12/3
ねぼすけの私が起きたとき、既に家には人の気配がなかった。
両親と芋子とりんごや殿は日光にドライブに出たらしい。
のんびりとお茶を飲んだり、「ザ・ノンフィクション」を観たりしていた。
独り暮らし@実家って感じ。
幼稚園生のときに引っ越してきてから22歳になるまで、およそ17年あまりをこの家で過ごした。
この家は、自分の肌にすっかり馴染んだものだった筈なのに、帰省する度にどうしてもヒトサマの家だという意識が私の中で広がる。
特に一人でいるときに、まじまじと実家というものを眺めるとその思いは強まる。
夕方、洗濯物を取り込もうとベランダに出た。
実家を離れる前、洗濯物を込むことは、私に担わされたルーティンワークだった。
ついさっきまで柔らかな光線を地上に撒き散らしていた空が、今は赤く燃えている。
つるべ落としとは、よく言ったもんである。
洗濯物を取り込むことなど忘れ、幻想的な夕暮れに見入っていた。
思えば、この景色はかつて、日常の中の当たり前の取るに足りないものだった。
しかし、今の私にとっては珍しいものに違いなく、その証として、こうして写真に納めたりするのだ。
時は流れる。
ゆっくりと。
でも、確実に。
その流れに乗りながら、東京で自分を少しずつ成長させ、帰省の際の土産にできたら…と思う。
次回の帰省は年末から正月にかけてだ。
歳末商戦を乗り切って、またこの地に降り立とう。
ねぼすけの私が起きたとき、既に家には人の気配がなかった。
両親と芋子とりんごや殿は日光にドライブに出たらしい。
のんびりとお茶を飲んだり、「ザ・ノンフィクション」を観たりしていた。
独り暮らし@実家って感じ。
幼稚園生のときに引っ越してきてから22歳になるまで、およそ17年あまりをこの家で過ごした。
この家は、自分の肌にすっかり馴染んだものだった筈なのに、帰省する度にどうしてもヒトサマの家だという意識が私の中で広がる。
特に一人でいるときに、まじまじと実家というものを眺めるとその思いは強まる。
夕方、洗濯物を取り込もうとベランダに出た。
実家を離れる前、洗濯物を込むことは、私に担わされたルーティンワークだった。
ついさっきまで柔らかな光線を地上に撒き散らしていた空が、今は赤く燃えている。
つるべ落としとは、よく言ったもんである。
洗濯物を取り込むことなど忘れ、幻想的な夕暮れに見入っていた。
思えば、この景色はかつて、日常の中の当たり前の取るに足りないものだった。
しかし、今の私にとっては珍しいものに違いなく、その証として、こうして写真に納めたりするのだ。
時は流れる。
ゆっくりと。
でも、確実に。
その流れに乗りながら、東京で自分を少しずつ成長させ、帰省の際の土産にできたら…と思う。
次回の帰省は年末から正月にかけてだ。
歳末商戦を乗り切って、またこの地に降り立とう。
亮子さん
吉熊くん
>帰省する度にどうしてもヒトサマの家だという意識が私の中で広がる。
わかります、とても。
その感覚。
ボクも、洗濯物取り込みは、指令が出ていたのですけど、夕焼けの雲は、それに出会わせてくれた指令に、感謝の機会をくれますよね。
その後の、菊の水遣りは、そのうち、空に向けての虹作りに変わるのですけど。(笑)
ボクも次の帰省は年末からお正月にかけて。
ゆっくりはできないけど、馴染んだ空気と食べ物を、身体に入れてこようと思います。
では、寒い日が続いてますので、風邪に気をつけて、12月を過ごしましょう!
こんばんは。
実家って、帰る度に、不思議だと思います。
何なんでしょうね、あの感覚。
洗濯物取り込み、夕暮れ、…GO殿も同じ感覚をお持ちで嬉しいです。
菊の水遣りでできた虹、目に浮かびます。
ホースの先を細めて、シュー…あれ、けっこう楽しいんですよね。
年末の帰省、ごゆっくりなさってください。