2枚の掲載写真に写る、打楽器奏者の共通点は何でしょう?。
答えは両者とも、ミック・ジャガー(ローリング・ストーンズ)のステージで「悪魔を憐れむ歌」を
演奏したということ。
掲載写真左はジンジャー・ジョンスン&ヒズ・アフリカン・メッセンジャーズが67年にリリースした
「AFRICAN PARTY」。ナイジェリア出身のジンジャーは60年代にロンドンで、アフロ・パーカッション・
グループを率いて演奏活動をしていたとのことで、アルバム発表から2年後の69年7月5日に
ストーンズがハイド・パークで行ったブライアン・ジョーンズ追悼コンサートに参加した。
初めてこの時の映像を見た時は、彼らがアルバムを出していることなど露知らず、「どこから
こんな人達を見つけてきたのだろう」と、思ったものだ。まあ、そう思うのも無理はなく、件の
コンサートでの彼らは演出とは言え、「アフリカ原住民」と言われて誰もが思い浮かべるであろう、
出で立ちでステージを務めたのだから。しかしながら彼らが参加したことで、この日の「悪魔を
憐れむ歌」は特別なものとして、ストーンズ者の記憶に焼き付けられたのは間違いない。
このアルバムは05年にCD化され、広く聴かれることとなったのだが、それはフェラ・クティが
「アフロ・ビート」を名乗る以前に、英国で強烈なリズムを生み出していたナイジェリア人の存在を
改めて知ることにもなった。
掲載写真右はツトム・ヤマシタズ・イースト・ウィンドが74年にリリースした「ONE BY ONE」。
ジュリアードやバークリーで学んだということから、ロックなんぞに足を突っ込まなければ偉い先生に
なっていたかもしれない。一般的にはこの後の「GO」関連のプロジェクトがスティーヴ・ウィンウッドや
クラウス・シュルツェら大物の参加もあって、よく知られているところだが、この盤も英国プログレ人脈の
渋い面々が参加している。映画「F1グランプリ~男たちの栄光」のサントラとして制作され、
サントラらしく短い断片のような曲もあるが長尺の曲が2曲あり、ここで聴くことができる「プログレ経由の
グルーヴ」(?)が実に格好良い。
ヤマシタは88年のミック・ジャガー来日公演の、最終曲として用意された「悪魔を憐れむ歌」で
サヌカイトを叩くパフォーマンスを披露したのだが、実は損な役回りも引き受けている。
私がミックのコンサートを見たのはツアー初日の88年3月15日大阪城ホールだったのだが
この後ミックさんは、あろうことか風邪をひいてしまいコンサートを延期することになる。
コンサートに詰めかけた聴衆に向かって、「ミックが風邪で熱があって今日はコンサートが出来ない」と
謝罪したのがヤマシタであった。その後ガウン姿のミックも出てきたのだが、見に行った後輩の
話ではミックが出て来るまでは怒号が凄まじかったとのこと。ストーンズの来日が夢のまた夢のように
感じられた時代に、やっと実現したミック・ソロ公演だけに観客の落胆と怒りがどのようなもので
あったかは想像がつくが、ヤマシタには気の毒な役回りであったのも事実。
ヤマシタがロックの長い歴史の中で、どういう足跡を刻んだかということを取りざたされることも
余り多くは無い。こんな話になると、オノ・ヨーコやテツ山内の名前ばかり挙がるのも何だかなあ。
というわけで、男前の肖像・番外編はお終い。