サッカールーの何でもござれ パート2

シドニー在住者のサッカーについてのざれごとです。

マルセイユのウルトラス

2021-01-31 09:31:54 | 日記

ふがいない成績に怒ったマルセイユのウルトラスが、1月30日にクラブのトレーニング施設を300人以上で襲撃して爆竹と発煙筒を施設内に投げ込んだ。もちろん警察が出動して逮捕者も25人出たが、こう書くとずいぶんと過激だなあくらいにしか思えないが、動画を見ると投げ込んだ発煙筒が施設に発火して、火事になっている。これはもう放火だろう。

 

https://twitter.com/i/status/1355610892436713474

 

ここまでやるもんかね。この結果、同日に予定されていたホームでの試合が延期となった。マルセイユのサポはウルトラスばかりではないので、試合を楽しみにしていたサポも多いだろう。いくら直近の試合が3連敗で4戦未勝利とはいえ、これはやりすぎだ。

 

マルセイユは昨季は2位となり、久々のCL出場となったがグループステージで1勝5敗で最下位。ELにも回れなかった。コロナ危機による財政難で今季はオフに主力を多数放出して、フリーで獲得した選手しか補強できずに戦力ダウン。この筆頭が長友なんだから日本人としてやりきれない。

 

おまけに2020年6月には財政規律違反の問題でUEFAから罰金と2023年6月までのUEFA主管大会への選手登録を23人までに制限される制裁を受けている。踏んだり蹴ったり状態である。

 

金がないから補強もできない。そういう状態のクラブに発煙筒を投げ込んでも何の意味もないと思うけど、それでもウルトラスは我慢できないんだろうね。日本のサポがクラブ施設に発煙筒を投げ込んだら、どいういう処分をするのか見ものである。


バイエルンミュンヘンとレヴァンドフスキ

2021-01-30 10:07:51 | 日記

バイエルンミュンヘンの9連覇はほぼ間違いないらしい。昨季までで8連覇。2010/2011,2011/2012の2シーズンはドルトムントが連覇した。これは香川の活躍が大きいし、ドルトムントにはレヴァンドフスキがいた。それからバイエルンミュンヘンが8連覇である。ここまで強いとブンデスリーガをつまらなくしているという意見も多いが、強いのだから仕方ない。どうしてここまで強いのか。それはレヴァンドフスキがいるからだ。

 

レヴァンドフスキは2010/2014の4シーズンをドルトムントにいて、2014/2015からバイエルンミュンヘンに移籍。つまり彼の2010以降の12シーズンは、10回もリーグ優勝をしていることになる。これは驚異的な数字だ。

 

バイエルンに加入してからは毎シーズンチーム内得点王であり、ブンデスリーガの得点王はこれまで5回取っている。2020年にはFIFA BEST FOOTBALL AWARDSを受賞している。2010年以降、コロコロと名称が変わっているがかつてのバロンドールと同じである。

 

ここまで毎年活躍しているのに、バロンドールが1回というのはレヴァンドフスキには気の毒である。これはバイエルンがCLに弱いことが関係しているのだろう。最近のCL優勝は2019/2020で、その年にレヴァンドフスキはFIFA BEST FOOTBALL AWARDSを受賞している。その前の優勝は2012/2013で、2000年以降のCL優勝はたったの3回である。

 

いくらブンデスリーガで強くてもCLで優勝しなければレヴァンドフスキは評価されないし、メッシやCR7よりも目立たない。不公平といえば不公平である。2018年ロシアWCの日本戦で、きわどいシュートをレヴァンドフスキは枠の外にはずしてくれた。あれが決まっていれば日本は1次リーグ敗退だった。日本はレヴァンドフスキに感謝しなければならない。


香川のPAOK移籍

2021-01-29 08:07:44 | 日記

香川がギリシャのPAOKに移籍した。あくまでもスペインにこだわって所属なしでサラゴサで一人トレーニングをしていたのに、ここで観念してギリシャに行ったのは意外だった。外国人枠で制限の多いスペインは難しいので、オファーがあればドイツに行くと想像していた。

 

まあベテラン選手の移籍は得てしてトルコやギリシャになりがち。一応UEFAだから上位のチームであればCL、ELへの出場機会も出て来る。それにまだ世界の注目度もある。これが中東などに行けば、フットボールシーンからは消えてしまう。


カタールでのオルンガがハットトリックを決めた試合のハイライトをみたが、ざるのような守備でオルンガはフリーでシュートを打てていた。どこにマークがあるのかという守備だから、オルンガならばシーズンで40ゴールくらい決められるだろう。そういうリーグに行くよりはまだギリシャのほうがいいが、年俸は圧倒的に中東のほうがいい。

 

さて香川のような20代前半で全盛期を迎えた選手が30才すぎて、移籍先をさがすのは大変である。しかし今回のようにまだオファーを出してくれるクラブが出て来る。こういう場合のキーワードは昔の名前である。ドルトムントにいた、マンUにいたというだけで全盛期の香川をイメージしている。

 

香川がワールドクラスの輝きをしていたのは、2010/2012の2シーズンだけで、あとは鳴かず飛ばずだった。10年前のイメージだけでオファーが来るのだからすごいかも知れない。しかしサラゴサでのプレーを見れば分かるように、香川に輝きを求めるのは無理だ。自分の劣化を本人は認められないだろうが、それでも次のWCを目指すとか言われると晩節を汚すなと言いたくなってくる。


オスカル

2021-01-28 09:10:57 | 日記

上海上港にいるオスカルが中国での待遇に満足していて、契約が終わるまで中国を離れるつもりはないとインタビューで答えている。年俸が約27億円と言われているので、オスカル程度のレベルの選手にしてみれば大満足だろう。いくら高額年俸をもらっていても中国を離れる選手がいる中でブラジル人はやはり現実的である。

 

代表では2012年ロンドン五輪の銀メダル、2014年ブラジルWCのベストイレブンと活躍していた印象がある。チェルシーでは2012/2013シーズンから4年半プレーして、131試合に出場して21ゴール。MFだからこんなものかも知れないが、1シーズンで二けた得点してことはない。このくらいの選手に2016年12月に移籍金6千万ユーロを払い、年俸27億円。契約は2024年までという長期契約。そもそもこのオファーが信じられない。

 

2016年ごろは中国のクラブのバブルが全盛期だったころだからこうなったのだろう。現在はかなり抑制された年俸しか払われていないので、オスカルのようなケースは出てこないのだろうが、イニエスタにも近い年俸である。

 

ブラジル人選手にとってリーグのレベル、ヨーロッパでプレーしたいという気持ちは関係ないのだろう。そもそもブラジル人ならば誰でもヨーロッパのビッグクラブに行けるわけでもないし、いい選手はブラジルにゴロゴロしている。以前、浦和レッズにラファエル・シルバという選手がいて、新潟から浦和に2017年に移籍して、2017年はACL優勝に大きく貢献。

 

その活躍が目立ってヨーロッパのクラブからもオファーがあったようだが、2018年のシーズン開幕直前に中国の武漢卓爾に移籍。この時武漢は中国リーグの2部だった。唐突な移籍だったので浦和サポは騒いだが、ラファエル・シルバは家族、親族一同を養わなければいけないので、ぜひ中国に行きたいとコメントしていた。その後2020年12月には契約を2年延長しているので、満足しているのだろう。

 

オスカルもインタビューで貧しい子供時代を送ってきたので、家族を養いたいと言っている。親族全体が彼に寄りかかっているのだろう。大体年俸27億円ももらっていて親族を養うのにどのくらい金がかかるのか想像もできない。家族、親族がブラジル人にとって重要なことなのだろう。


柳沢の鹿島ユース監督就任

2021-01-27 10:09:23 | 日記

柳沢敦が鹿島ユースでコーチから監督に昇格した。2018年6月にサポの女性と不倫していたことを週刊女性にスクープされてすぐにユースのコーチを辞任。そこから半年後に同じポジションで復帰。サポの女性に手出して不倫していたという不祥事をおこしておいて、たったの6か月で復帰させるわけだから、

 

鹿島は選手、スタッフの倫理規範に甘いと言われても仕方がない。これがクラブとは全く関係ないところで発生していたことなら個人の問題と言えるかも知れない。しかしサポの女性にすり寄られたのか、自分からアプローチしたのか知らないが、立場を利用したわけだから最低である。

 

まあ、これは柳沢と鹿島の問題であるから、今更この不祥事をごちゃごちゃ言う人も少ない。柳沢は1999年6月にシドニー五輪予選の期間中に無断でチームを離れて、当時交際中だったモデルの梨花と密会していたことを写真週刊誌にスクープされて、それに激怒したトルシェから五輪メンバーから追放された。ただシドニー五輪には選ばれている。この2件を見ても柳沢は女性におぼれると自分を制御できなくなるタイプであることが分かる。

 

梨花の件は若気のいたりだったで済ませられるが、サポ女性との不倫なんて自分の仕事をだめにするに決まり切っている。それが理解できていない。1977年生まれで現在43才だが、まだまだ女性問題でやらかしそうな年齢でもある。鹿島のコーチ、フロントには相馬、曽ヶ端、中田などの先輩、後輩がいるわけだから、柳沢をしっかりと見張らないとだめだ。

 

1998年2月のアデレードとシドニーで行われたフランスWCに向けた日本代表合宿に岡田監督から柳沢は招集された。これが代表初招集だったはずである。アデレードでのオーストラリア戦で代表デビュー。その試合後の代表チームが宿泊しているホテルで、筆者は柳沢を見かけたことがある。地下のファンクションルームに通じる廊下でジャージを着て、高校生選手が使うようなスポーツバッグを肩にかけてとぼとぼ歩いていた。

 

その廊下には選手が立ち入りそうな部屋などもなく、どうしてそんなところを選手が一人で手持ち無沙汰で歩いているのか不思議だった。柳沢の様子は寂しげでさあこれからワールドカップで頑張るという19才の若者には見えなかった。代表チームの他の選手とは浮いていたのだろう。代表初招集だからまだ人間関係ができていなかったのかも知れない。WCアジア予選にも出ていなかったし。

 

結局柳沢はフランスWCメンバーには選ばれなかった。岡田監督は柳沢のゴールへの執着心の欠如を指摘している。FWの選手なのに、監督からゴールへの執着心がないと言われるのは問題である。アデレードのホテルで一人でとぼとぼと歩いていた柳沢君がそれから23年近くたって、スケベな中年男に成り果てていたとはとても信じられない。