Garnetの部屋

たそがれGarnet の 独り言
(つれづれ日記より)

親鸞とバラヒップ

2011年12月03日 | 読書
    
今年も12月に入り、今日3日は昨夜からの雨が朝まで降り続いて
雨戸をあけると冷たい雨のしずくをいっぱいに受けて、それでも赤く、
野バラの実、ヒップが鮮やかに目に飛び込んだ。

何の脈絡もないのだけれど、数日前にやっと読み終えた「親鸞」から
解放された安ど感と共に日頃ながめているその実とはまた格別に美しい
鮮やかさで私の目を楽しませた。




 「親鸞」

五木寛之(1932年 福岡生まれ)

代表作、「さらばモスクワ愚連隊」
    「蒼ざめた馬をみよ」
    「大河の一滴」
    「朱鷺の墓」


『親鸞』(浄土真宗)
1173年、京都市伏見区に生まれる。本名「忠範」(ただのり)
9歳で慈円のもと得度し、最初の名前を 「範宴」(はんねん)と称しました。
彼の夢である仏道、文化の最高学府である比叡山で20年の難行、苦行に挑戦修業するのですが、真の仏に出会うことが出来ず、山を去り聖徳太子が建立したとされる六角堂に100日参籠、95日目に聖徳太子の化身に出会う。のちに妻となる紫野(恵信)とも、ここで出会う。 お告げにより東山吉水の法然上人を訪ね、彼の説を聴聞する。(法然もかっては比叡山で修業した人物)やがて法然の弟子となり念仏門(阿弥陀仏)に帰命し33歳で「綽空」(しゃっくう)と名乗る。所説によると恵信との間に4男3女を得たとも。その後「親鸞」を名乗り東国にて20年の布教を行う。宗教の弾圧により、後鳥羽上皇から法然上人と共に流罪、妻、恵信の故郷越後に去り、1263年頃、89歳で亡くなる。現在もなお、報恩感謝のため祥月命日に「報恩講」が営まれている。



『阿弥陀仏』あみだぶつという仏様はこの世に生きる哀れな者たちを決して見捨てない、愚かな人々を一人残らず救う。罪おおき我らを必ず抱きとめてくださる。
『十悪五逆の悪人も念仏で往生できる』すべての学問、修業、その他を捨てて(断、捨、離)ただ、念仏を唱えよと、、、? 私なりに解釈したのです。上巻、下巻合わせて、800ページ足らずの読書でしたが、繰り返しては読み、さかのぼっては読みしました。内容が完全に把握できたか疑問ですが、宗教にチョット興味がわいてきました。、、、ですが、次の本、佐藤愛子のわが老後最終版 「これで、おしまい」早く読みたい!!
コメント (2)
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