両国の江戸東京博物館に行ってきた。
開催中の「NHK大河ドラマ特別展 八重の桜」を観た。
タダ券をもらったので、どれどれ…と。
新島八重
八重は、会津藩の砲術師範であった山本権八・ 佐久の子として生まれた。
慶応4年の戊辰戦争時には、鶴ヶ城に籠城し、自らも銃をとって男性と共に奮戦。
会津藩の敗戦後、八重は兄の山本覚馬を頼って京都に移り、半年後、京都最初の女学校「女紅場」の教師になる。
その傍らで英語や聖書も学び、明治8年、アメリカ帰りで 後に同志社の創立者となる新島襄と出会い、その翌年結婚。
レディファーストを貫き、気高く毅然と立ち振る舞う八重の生きざまを、襄は 「ハンサム」と評した。
日清、日露戦争が起こると八重は故郷の魂を胸に篤志看護婦として果敢に行動。
本展は、NHK大河ドラマ「八重の桜」と連動して、同時代の資料や新島八重ゆかりの品々を紹介。
ということだが、日本史で戊辰戦争のあたりって、ほとんどよく分からない私。
「大政奉還」「尊王攘夷」とか、大学入試以降、初めて目にしたレヴェル。
チケット代が浮いた分、と思い、案内機器をレンタルした。
草笛さんの語り。これが良かった。分かりやすかった。
京都で書かれた八重の手紙(誰に宛てたかは不明)。
流暢な英語の草書体。
その隣のケースにあった八重の作品。
婚約の頃のものらしい。
綺麗な布を切って花を紙に縫ったもの(?)。
下に誂えられた鏡で見ると、作品の裏面に「Nigima yae」と英語で書いてあった。
しかもいっぱい。
これ、分かる。分かるよ。
いくら夫婦別姓を推している私でも、好きな殿方の苗字の下に自分の名前を書いてムフっとしたこと、ある。
それかしら?もしそうだとしたら、八重、最高!話が分かるハンサムウーマンである。
新島襄と結婚した八重は、ハイカラな生活をしていたっぽい。
洋風の家でジンジャークッキーなんか焼いちゃう。
それを鍵付きの箱にしまっておくと甘党の襄がこっそり食べちゃう。
夫を「襄」と呼び捨て、レディーファーストを貫く八重。
襄も八重を対等な伴侶だと思っていたらしい。
いいよなー。理想のカッポ―だよなー。
そんな二人の書。
心和得天真
襄
八重
この二人の書は普段は「同志社社史資料センター」と「福島県立博物館」にあり、今回初めて並べられたもの。
「やっと会えたね」
と書同士が言い合っているようだ。
他にも襄が亡くなった後、茶道に邁進したことや赤十字で活躍したことなど、様々な八重の功績が展示されていた。
凄いとしか言いようがない八重の人生。
鶴ヶ城に籠城した時の会津の人のチームワーク、城に居た600人の女性の陣頭指揮を執っていた照姫の話など、面白かった。
銃をペンに持ち変えた八重の水のようにしなやかな、そして力強い生き方は学ぶべき点が多い。
また、自分も半分男社会のような場所で働いているわけだが、八重のように毅然と立ち振る舞えたらなーなんて思った。
開催中の「NHK大河ドラマ特別展 八重の桜」を観た。
タダ券をもらったので、どれどれ…と。
新島八重
八重は、会津藩の砲術師範であった山本権八・ 佐久の子として生まれた。
慶応4年の戊辰戦争時には、鶴ヶ城に籠城し、自らも銃をとって男性と共に奮戦。
会津藩の敗戦後、八重は兄の山本覚馬を頼って京都に移り、半年後、京都最初の女学校「女紅場」の教師になる。
その傍らで英語や聖書も学び、明治8年、アメリカ帰りで 後に同志社の創立者となる新島襄と出会い、その翌年結婚。
レディファーストを貫き、気高く毅然と立ち振る舞う八重の生きざまを、襄は 「ハンサム」と評した。
日清、日露戦争が起こると八重は故郷の魂を胸に篤志看護婦として果敢に行動。
本展は、NHK大河ドラマ「八重の桜」と連動して、同時代の資料や新島八重ゆかりの品々を紹介。
ということだが、日本史で戊辰戦争のあたりって、ほとんどよく分からない私。
「大政奉還」「尊王攘夷」とか、大学入試以降、初めて目にしたレヴェル。
チケット代が浮いた分、と思い、案内機器をレンタルした。
草笛さんの語り。これが良かった。分かりやすかった。
京都で書かれた八重の手紙(誰に宛てたかは不明)。
流暢な英語の草書体。
その隣のケースにあった八重の作品。
婚約の頃のものらしい。
綺麗な布を切って花を紙に縫ったもの(?)。
下に誂えられた鏡で見ると、作品の裏面に「Nigima yae」と英語で書いてあった。
しかもいっぱい。
これ、分かる。分かるよ。
いくら夫婦別姓を推している私でも、好きな殿方の苗字の下に自分の名前を書いてムフっとしたこと、ある。
それかしら?もしそうだとしたら、八重、最高!話が分かるハンサムウーマンである。
新島襄と結婚した八重は、ハイカラな生活をしていたっぽい。
洋風の家でジンジャークッキーなんか焼いちゃう。
それを鍵付きの箱にしまっておくと甘党の襄がこっそり食べちゃう。
夫を「襄」と呼び捨て、レディーファーストを貫く八重。
襄も八重を対等な伴侶だと思っていたらしい。
いいよなー。理想のカッポ―だよなー。
そんな二人の書。
心和得天真
襄
八重
この二人の書は普段は「同志社社史資料センター」と「福島県立博物館」にあり、今回初めて並べられたもの。
「やっと会えたね」
と書同士が言い合っているようだ。
他にも襄が亡くなった後、茶道に邁進したことや赤十字で活躍したことなど、様々な八重の功績が展示されていた。
凄いとしか言いようがない八重の人生。
鶴ヶ城に籠城した時の会津の人のチームワーク、城に居た600人の女性の陣頭指揮を執っていた照姫の話など、面白かった。
銃をペンに持ち変えた八重の水のようにしなやかな、そして力強い生き方は学ぶべき点が多い。
また、自分も半分男社会のような場所で働いているわけだが、八重のように毅然と立ち振る舞えたらなーなんて思った。