アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

なぜ原発放射能で汚染された牛たちを飼い続けるのか

2024年03月12日 | 震災と日本の政治・社会
   

 「3・11東電福島原発事故」で汚染された牛たちを、13年間飼い続けている人がいます。牛飼いの吉沢正巳さん(70)。商品価値のない多くの牛たちを多額の費用を投じて飼い続けるのはなぜか。10日のNHK・Eテレ「こころの時代」の「185頭と1人 生きる意味を探して」がリポートしました(写真は同番組から)。

 福島県浪江町、東電福島第1原発から約14㌔のところに30㌶の吉沢さんの牧場が広がります。
 東電原発「事故」で、政府は放射能汚染された家畜の殺処分を指示しました。しかし、吉沢さんはそれに従いませんでした。そればかりか、近隣の牧場からも引き取り、牧場には約500頭の牛たちが集まりました。
 「利益を生まない牛を飼う。通常の酪農、畜産とはまるで別世界のこと」(吉沢さん)を続けて13年。約300頭が寿命を全うし、今は185頭です。

 エサの牧草・稲わらは1日3㌧にも。家畜がいなくなった他の牧場の牧草やスーパーの野菜の廃棄を分けてもらいましたが、それでもエサ代は月30万円にも。支援者の寄付や自らの年金を取り崩して賄ってきました。エサやりやフンの処理で365日1日も休みなしです。

 吉沢さんは自らを「牛飼い」と称します。吉沢さんと牛たちの間には、たんに商品としての家畜と酪農農家の関係を超えるものがあります。

「牛は言葉を持っていると思う。オレのことが分かってなついている。牛たちの生きている姿を見ると牛飼いのオレも落ち着く。オレと牛の関係は原発事故があっても変わらない」

 吉沢さんが牛たちにこれほど愛情を注ぐのにはワケがあります。

 吉沢さんは1954年千葉県四街道市の酪農農家に生まれました。酪農を始めたのは父の正三さん。1970年に一家そろって浪江町に移住しました。

 正三さんは満蒙開拓団の引き揚げ者でした。
 引き揚げの時、人に言えない過去を背負うことになりました。「ソ連軍に皆殺しされる」という噂の中、逃走中に動けなくなった自分の子ども2人を、自ら手にかけてしまったのです。

「オヤジはずっと重い十字架を背負っていた。戦争は人を鬼にする。「命を大切にしたい」。それがオヤジの遺言でした」

「満蒙開拓団は当時の国の政策でした。原発も国の政策です。「絶対安全」と言いながら事故が起き、住んでいるものが追い出された。開拓団と原発がすごくダブるんです。原発はルーツをたどれば開拓団にたどりつく。根の深い大変な問題なんです」

「開拓団は命をどう扱ったか考えると、今、牛たちに向き合うとき、人間は命をひどい扱いをしてはいけないという結論になるんです」

 以上が番組の要点です。

 吉沢さんが、利益を生まないどころか多額の費用がかかる牛たちを飼い続けているのは、その根底に、満蒙開拓団と原発という2つの誤った国策に対する怒りがあるからです。その犠牲になった父、牛たちへの慈しみ、「命を大切に」という父の遺志を継ぐ決意があるからです。

 吉沢さんは、人間の放射能で汚された牛たちとともに、生きものの原点に立って、国策とたたかい続けています。

 ※同番組は3月16日(土)午後1時からEテレで再放送される予定です。

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