数日前、吉祥寺図書館から「予約の本が返ってきましたのでご来館下さい」と
連絡があった。去年の夏ごろに予約していた 姜尚中の「心」である。
秋ごろ待ちきれずに買って新幹線の中で斜め読みして終わった本でもあった。
氏の子息が死に至った事実の経緯を知ることができたらと読み急いだ。
最終章の10ページ足らずに子息のことは書かれていたが、チョット物足りない感じが
したまま本棚に並んでいた。もう一度取り出し所々読み返した。
子息のことは深く知ることは出来なかったが、全体的に非常に重い感じの文であった。
一部分に漱石の「こころ」が頭をかすめたりもした。
** 姜尚中 「カンサンジュン」
1950年生まれ 東京大学大学院教授を経て聖学院大学教授、専攻は政治学。
著書 「姜尚中の政治学入門」「リーダーは半歩前を歩け」「母ーオモニー」「在日一世の記憶」等。
因みに私は「母ーオモニ―」しか読んでいない。
表紙に書かれている「末永く、元気で」は子息が残した最後の言葉。
** 「先生」と「僕、西山直広」の手紙形式で「心」は書かれている。
感想は難しいので書くことはできませんが、わかり易く単純に理解できた
「砂時計」の一節がありました。
** 直広の親友与次郎が、20才の若さで白血病で亡くなります。彼はそれを機に「生」と「死」の意味を考え、親友の生は無意味なのではなかったのかと思い悩むのです。「砂時計の上は未来、下は過去、真ん中の細いくびれが現在」未来から押し合いへし合いしながら滑り下りて現在があり、そしてやがて過去になっていく。過去は忘れられたものではなく、その人の永遠がそこに存在する。(楽しかったこと、嬉しかったこと等)と「先生」は書いている。本人は死によって未来は断ち切られたが、永遠は残ると。
** 漱石の「こころ」
「先生とわたし」から始まっていた?あまりにも有名な小説。これは最後に先生からわたし(書生)に書かれた長い遺書でまとめられている。
親友から打ち明けられていたお嬢さんへの愛を知りながら、抜け駆けのかたちでお嬢さんを妻にしてしまった先生。結果、親友は自殺する。妻は生涯それをしらずいるが、後年、先生は自分の良心の呵責から結果的にその罪を死によって償う。
** 直広、与次郎にも萌子という憧れの女性がいた。与次郎は死が近いことを知り、思い切って萌子に愛を告白する手紙を書き、その手紙を直広に託す。「読んでも良いし、渡さなくても良い。」
結果、直広は萌子に渡すことをためらい、与次郎は20歳の命を閉じる。
その後、彼は色々な体験をして成長していく。主に3/11日の津波災害にかかわり、海の中の遺体を探し引き上げるという過酷な体験を通して、生と死、未来と過去、愛などを学び、与次郎への良心への呵責、萌子への愛を受け止め、それらすべてを包み込みながら生きていく道にたどり着く。
漱石との時代の背景や現在の考えの違いは勿論あるにせよ、同じ種類の心の葛藤があったことは事実です。時代はあまりにもかけ離れていますね。
** 以前に斜かい読みした時と、今の心境では内容の理解の仕方が変わっていたように思います。
「去る者は日々に疎し」ではなく、永遠となって厳然と残っていく事実。姜尚中氏の「過去は過ぎ去ったものでありながら永遠として残る。」この言葉は胸に響くものがありました。