自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

谷中(たんなか)の碑

2019-12-04 | Weblog

  昨日のサイクリング、伊賀市(青山)と津市(美杉)の境の桜峠を下っていると、廃村跡(谷中)がある。以前から少し気にはなっていたが、その頃の走行は、大会等に出るための練習目的であるため、登りでは脚を止めない、下りではコーナーを上手く通過するなどの気持ちで、自転車を止めることはなかった。この坂はこれまで上り下りで3、4回程度は通過しているが、横目でチラリを目をやるだけだった。今回初めて脚を止めた。

 廻りを見れば、あちこちに住居跡がある。斜面に石垣が高く積まれた敷地の跡が見受けらる。現在は鬱蒼とした木立の中にあるが、住人がいた頃は開けてもっと明るかったに違いない。
 自転車で最初に通過したときは、朽ちはてた小屋なども残っていたように記憶している。県道かたわらには墓石がいくつも残っており、一つの墓碑銘を見ると「文政」年号だ。江戸時代からあった集落である。
 ここから山道を下って、明るく開けた所に出ると奥出集落が見えてくる。お寺があって、橋のたもとに石碑が建っていることに気が付いた。寺の由緒でも書かれたものかと近寄って見ると「平和」の文字が(写真)。
 碑文には、ポツダム宣言受諾のすぐ前の、昭和20年7月24日の昼下がり、津市中心部を爆撃したB29が帰る途中に残った爆弾を谷中(たんなか)集落に落としていった。このため、小学生ら7人の尊い命が奪われたという。(石碑は平成になってから村が建てた)無差別に人の命を奪うことをなんとも思わないのが戦争、B29は着陸時に備え爆弾槽を空にするために捨てたのであろうが、こどもたちは楽しく遊んでいただろうにと、しばし佇む。
 当時、谷中には20軒の家があり、戦後一軒、一軒と出て行って、昭和50年に最後の一軒が出て行った、らしい。 

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