国際女性デーの8日付京都新聞に、「記事表現も見直し ジェンダー平等に照らし」というコラム記事があった。記者が使う(私も使った)「記者ハンドブック」(共同通信社発行)では22年発行の14版から「ジェンダー差別への配慮」の章が加わったそうだ。
例えば「うぐいす嬢」「女優」などは原則使わない、「男勝り」「処女作品」「職場の花」などは不適切表現とされている。
ジェンダー平等の視点から、身の回りの不適切表現、無意識化しているジェンダー差別を挙げてみよう(民法など法制度は除く)。
●家族…「主人・家内」「嫁・婿」「籍を入れる」「○○家と□□家(結婚式場の表示)」「風呂は男から」「男子厨房に入るべからず(子どもの頃母親から言われた)」
●学校…「男子は技術、女子は家庭科(中学の時)」「性(生理)教育は女子だけ(小6の時。男子は教室の外に出された)」「出席簿は男子が上」「男子はズボン、女子はスカートの制服」
●色彩…「男性は青系、女性は赤系(まちのトイレ表示なども)」
●歌謡曲…「恋の奴隷」「あなたにあげる」など演歌は言うまでもなく、「花嫁は夜汽車に乗って嫁いでいくの…」「ただあなたのやさしさが怖かった…」などフォークにも満載
●市民運動…市民団体の役員は圧倒的に男性多数。講演会・学習会の質疑応答ではじめに挙手するのはほとんど男性(私の体験)
ざっと思いつくだけでもこの通り。これからも自己点検していきたい。
メディアは他の分野に比べてもジェンダー平等が遅れている。NHKは社内体制だけでなく番組にもそれが表れている。
「ブラタモリ」について、文化人類学者の亀井伸孝氏は「高齢男性が若い女性(NHKアナウンサー)にうんちくを垂れる「マンスプレイニング」の構図だ」と指摘している(2月19日付日刊スポーツ)。
言われてみればそういう面もあるが、むしろ前々から気になっているのは「にっぽん百低山」(写真)だ。酒場詩人の吉田類氏がゲストとともに低山を登るのだが、ゲストは毎回若い女性だ。吉田氏が女性を先導して登る姿が繰り返し放映される。
NHK「日曜討論」はメーンの司会者は男性解説委員で、女性キャスターは常に補助役だ。アナウンス採用に「ルッキズム」はないのか(これはNHKだけではない)。
上記「家族」「学校」のジェンダー差別に顕著なように、日本の女性差別の根源は、「家」「家父長制度」「戸籍制度」だ。それは天皇制支配を強化するために明治藩閥政府がつくったものだ。それが今も日本社会を支配している。
NHKはじめメディアが流す「天皇・皇后・皇室」の姿が、「男尊女卑・家制度」意識を再生産し続けている。
日本でジェンダー平等を実現するためには、「家制度」さらには(象徴)天皇制の廃止が不可欠であることを銘記したい。
<今週のことば>
浅野富美枝さん(社会学者) 平和維持こそ最大の防災
「戦中も大きな災害が発生しています。1944年12月の東南海地震では千人以上、45年1月の三河地震では2千人以上の死者が出ましたが、戦時下の報道管制の影響で十分な支援が届かなかった。個人より国が優先された。つまり平和維持こそが最大の防災なのです。
今も防衛力強化の動きが顕著です。戦前と同じ轍を踏まないよう歴史に学ばなければならない」(2日付京都新聞夕刊=共同)