです。

 さらに、朝鮮学校をめぐる問題だけでなく、朝鮮半島の現在・未来も、日本人の歴史観と歴史的責任が問われている「日本人自身の問題」であることを、私たちは肝に銘じる必要があるのではないでしょうか。

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