アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

いまこそ学びたい「3・1独立運動」の非暴力精神

2024年03月01日 | 朝鮮半島の歴史・政治と日本.
   

 105年前の1919年3月1日、帝国日本に武力併合(植民地化)されていた朝鮮半島で独立を求める朝鮮市民の運動が始まりました。「3・1独立運動」です。

 独立運動はその後約1年、朝鮮半島全土に広がりました。帝国日本はこれを軍隊、警察で弾圧し、「少なくとも7000人とされる死者と約1万6000の負傷者、約4万7000の検挙者」(梶村秀樹著『朝鮮史』講談社現代新書1977年)を出しました。

 「3・1運動」の歴史的意義、とりわけ日本人がくむべき教訓は数多くあります。これまで「中立宣言」「強制動員」の点からそれを見てきましたが(22年3月1日、23年3月2日のブログ参照)、今回は別の側面に注目します。それは、「3・1運動」の非暴力の精神です。

 「3・1運動」は「基本的には平和的な大衆集会とデモに限られていた行動」(梶村前掲書)でした。
 その精神的支柱となったのは、33人の「民族代表」によって起草され、「3・1」にソウル・タプコル公園(写真中)で読み上げられた「独立宣言文」
(写真右は同公園内にあるその碑)です。その一節はこうです。

「いま、わが朝鮮を独立させることは、朝鮮人が当然、得られるはずの繁栄を得るというだけではなく、そうしてはならないはずの政治を行ない、道義を見失った日本を正しい道に戻して、東アジアをささえるために役割を果たさせようとするものであり…」(中塚明著『日本と韓国・朝鮮の歴史 増補改訂版』高文研2022年より)

 歴史家の故・中塚明氏は、「「独立宣言文」は、日本人への理性の呼びかけでもありました。…3・1独立宣言は、秩序を尊重し非暴力で主張を訴えることを宣言していました」と評価しています(前掲書)。

 この非暴力運動に対し、日本は苛烈な暴力で弾圧し、前掲のように多大な犠牲をもたらしましたが、それによって「日本の朝鮮植民地支配は一歩後退をよぎなくされ、従来の「憲兵政治」を「文化政治」に改めることに」なったのです(中塚氏前掲書)。

 しかし、その後日本は「満州事変」(1931年)から15年間の侵略戦争・植民地支配に突き進んだことは周知の事実です。
 第2次世界大戦の反省から、国連憲章、世界人権宣言などが制定されましたが、世界から戦争・紛争が絶えることはありませんでした。いま私たちはウクライナ、ガザ、ミャンマーなどでその悲しい現実を目の当たりにしています。

 「3・1独立宣言文」はこう結ばれています。

「ああ、いま目の前には、新たな世界が開かれようとしている。武力をもって人びとを押さえつける時代はもう終わりである。過去のすべての歴史のなかで、磨かれ、大切に育てられてきた人間を大切にする精神は、まさに新しい文明の希望の光として、人類の歴史を照らすことになる」(前掲書より)

 「過去のすべての歴史のなかで、磨かれ、大切に育てられてきた人間を大切にする精神」―105年前の「独立宣言」が高らかに謳ったこの精神こそ、いま日本が、世界が最も学び直さねばならないものではないでしょうか。

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