11時20分。広島着。
あまり知られていないが、島谷ひとみは広島県出身。
雨は止んだどころか、ピーカン。
街の人がみんな「はだしのゲン」のような言葉を使っている。
「じゃけん」「~だのう」「~かも分からんのう」
海外旅行で異国語を聞くより、国内旅行で方言を聞いたときの方が一層孤独を感じるのは私だけだろうか。
荷物を駅のコインロッカーに預け、路面電車で原爆ドームへ向かう。
原爆ドームは、静かに佇んでいた。
大くの残酷なものを見たこの建物は、
今のこの平和な世をどのように思いながら見ているのだろうか。
毎回この場所を訪れる度に足がすくむ。震える。
原爆ドームの足元には瓦礫がそのままになっていて、ここだけ60年前にタイムスリップしているみたいだ。
建物をここまで破壊する原爆の威力を知る。
続いて資料館へ。
前半は原爆の科学的説明。
よくわからん…。
「原子」「分子」…難しい。
後半は、…思わず目を背けたくなる原爆の被害の様子。
丸焦げになった滋君のお弁当箱を見る。
60年前のあの日、彼の胃袋で消化されるべきだった豆ご飯。
あの熱線で御飯は炭のようになってしまった。
発見されたとき、滋君はお弁当箱を抱えるようにしていたらしい。
「滋君が、天国でお腹一杯食べていますように」
手を合わせる。
原爆資料館には沢山の書物が販売されている。「はだしのゲン」の岩波ブックレット版と、こうの史代の漫画「夕凪の街 桜の国」を買った。
「夕凪の街 桜の国」は、手塚治虫文化賞を受賞したと聞いていたので気になっていた。
原爆資料館にはピースボランティアとよばれる人がいる。
何やら説明してくれるらしい。
黄色のシャツを着用しているから目立つ。
出入り口にご婦人ボランティアがいたのでカメラのシャッターを頼んだ。
広島について原爆について教えてもらった。
広島が戦争を商売にしていることを危惧すると共に、
これからの世代に戦争を伝えることの大切さを懸命に語っていた。
すると他のご婦人登場。
彼女はご婦人ボランティアと待ち合わせをしていたのだろうか。
「遅うなってすまんのう。ああ、暑くてかなわんわ~」
帽子を取ったご婦人の頭を見て絶句。
髪が局部的に無いのである。
原爆による被害だろうか。
放射能による被害で私が一番精神的ダメージを受けるだろう事象は脱毛である。
女性には堪らないことだ。
資料館にあるどんな資料より、私は彼女の頭が一番ショックだった。
あの60年前の出来事は、今もなお続いている。
栃木に生まれ、現在東京に住み、親戚や知り合いにあの惨状を知る人がいない私は、
そのことについて意識していなかった。
テレビで原爆の後遺症に苦しめられている人を見ても、どこか他人事であった。
しかし、実際に被害人を目の前にすると、痛みがリアルに伝わってくる。
そして、戦争の意味、原爆の落とされた理由がわからなくなってしまう。
あまり知られていないが、島谷ひとみは広島県出身。
雨は止んだどころか、ピーカン。
街の人がみんな「はだしのゲン」のような言葉を使っている。
「じゃけん」「~だのう」「~かも分からんのう」
海外旅行で異国語を聞くより、国内旅行で方言を聞いたときの方が一層孤独を感じるのは私だけだろうか。
荷物を駅のコインロッカーに預け、路面電車で原爆ドームへ向かう。
原爆ドームは、静かに佇んでいた。
大くの残酷なものを見たこの建物は、
今のこの平和な世をどのように思いながら見ているのだろうか。
毎回この場所を訪れる度に足がすくむ。震える。
原爆ドームの足元には瓦礫がそのままになっていて、ここだけ60年前にタイムスリップしているみたいだ。
建物をここまで破壊する原爆の威力を知る。
続いて資料館へ。
前半は原爆の科学的説明。
よくわからん…。
「原子」「分子」…難しい。
後半は、…思わず目を背けたくなる原爆の被害の様子。
丸焦げになった滋君のお弁当箱を見る。
60年前のあの日、彼の胃袋で消化されるべきだった豆ご飯。
あの熱線で御飯は炭のようになってしまった。
発見されたとき、滋君はお弁当箱を抱えるようにしていたらしい。
「滋君が、天国でお腹一杯食べていますように」
手を合わせる。
原爆資料館には沢山の書物が販売されている。「はだしのゲン」の岩波ブックレット版と、こうの史代の漫画「夕凪の街 桜の国」を買った。
「夕凪の街 桜の国」は、手塚治虫文化賞を受賞したと聞いていたので気になっていた。
原爆資料館にはピースボランティアとよばれる人がいる。
何やら説明してくれるらしい。
黄色のシャツを着用しているから目立つ。
出入り口にご婦人ボランティアがいたのでカメラのシャッターを頼んだ。
広島について原爆について教えてもらった。
広島が戦争を商売にしていることを危惧すると共に、
これからの世代に戦争を伝えることの大切さを懸命に語っていた。
すると他のご婦人登場。
彼女はご婦人ボランティアと待ち合わせをしていたのだろうか。
「遅うなってすまんのう。ああ、暑くてかなわんわ~」
帽子を取ったご婦人の頭を見て絶句。
髪が局部的に無いのである。
原爆による被害だろうか。
放射能による被害で私が一番精神的ダメージを受けるだろう事象は脱毛である。
女性には堪らないことだ。
資料館にあるどんな資料より、私は彼女の頭が一番ショックだった。
あの60年前の出来事は、今もなお続いている。
栃木に生まれ、現在東京に住み、親戚や知り合いにあの惨状を知る人がいない私は、
そのことについて意識していなかった。
テレビで原爆の後遺症に苦しめられている人を見ても、どこか他人事であった。
しかし、実際に被害人を目の前にすると、痛みがリアルに伝わってくる。
そして、戦争の意味、原爆の落とされた理由がわからなくなってしまう。
実際出会うと、ショックは大きいね。
しかも突然だったから、どうしていいかわからなくなっちゃったよ。
「何気なくふと現れたものの方が、人を抉る力が強いよね。」
→実感。
この旅で一番印象深かったかもしれない。
autan殿
ただいまです。
「No More Hiroshima」、平和記念公園で多く目にしました。
「そうなんだ。もう原爆は落としちゃいけないんだ」と単純に思ったのですが、autan殿の思われるように「Hiroshima」が原爆だけではなく、正規軍による計画的な攻撃という広義で捉えますと、今もHiroshimaは息づいていることを思い知らされます。
一本の天秤棒と、細かい花柄の小さなワンピース…戦争で犠牲になるのは力が無い市民だ、ってよく聞いてはいますが、実際、そういう遺品を目にしますと私は人間が信じられなくなります。
酷い事を平気でする、するかもしれない…そんな自分も人間だと思いますと、自分が怖くなります。
僕は、昨年の今頃、ホーチミン(サイゴン)に滞在していて、戦争博物館へも行きました。以前は「米中戦争犯罪証拠館」というような名前だったそうで、そのような展示でした。いちばん印象の強かったのは、一本の天秤棒と、細かい花柄の小さな、おそらくワンピースで、ピンクとオレンジの色違いのお揃い2着でした。天秤棒はその小さな姉妹のお父さんが持っていたもの、ワンピースは2つとも穴だらけでした。その親子は、逃げるところをアメリカ兵に撃ち殺されたのだそうです。おそらく機関銃で蜂の巣のようにされたのでしょう。残された母親が形見として大切に持っていたのでしょうか。小さな、ぼろぼろの、かわいらしいワンピースでした。かわいそうに。かわいそうに。
No More Hiroshima と、核兵器廃絶を皆願っているのですが、原爆以外にもうひとつのヒロシマがあります。原爆で殺された市民は、「巻き添え」じゃなくて、アメリカの正規軍の攻撃対象として計画的に殺戮されたのです。東京大空襲もそうでした。イラクでも、やってます。イラクの市民を狙撃しています。
このような、市民をターゲットにした正規軍による計画的な攻撃というのは、アメリカが、あの戦争で日本に対して「発明」した戦争の一つの方法で、これは「原爆」以外のもうひとつのヒロシマだと僕は思ってます。このヒロシマは、繰り返されています。ベトナムや最近のアフガン、イラクがそうです。ヒロシマでご覧になった、遺品の弁当箱は、過去のことではなくて、今日も、おそらくイラクでおきてることなんです。
知識としては知っていても、
目の当たりにしないと実感に乏しいよね。
突然、出会ったときのショックは大きそう。
「原爆はこんなに酷いんだ~」って展示されているものよりも、
何気なくふと現れたものの方が、人を抉る力が強いよね。