サッカールーの何でもござれ パート2

シドニー在住者のサッカーについてのざれごとです。

柳沢の鹿島ユース監督就任

2021-01-27 10:09:23 | 日記

柳沢敦が鹿島ユースでコーチから監督に昇格した。2018年6月にサポの女性と不倫していたことを週刊女性にスクープされてすぐにユースのコーチを辞任。そこから半年後に同じポジションで復帰。サポの女性に手出して不倫していたという不祥事をおこしておいて、たったの6か月で復帰させるわけだから、

 

鹿島は選手、スタッフの倫理規範に甘いと言われても仕方がない。これがクラブとは全く関係ないところで発生していたことなら個人の問題と言えるかも知れない。しかしサポの女性にすり寄られたのか、自分からアプローチしたのか知らないが、立場を利用したわけだから最低である。

 

まあ、これは柳沢と鹿島の問題であるから、今更この不祥事をごちゃごちゃ言う人も少ない。柳沢は1999年6月にシドニー五輪予選の期間中に無断でチームを離れて、当時交際中だったモデルの梨花と密会していたことを写真週刊誌にスクープされて、それに激怒したトルシェから五輪メンバーから追放された。ただシドニー五輪には選ばれている。この2件を見ても柳沢は女性におぼれると自分を制御できなくなるタイプであることが分かる。

 

梨花の件は若気のいたりだったで済ませられるが、サポ女性との不倫なんて自分の仕事をだめにするに決まり切っている。それが理解できていない。1977年生まれで現在43才だが、まだまだ女性問題でやらかしそうな年齢でもある。鹿島のコーチ、フロントには相馬、曽ヶ端、中田などの先輩、後輩がいるわけだから、柳沢をしっかりと見張らないとだめだ。

 

1998年2月のアデレードとシドニーで行われたフランスWCに向けた日本代表合宿に岡田監督から柳沢は招集された。これが代表初招集だったはずである。アデレードでのオーストラリア戦で代表デビュー。その試合後の代表チームが宿泊しているホテルで、筆者は柳沢を見かけたことがある。地下のファンクションルームに通じる廊下でジャージを着て、高校生選手が使うようなスポーツバッグを肩にかけてとぼとぼ歩いていた。

 

その廊下には選手が立ち入りそうな部屋などもなく、どうしてそんなところを選手が一人で手持ち無沙汰で歩いているのか不思議だった。柳沢の様子は寂しげでさあこれからワールドカップで頑張るという19才の若者には見えなかった。代表チームの他の選手とは浮いていたのだろう。代表初招集だからまだ人間関係ができていなかったのかも知れない。WCアジア予選にも出ていなかったし。

 

結局柳沢はフランスWCメンバーには選ばれなかった。岡田監督は柳沢のゴールへの執着心の欠如を指摘している。FWの選手なのに、監督からゴールへの執着心がないと言われるのは問題である。アデレードのホテルで一人でとぼとぼと歩いていた柳沢君がそれから23年近くたって、スケベな中年男に成り果てていたとはとても信じられない。