岩手県矢巾町の中学二年男子が、イジメを苦に自ら命を絶ったニュースが報じられています。生徒と担任が共有する「生活記録ノート」に書かれた担任の朱筆、「研修がんばりましょう」の言葉を見た瞬間ハっとしました。ちょうどその頃矢巾町の中学二年生が、社会科研修で角館を訪れていました。何人もの生徒と挨拶を交わし、いくつかのグループとは会話もしています。そして間もなく、間違いなくそのときの生徒たちであったと知りました。
テレビで少年のお祖父ちゃんが取材に応じているのを、私のカミさんが見ていました。遺品のカバンから出てきたのは角館のパンフレット、そしてお祖父ちゃんが履いていたのは部屋履き草履だったそうです。カミさんも私の草履に精通していますから、つま先にイ草の縄が見えたこと、緒に使っている布が唐草模様だったことを考え合わせると、私が編んだ草履を疑う余地はありません。
その学校の社会科研修では必須立ち寄り先に西宮家を指定していることから、参加生徒のまず全員が私の前を通過したと思います。西宮家の中を、角館の街を、少年はどんな気持ちで歩いたのか。死を決した少年に、角館の景色はどう映っていたのか。
冷静に考えて、角館が彼を救えるわけはありません。けれどもどうしても世間の無力が悔しいんですよ。あのとき私の草履を見て、「お祖父ちゃんが履いてるよ」ともし声を掛けてくれていたら、楽しいおしゃべりが出来たかもしれない。そんなことも考えてしまうわけです。
学校と担任への批判が日に日に高まっています。昨夜旧宅の丁内会で無尽がありました。メンバーの中に小学校の校長を務める人がいます。その人が言うのは、「あれだけの言葉が書かれているのを、担任しか知らないというのはありえない」。私もそこが一番腑に落ちないと思っています。
ただし一つ誤解がありました。苦しい胸の内を綴ったノートに返信された、「研修がんばりましょう」の朱筆。最初これを見たとき、なんてとんちんかんな返事を書くんだと怒りが抑えられませんでした。
それが今日知ったのは、少年の文面を読んだ担任は返事を書く前、すぐさまクラスで話し合いの場を持ったのだそうです。そこで何らかの結論を見たのでしょう。その後あらためて少年に返信したのが「研修がんばりましょう」の文言でした。話し合いでクラス内が落ち着いたと判断したのかもしれません。少年の心を読み切れなかったミスは否めないとして、まったく対応していないと感じたのは誤解と思います。
しかしそうした事実を担任一人しか知らないというのは、どうしても腑に落ちません。教員間の連携が不足だったのでしょうか。担任の女性教諭は憔悴状態から脱していないと聞きました。やがて教職へ戻れるかも分かりません。
少年の家族、先生、同級生、関係するすべての人間が一生の重荷を背負いました。加害生徒とされる人物が特定されれば、本人はおろかその家族まで社会的制裁を受けなければなりません。民事訴訟に至れば賠償金の発生もあるでしょう。
40年も前から云われ続けてきた学校の「イジメ」。私が中学時代比較的仲良しだった女子生徒の一人は、特定の生徒の暴言がトラウマとなり今なお故郷に足が向かないと聞きました。遠く県外であろうと元気で52歳になっていると思えば、矢巾町の少年よりはずっと幸せでしょう。
テレビで少年のお祖父ちゃんが取材に応じているのを、私のカミさんが見ていました。遺品のカバンから出てきたのは角館のパンフレット、そしてお祖父ちゃんが履いていたのは部屋履き草履だったそうです。カミさんも私の草履に精通していますから、つま先にイ草の縄が見えたこと、緒に使っている布が唐草模様だったことを考え合わせると、私が編んだ草履を疑う余地はありません。
その学校の社会科研修では必須立ち寄り先に西宮家を指定していることから、参加生徒のまず全員が私の前を通過したと思います。西宮家の中を、角館の街を、少年はどんな気持ちで歩いたのか。死を決した少年に、角館の景色はどう映っていたのか。
冷静に考えて、角館が彼を救えるわけはありません。けれどもどうしても世間の無力が悔しいんですよ。あのとき私の草履を見て、「お祖父ちゃんが履いてるよ」ともし声を掛けてくれていたら、楽しいおしゃべりが出来たかもしれない。そんなことも考えてしまうわけです。
学校と担任への批判が日に日に高まっています。昨夜旧宅の丁内会で無尽がありました。メンバーの中に小学校の校長を務める人がいます。その人が言うのは、「あれだけの言葉が書かれているのを、担任しか知らないというのはありえない」。私もそこが一番腑に落ちないと思っています。
ただし一つ誤解がありました。苦しい胸の内を綴ったノートに返信された、「研修がんばりましょう」の朱筆。最初これを見たとき、なんてとんちんかんな返事を書くんだと怒りが抑えられませんでした。
それが今日知ったのは、少年の文面を読んだ担任は返事を書く前、すぐさまクラスで話し合いの場を持ったのだそうです。そこで何らかの結論を見たのでしょう。その後あらためて少年に返信したのが「研修がんばりましょう」の文言でした。話し合いでクラス内が落ち着いたと判断したのかもしれません。少年の心を読み切れなかったミスは否めないとして、まったく対応していないと感じたのは誤解と思います。
しかしそうした事実を担任一人しか知らないというのは、どうしても腑に落ちません。教員間の連携が不足だったのでしょうか。担任の女性教諭は憔悴状態から脱していないと聞きました。やがて教職へ戻れるかも分かりません。
少年の家族、先生、同級生、関係するすべての人間が一生の重荷を背負いました。加害生徒とされる人物が特定されれば、本人はおろかその家族まで社会的制裁を受けなければなりません。民事訴訟に至れば賠償金の発生もあるでしょう。
40年も前から云われ続けてきた学校の「イジメ」。私が中学時代比較的仲良しだった女子生徒の一人は、特定の生徒の暴言がトラウマとなり今なお故郷に足が向かないと聞きました。遠く県外であろうと元気で52歳になっていると思えば、矢巾町の少年よりはずっと幸せでしょう。
旅人を迎える立場の人間として、みなさんが楽しく喜んでいる…
と、ついつい思いがちです。これまでも心の傷を癒す旅人や、
不治の病と闘う湯治の旅人とも出会って来ました。
私たちが旅人ひとりひとりの素性を知る必要はありません。
ただ、すべての人が心晴れやかではないことだけは
肝に銘じるべきでしょうね。
身の危険を感じたら逃げるのは当たり前です。それが
彼には出来なかった。すべては心の優しさが仇になったと
思っています。