あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

「 斷乎、反徒の鎭壓を期す 」

2020年06月26日 04時28分02秒 | 説得と鎭壓


死の都東京

事件勃發以來四日目、
初めて晴れた二十九日早朝五時半、
戒嚴司令部は戒嚴區域内の一切の交通を停止した。
東海道線は列車は横浜、省電は川崎、東北線方面の列車は大宮、電車は川口、
中央線は列車は八王子、電車は吉祥寺までとし、市外との通話も禁止した。
こうして大東京は一切の活動を停止した。
市街は門戸をとざして人の通行さえまばせである。
午前六時二十分、
遂に勅命に抗した反亂部隊として武力鎭壓の旨がラジオを通じて發表され、
市民の暁眠を破った。

「 本職はさらに戒嚴令第十四條全部を適用し、
 斷乎、帝都麹町區附近において騒擾を起こしたる反徒の鎭壓を期す。
しかれども、その地域は狭少にして波及大ならざるべきを豫想するをもって、
官民一般は前告諭に示す兵力出動の目的を克く理解し、特に平靜なるを要す。
昭和十一年二月二十九日  戒嚴司令官  香椎浩平

すべての報道機關が停止されている中に、
ラジオが次々と重要報道を傳えて全國民に急迫した情勢の推移を傳えていた。
ついで戒嚴司令官は武力鎭定のやむを得ざるに至ったいきさつを發表して、
市民の強力を求めた。

「 戒嚴司令部發表第四號六時二十五分。
二月二十六日朝 蹶起せる部隊に對してはおのおの その固有の所屬に復歸することを
各上官よりあらゆる手段を盡し 誠意をもって再三再四説論したるも、
彼らはついにこれを聽き入らるに至らず。
そもそも、蹶起部隊に對する措置のため時日の遷延をあえて辭せざりし所以のものは
もしこれが鎭壓のため鞏硬手段をとるにおいては、流血の惨事あるいは免るゝ能わず、
不幸、かかる情勢を招來するにおいては、
その被彈地域は畏くも宮城をはじめ、皇王族邸におよび奉るおそれもあり、
かつ、その地域内には外國公館の存在するあり、
かかる情勢に導くことは極力これを回避せざるべからざるのみならず、
皇軍互いに相撃つがごときは皇國精神上誠に忍びえざるものありしに因るなり。
しかれども、いたずらに時日のみを遷延せしめて、しかも治安維持の確保を見ざるは、
まことに恐懼に堪えざるところなるをもって、
上奏の上勅を奉じ現姿勢を徹しおのおの所属に復歸すべき命令を、昨日傳達したるところ、
彼らはなおもこれに聽かず、遂に勅命に抗するに至れり。
事すでにここに到る。
遂にやむなく武力をもって事態の鞏行解決をはかるに決せり。
右に関し、不幸、兵火を交うる場合においても、
その範囲は麹町地區永田町附近の一地域に限定せらるべきを以て、
一般民衆はいたずらに流言蜚語にまどわさることなく、努めてその居所に安定せられんことを希望す」

だが、
この聲明にあるように
「おのおのその所属に復歸すべき命令」
は 彼らに傳達されたのであろうか、
彼らが軍の態度に硬化してこうした命令を受けつけなかったことはあるにしても、
事実、撤退して原隊にかえれとすすめても、
統帥系統を通じての命令として嚴格に下達されていなかったのである。
ここに彼らが四日間二わたってねばり通したわけがあった。
軍隊において命令を下達しないでおいて、あえて大命に叛いたとした。
このことに靑年將校は死ぬまで抗議しつづけた。
彼らの反逆の汚名はここに出發点とするものなることを注意しておきたい。

麹町地區における流血の危險は刻々と近づく。
ラジオは戰闘區域の住民に、

「 萬一、流彈あるやも知れず、戰闘區域附近の市民は次のようにご注意下さい。
一、銃聲のすめる方向に對して、掩護物を利用して難を避けること
二、なるべく低い所を利用すること
三、屋内では銃聲のする反對側にいること 」

を 呼びかける。
いよいよ始まろうとする軍隊の撃ち合いに市民は、
ひとしくその心をしめつけられる思いだった。
こうして全市民は身に迫る流血の惨事を眞近に感じて聲もなく、
ただラジオにかじりついて司令部の發表に心と耳を集中していた。
しかし、戰闘區域内の市民は緊張裏に、
憲兵、警察官の誘導に從い附近の小學校その他の施設に移って、
午前八時頃には全く避難をおわった。

續々と歸順を見る
「 兵に告ぐ 」
の放送はくり返しくりかえしつづけられた。
アナウンサーの聲も悲痛にふるえていた。
この聲涙ともに下る言葉の情感には、
さすがに混迷している兵隊たちにもつよくこたえるものがあった。
わが身の現在をかえりみて、遠く父母兄弟を思うのだった。
「 いまからでも遅くない、原隊にかえろう。いま、かえれば罪は許される 」
今朝からすでに將校の指揮から逃れて原隊に歸った兵隊もいた。
歩哨や警戒兵に出て單獨勤務についていた者は、さっさとその守地をすてて攻撃軍に歸順した。
説得使は彼我の最前線をかけずり廻って一兵でも多く歸順させようと、
最後の努力をつくして必死の説得につとめている。
かくて、首相官邸にいた近歩三の下士官兵の昨夜来の脱走に始まって、
暁方にかけてはすでに下士官兵 百名あまりが歸順したのである。

朝、九時ごろには
山王ホテルで丹生部隊百五十名 が、
また、赤坂見附附近では約二十名が、
さらに九時半頃には、
赤坂、溜池方面で約二十名ばかりの歸順者を見た。
戒厳司令部では、ひっきりなしにラジオを通じてその狀況を發表した。

「 午前十時十五分、戒嚴司令部發表
一、午前十時やや前 參謀本部附近において機關銃を有する下士官以下約三十名が歸順しました。
  さらに各方面においても歸順の兆候があります。
二、幸いにしてただ今に至るまで、まだ、兵火を交えていません。
  ついで、十時十五分には、
一、第一師團方面においては反亂軍に對し戰車を派遣して兵士説得のビラを撒布せり。
二、飛行機をもってする兵士説得のビラ撒布は依然繼續しあり。
三、今朝、避難を命ぜられ退去したる者の財産は、戒嚴部隊の進出に伴い、
  憲兵および警察官をして逐次保護に任ぜしめつつあり。
四、幸いにして只今に至るまで兵火を交えるに至らず 」

と、いまだ撃ち合いに至らないことを傳えていた。

次頁 「 中隊長殿、死なないで下さい ! 」 に 続く
大谷敬二郎  二・二六事件 から


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