9月20日 37年前に殺害された1人のトルコ・キプロス人の物語です。彼の胃の中にあったイチジクの種が育って木になり、家族は彼の遺体を見つけることができたのです。

行方不明者の遺体を調べるCMPの調査員たち
「キプロス行方不明者に関する委員会」(CMP)は、1963年から1974年の間にキプロス島で消えた2002人の人々を探しつづけ、890体の遺体を確認しました。CMPは国連の支援の下に、トルコ・キプロスとギリシャ・キプロスの合意によって、1981年、発足しました。同委員会は行方不明者のリストをつくり、不明者がたどった運命を調べ、遺体を家族に返すことを仕事にしてきました。
親族は行方不明になったとき着ていた衣服について情報を提供し、それらしい遺体が発見されれば、血液サンプルを集めて照合します。過去12年間で、890人の行方不明者の遺体が発見され、家族に返されています。
奇跡が起こった
「私たちは村を訪ね、地元の人々に行方不明者が埋められていそうな場所を尋ねました。行方不明者を最後に見た人を見つける努力もしてきました」とCMPのメンバー、スラ・ムラトさんは言いました。ムラトさんによると、目撃者がなくなったり、風景が変わったりして、行方不明者の発見は次第に難しくなっているそうです。いままでに,島内で1222回の発掘が行われ、その26%から遺体が見つかりました。
親族は行方不明になったとき着ていた衣服について情報を提供し、それらしい遺体が発見されれば、血液サンプルを集めて照合します。過去12年間で、890人の行方不明者の遺体が発見され、家族に返されています。
奇跡が起こった
「私たちは村を訪ね、地元の人々に行方不明者が埋められていそうな場所を尋ねました。行方不明者を最後に見た人を見つける努力もしてきました」とCMPのメンバー、スラ・ムラトさんは言いました。ムラトさんによると、目撃者がなくなったり、風景が変わったりして、行方不明者の発見は次第に難しくなっているそうです。いままでに,島内で1222回の発掘が行われ、その26%から遺体が見つかりました。

殺された兄の遺影とヘルギュネルさん夫妻
「私たちは、ギリシャ人とトルコ人が半分半分の、人口4000人の村に住んでいました。1974年に騒動が始まりました。私の兄アフメトは“トルコ抵抗組織”(TMT)に参加していました。6月10日、彼らは兄を連れ去りました」とミュニュル・ヘルギュネルさん(87)は、ギュゼルユルトで起こった事件を語りました。
「何年も、私は、むなしく兄を探しつづけました。2011年、1人の調査員が1本のイチジクの木を発見しました。そこは山地で、ふつうはイチジクは生えないので、私たちは不思議に思いました。調査員たちが木の根元を掘ってみると、木の下に3人の遺体が埋まっていました。血液サンプルで調べて、兄の遺体を確認することができました」
「3人は山の中の洞窟に入れられ、ダイナマイトで殺されたのです。爆発でできた穴から洞窟の中に日光が差し込み、兄の胃の中にあったイチジクの種は日光を受けて育ったのでしょう。イチジクの木のおかげで、私は兄を見つけることができました」と彼は言いました。
「何年も、私は、むなしく兄を探しつづけました。2011年、1人の調査員が1本のイチジクの木を発見しました。そこは山地で、ふつうはイチジクは生えないので、私たちは不思議に思いました。調査員たちが木の根元を掘ってみると、木の下に3人の遺体が埋まっていました。血液サンプルで調べて、兄の遺体を確認することができました」
「3人は山の中の洞窟に入れられ、ダイナマイトで殺されたのです。爆発でできた穴から洞窟の中に日光が差し込み、兄の胃の中にあったイチジクの種は日光を受けて育ったのでしょう。イチジクの木のおかげで、私は兄を見つけることができました」と彼は言いました。
「トルコに危機はない。すべて市場操作だ」エルドアン大統領
トルコに経済危機はない、単なる市場操作だと、エルドアン大統領は言いました。

「トルコは危機にない。だまされないように。すべて市場操作です。わが国は未来に向かって進み、日々、強力になっています。わが国はもっと強くなるでしょう」と、エルドアン大統領は、9月19日、「退役軍人の日」の大会で言いました。
8月以来、トルコリラは米ドルに対して40%下落し、中央銀行はインフレと戦うために、基準貸出し利率を24%に上げましたが、大統領の発言はそのさなかのことでした。
エルドアン大統領は、リラの暴落は“トルコへの国際的攻撃”の結果だとくり返し、トルコは20年前より豊かに、効率的になっていると言いました。大統領はまた、最近の大統領令を強調しました。この法令はトルコ通貨の保護のために新たに規定したもので、現在トルコに住んでいる者は、商用契約はリラで結ばなければならないというものです。
「これからは、トルコでは米ドルでは賃貸できません。トルコではリラが有効になります。皆さんはリラで借り、リラで購入してください」
8月以来、トルコリラは米ドルに対して40%下落し、中央銀行はインフレと戦うために、基準貸出し利率を24%に上げましたが、大統領の発言はそのさなかのことでした。
エルドアン大統領は、リラの暴落は“トルコへの国際的攻撃”の結果だとくり返し、トルコは20年前より豊かに、効率的になっていると言いました。大統領はまた、最近の大統領令を強調しました。この法令はトルコ通貨の保護のために新たに規定したもので、現在トルコに住んでいる者は、商用契約はリラで結ばなければならないというものです。
「これからは、トルコでは米ドルでは賃貸できません。トルコではリラが有効になります。皆さんはリラで借り、リラで購入してください」
トルコと韓国は朝鮮戦争以来の友好国
1950年の朝鮮戦争のとき、トルコが国連の呼びかけに応じて韓国に軍を送ったことをご存じでしょうか。それ以来、両国は緊密な関係になり、外交的経済的にも結束しています。

朝鮮戦争が終わって68年ですが、両国の人々は親密な関係にあります。1950年、北朝鮮の攻撃が始まり、国連が韓国への軍事支援を呼びかけたとき、最初に応じたのはトルコでした。9月17日、タフシ・ヤズジュ准将を司令官として、トルコ旅団は南トルコのメルシン港から韓国に向かいました。
トルコは韓国に4旅団、21,212人の兵を送りました。これは参戦した16か国中、4番目に大規模な派兵です。トルコはまた、3番目に多い死傷者を出した国で、戦死者数は900人に達します。釜山にある「国連記念墓地」には、462人のトルコ兵が眠っています。
アンカラとソウルは1950年代以来、友好的な関係を享受してきました。両国のリーダーたちは互いの結束と、国連、G20,MIKTA(メキシコ、インドネシア、韓国、トルコ、オーストラリア)のような国際機関内での対話をつづけています。
2017年、国交60周年を記念して、12万622人の韓国人ツーリストがトルコを訪れ、2万7272人のトルコ人ツーリストが韓国を訪れました。
トルコは韓国に4旅団、21,212人の兵を送りました。これは参戦した16か国中、4番目に大規模な派兵です。トルコはまた、3番目に多い死傷者を出した国で、戦死者数は900人に達します。釜山にある「国連記念墓地」には、462人のトルコ兵が眠っています。
アンカラとソウルは1950年代以来、友好的な関係を享受してきました。両国のリーダーたちは互いの結束と、国連、G20,MIKTA(メキシコ、インドネシア、韓国、トルコ、オーストラリア)のような国際機関内での対話をつづけています。
2017年、国交60周年を記念して、12万622人の韓国人ツーリストがトルコを訪れ、2万7272人のトルコ人ツーリストが韓国を訪れました。
