アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

戦闘機輸出・「閣議」あって「国会」なしの憲法空洞化

2024年03月27日 | 日本の政治・社会・経済と民主主義
   

「政府は26日、英国、イタリアと共同開発する次期戦闘機の第三国輸出を解禁する方針を閣議決定した。これに基づき国家安全保障会議(NSC)で防衛装備移転三原則の運用方針を改定し、要件を定めた。…実際に輸出する場合、個別案件ごとに審査した上で閣議決定する」(26日付京都新聞夕刊=共同)

 記事の冒頭のこの一節に、事態の本質が凝縮されています。
 戦闘機を輸出すること自体もちろん憲法の平和原則蹂躙ですが、見過ごせないのは、この国政の重大問題・方向転換が、「閣議決定」すなわち行政府(政権)とその下部機関の決定だけで決められていることです。そこに立法府である国会の存在はありません。

 こうした「決定手続き」について、常葉大の柴田晃芳教授(政治学)はこう指摘します。

「その点について、私は明白に、非常に問題があると思っています。政府内の議論だけでこんなに重要なことを決定していいのか。議会の重要性を軽視しています。民主主義体制として許容されません。…安保政策をなるべく国会の審議・議決にかけない政府・自民党の戦略を私は「国会回避」と呼んでいます。…国会の議論がなぜ大事かと言えば、賛成か反対かを決める以前に、その立場を支える根拠や論理を政府や各党が明らかにし、国民に見える形で示されるからです。…国会で様々な立場から議論を進める中で、例えば従来は賛成だったけれども、反対派の意見を聞いて「それも大事だな」と傾く人たちが出たりもします。議会に必要な機能はまさにそこで、それが民主主義です」(26日付朝日新聞デジタル)

 国家・社会の進路にかかわる重要問題を「閣議決定」だけで決める「国会回避」は戦闘機輸出だけではありません。

 その典型は、「敵基地攻撃」はじめ自衛隊の任務と日米軍事同盟の深化、「5年間で43兆円の軍事費」という大軍拡を規定した「軍拡(安保)3文書」の閣議決定(2022年12月16日)です。

 冒頭の共同通信の記事も、「国会が関与する仕組みはなく、説明責任が問われる」と国会回避を問題視しています。しかし、それは「説明責任」の問題ではありません(おそらく27日付の各紙社説も同様の論調でしょう)。

 国会審議には柴田教授が指摘する通りの重要な機能があります。そして何よりも想起すべきは、「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」(第41条)という憲法の規定です。

 国会は政府が「説明責任」を果たす場ではありません。法治国家として法律を決める唯一の機関であり、だからこそ「国権の最高機関」なのです。

 この数年来、「説明責任」という言葉が流布し、「十分な説明」がされればどんなことでも許されるような風潮・論調がありますが、とんでもないことです。必要なのは「説明」ではなく、主権者による判断・決定です。

 「閣議決定」あって「国会審議・決定」なし。これは明白な憲法の空洞化です。
 日本は「法の支配」「民主主義」など口にする資格のない憲法違反国家、ファシズム国家だと言って過言ではありません。

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