世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

映画「サラの鍵」

2011年12月25日 23時10分59秒 | Weblog
映画「サラの鍵」を観た。
本当は別の作品を観ようと思っていたのだが、その作品、あまりにも低評価で…観る前にすっかり萎えてしまった。だったら、高い評判のこの作品を観てみようと、新宿武蔵野館へ。




解説: ナチス占領下のパリで行われたユダヤ人迫害、ヴェルディヴ事件を題材に、過去と現代を交錯させながらユダヤ人一家に起こった悲劇を描く感動的な社会派ドラマ。世界中で300万部を売り上げたタチアナ・ド・ロネの原作を基に、『マルセイユ・ヴァイス』のジル・パケ=ブランネール監督が映画化。『イングリッシュ・ペイシェント』などのクリスティン・スコット・トーマスが、アウシュビッツについて取材するジャーナリストを好演。次第に解き明かされる衝撃の事実とラストに胸を打たれる。

あらすじ: 1942年、ナチス占領下のパリ。ユダヤ人一斉検挙によってヴェルディヴに連れてこられた人々の中に、少女サラはいた。それから60年後。パリに暮らすアメリカ人ジャーナリストのジュリア(クリスティン・スコット・トーマス)は、アウシュヴィッツに送られた家族を取材するうちに、かつて自分のアパートで起こった悲劇を知ることとなる。(シネマトゥデイ)


以下、ネタばれあり。





上映中、こんなにのめり込んだ作品は久々だ。

過去(サラ)と現在(ジュリア)のシーンがシャッフルされている作品だとは予め知っていた。
混乱すっかなーと懸念していたのだが、各シーンのカメラワークが微妙に違っていたので大丈夫だった。

冒頭は1942年の夏の朝。パリ。
ベッドでのサラと弟のじゃれあいから始まる。しかし、突如、警察がやってくる。弟を守らなければ、とサラは弟をクローゼットに入れて「すぐに戻ってくるから」と、鍵をかける。
やがて、両親とサラは屋内競輪場(ヴェルディヴ)に集められて、数日を過ごす。熱気と飢え。地獄絵図のようだ。自殺者も…。それでもサラは家に残している弟のことが気がかりだ。
その後、家畜のようにトラックに乗せられ、一家バラバラにされ、収容所へ。鍵だけは大切に肌身離さず身に付けていた。
サラの、弟想いなところは、私の妹に重なった。私たち三人兄弟はみんな2歳4ヶ月違い。まだ幼かった妹は、赤ん坊の弟を溺愛していた。オムツまで交換していた。そんな幼き妹が、サラの姿に重なった。
「弟は、鍵がかかったクローゼットで私を待っているはず。早く行かなくては」という執念が、脱走を試みさせる。鉄線の下を潜り抜け、逃げようとするが監視員に見つかってしまう。しかし、サラの真っ直ぐな瞳、自分の名前を覚えてくれていたことにたじろいだ監視員はサラを逃がす。冷酷極まりない監視員の慈悲に涙。彼の良心、GJ。

やがて優しい夫妻に助けられて、孫として育てられるサラ。パリに行き、クローゼットを開けてみたのだが、そこには、弟の変わり果てた姿が…。
サラは変わり果てた弟を見て以来、塞ぎ込んでしまう。それでも老夫婦は、サラを大切に育てた。やがてサラはアメリカに渡り、ダンスホールで働く。そこで知り合った男性と結婚し、息子を産むが、誰も彼女の深い穴を埋められなくて、サラはうつ病で自殺をしてしまう。夫と息子を残して。



現代。そんな事があった部屋だと知らずに引っ越してきたアメリカ人ジャーナリスト・ジュリア。この物件は旦那の祖父母から譲り受けたものだ。雑誌の企画で「ヴェルディヴ事件」を調べているうちに、この部屋、そしてサラのことを知る。ジャーナリスト魂に火が付き、旦那の家族を巻き込んで、サラの軌跡についてをリサーチする。旦那の家族はこの部屋のことを隠蔽したがり、ようやく見つけたサラの息子は、自分の母親の新たな過去に耳を塞ぐ。

自らが妊娠していることを知るジュリア。旦那は中絶を薦める。「年老いた親にはなりたくない」と。
そんな旦那と別れ、ジュリアはニューヨークに渡り、女の子を産んで育てる。

その子に名付けられた名前は、サラ。

サラとジュリアが次第に結び付く伏線、秀逸すぎ。

サラはきっと弟が死んだこと、家族が死んだのに自分だけが生きていることに耐えられなくて自殺したんだろう。「自分だけ生き残ってしまった」と。これは、戦争だけではなく、自然災害や事故などでも引き起こされる心理状態で、きっと他人事じゃないのだと思う。



舞台は、パリ、ニューヨーク、イタリア。特にニューヨークのシーンは、去年ぶらついた場所が出ていて懐かしかった。ブルックリン橋とか、セントラルパークとか。できれば、また行きたい。

ジュリアの仕事中の服装が格好良かった。ジャケットとシャツをあんな風に着こなしたい。私がやるとリクルートっぽくなるんだよね…。


上映後、余韻が半端なくて、エンドロールが終わっても暫くは席を立つことができなかった。
他の観客も、そうだったようだ。

それにしても、ユダヤ人迫害って、なんて残虐なんだろう。同じ人間じゃないか。どうして差別して迫害なんかできるんだろう。人類の恥だ。変な歴史が繰り返されぬよう、過去を知り、悲しみを受け止めることは必須だろう。
もう二度とあんなことが起こりませんように。
切に願う年の瀬である。


映画『サラの鍵』予告編



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