須田一政さんはこのところ,ベトナムの写真などでオートハーフを使ってますが,何でなんだろ。
ハーフ判と固定焦点が相まって,写真は不鮮明です。
ブレ・ボケ・アレのような「技法」ではなく,はっきり写さない手法と言うべきか。
500万画素以上のデジタル写真をパソコンで部分拡大して見ると,実に細かいところまで鮮明に写っていて,もはや肉眼を超えているというか,写真を超えていることを感じます。
銀塩時代には,このような見方で写真を見る人はほとんどいなかったでしょう。
バルナックがライカを作った際,写真の前提は100万画素だったとか。
木村伊兵衛や土門拳の戦前のライカを使った作品を今日の目で見るとちっとも鮮明ではありません。
ひょっとすると,須田一政さんの写真は,(写真が生活入り込んできたスナップ黎明期の)写真を感じさせるものなのかも知れないと思った次第です。
高画素化,超細密化の進む一方のデジタル写真にも可能性は残っています。
そう,須田一政さんがケータイで撮る日は来るでしょうか。
ハーフ判と固定焦点が相まって,写真は不鮮明です。
ブレ・ボケ・アレのような「技法」ではなく,はっきり写さない手法と言うべきか。
500万画素以上のデジタル写真をパソコンで部分拡大して見ると,実に細かいところまで鮮明に写っていて,もはや肉眼を超えているというか,写真を超えていることを感じます。
銀塩時代には,このような見方で写真を見る人はほとんどいなかったでしょう。
バルナックがライカを作った際,写真の前提は100万画素だったとか。
木村伊兵衛や土門拳の戦前のライカを使った作品を今日の目で見るとちっとも鮮明ではありません。
ひょっとすると,須田一政さんの写真は,(写真が生活入り込んできたスナップ黎明期の)写真を感じさせるものなのかも知れないと思った次第です。
高画素化,超細密化の進む一方のデジタル写真にも可能性は残っています。
そう,須田一政さんがケータイで撮る日は来るでしょうか。