アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記294・これでいいのか「平和学習会」

2024年03月24日 | 日記・エッセイ・コラム
  23日、<「安保3文書」による戦争する国づくりはここまで…3・23緊急学習会>が京都市内であった。主催=憲法9条京都の会、協力=京都憲法会議。雨の中、100人(主催者発表)が集まった。

 奥野恒久氏(龍谷大教授・憲法9条京都の会)が「改憲動向の現在地」、大河原壽貴氏(弁護士・京都憲法会議)が「軍事費8兆円と大軍拡」、片岡明氏(京都平和委員会理事長)が「京都で、そして全国ですすむ軍事強化」と題して報告した。

 いずれも時宜に適した貴重な報告だった。だが、強い不満とむなしさが残った。

 奥野氏は憲法前文と9条2項の意義は「非軍事による平和」を積極的に追求していることにあるとし、「多数学説は自衛隊違憲論」だとして自衛隊を違憲と断定した長沼判決(1973年9月7日)の意義に触れた。その上で、「「専守防衛」から導かれる5つの原則」として、「自衛隊の海外活動の禁止」など5点の重要性を強調した。

 おかしくないか?

 参加者からの文書質問に報告者が答える時間があったので、私はこう質問した。
「自衛隊違憲説が多数であるとしながら、「専守防衛」の原則を強調するのは矛盾ではないか。「専守防衛」は自衛隊の存在を前提にしているからだ。自衛隊違憲論から導かれる結論は、「自衛隊解散」以外にないのではないか?」

 これに対する奥野氏の回答は、「60~70年代は自衛隊違憲説が多数だったが今は違う。私は違憲論の立場だが、これまで確立されてきた「専守防衛」の原則さえ蹂躙されている現状を共有する問題の立て方は悪くない」。

 応答の時間はなかったので聞きっぱなしになったが、この回答にも不満だ。そもそも自衛隊違憲論が多数派から少数派に変わったのが事実だとすれば、それはもちろん憲法が変わったわけでも自衛隊が変わったわけでもない。憲法学者の多くが変質しただけだ。自衛隊は逆に違憲の実態を強めているのは周知の事実だ。「自衛隊違憲論は今では少数派だ」とすんなり言ってはいけない。

 より問題なのは、「自衛隊は解散すべきだ」と一言も述べていないことだ。「専守防衛」の原則さえ蹂躙されている実態を共有することはもちろん「悪くはない」。問題はそこでとどまっていることだ。運動の方向・目標はあくまでも「違憲の自衛隊は解散」である。「専守防衛」問題はその入口にすぎない。

 自衛隊問題だけではない。奥野氏の報告では「日米安保条約廃棄」がまったく触れられなかった。奥野氏だけではない。他の2人の講師も、「日米同盟」の問題点は指摘したが、その根源である日米安保条約の廃棄には誰も一言も触れなかった。

 これが、「憲法9条京都の会」が主催し、「京都憲法会議」が協力し、各分野の中心的人物が講演した「緊急学習会」の実態なのだ。これでは勝てるはずがない、日本が変わるはずがない。

 参加者は、「しんぶん赤旗」の取材をはじめ日本共産党の関係者・支持者が多かったように見受けられた。自衛隊と日米安保条約の核心を外した(棚上げした)「学習会」の光景は、共産党の実態を反映しているように思えた。

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