山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

田舎はクラウンが多い?

2013-05-09 22:30:10 | 車・運転・道路2013
gooブログに、1年前の自分の記事がメールで送られてくるのだけど、昨年私が書いた記事は、田舎の従兄弟が白のクラウンに乗ってたっていう事が書いてあった。
従兄弟の車は、中古車だそうだけど、我が家の軽自動車に比べると全然乗り心地が違うし、内装に高級感があったので、いいなあと思った。

しかし、今年のゴールデンウィークに田舎に帰ってのクラウンの印象はちょっと違った。
実家の近所のショッピングセンターみたいなところに行ったんだけど、駐車場に出入りしている車に、クラウンが多かったのに驚いた。それも、なんか古めかしいっていうか、なんとなく時代遅れ風のイメージが感じられた。たぶん型も古いのだろう。そして、そういう車は、昨年従兄弟が乗っていたのと同じような車だったのかもしれない。

そこで、昨年と今年の印象を総合して考えると、それらの車は、実際に乗ると乗り心地はいいけど、見た目はそれほど憧れるほどのものではないのではないか?ということだった。

それから、なんで田舎(この場合、例えば静岡県の辺鄙な地域)にはクラウンが多いのだろうか?という疑問がわいた。
そういえば、東京区内では、自家用車としてクラウンの割合はそんなに多くないような気がする。高級住宅地の庭先やガレージに何気なく置いてある車は、セダンだとBMWかアウディーが多い。あるいはレクサスあたりだ。しかし、実家付近の家ではほとんどBMWやアウディーは見かけなかった。
となると、クラウンはなんとなく田舎っぽい感じがするのだ。

このイメージは、自分だけのものなのかどうなのかわからないので、「田舎 クラウン」などというキーワードでネット検索してみた。
そうしたら、やっぱりそういうイメージらしいのだ。
なぜ田舎はクラウンになるのかというと、田舎は全体的に国産車でトヨタ車が多いらしい。そして、外国車を扱うディーラーが少ないということもあるらしい。

なるほど、そうだったのか。
ちょっといい車が欲しいな、と思った時に、近場に売っているのがクラウンなのか外国車なのかというところで、選択肢が決まってしまうということのようだ。
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「江利子と絶対」(本谷有希子)

2013-05-09 21:34:24 | 読書
「江利子と絶対」という講談社文庫が家にあったので読んだ。
いつだったか自分で買ったものだが、すっかり忘れていた。おそらく、若い作家のものもたまには読んでみようと思って、本屋でみつけたものだったと思う。
この文庫本には「江利子と絶対」「生垣の女」「暗狩」の3作品が載っていた。つい最近、読み始めたところ、最初の作品を以前に読んだ記憶が戻ってきた。ひきこもりの江利子が「絶対」と名付けて飼っている犬は、人に虐待されて、縛られていた肉が、ボンレスハムのようになっているという部分で思い出した。社会の中で虐げられている人と虐待される動物の組み合わせ。なんともどうしようも無い気分になった。弱いもの、無能なものを傷つける強者のやりとりは本当に嫌な気分になる。
なんとなくそんなところで、読むのが止まったまま忘れていたのだろう。

次の作品もちょっと似たようなところがあった。まるで世の中から、無価値とされているような醜く無能な男女。そのうちの男の飼う猫を女が電子レンジにかけるシーンは、もう読みたくなかった。そのまま、この本をゴミ箱に捨ててしまおうと思った。

なんでそこまでするのか、書くのか?読者は、物語の中に救いが残ることを期待している。すんでのところで助かったりするのではないか、心を入れ替えたりするのではないかと望むが、この作品ではあっけなくそんな期待は裏切られるのだ。姿が醜ければ心がきれいかと思えば、そんなこともない。それが現実か。しかし、なんと不快な小説なのだろう。

絵画でも同じだ。昔はきれいな景色を描き、それを見て心を癒したものだが、最近ではあえて気味の悪い絵を描いたり、目をそむけたくなる事実を描いたりする。事実以上に残酷に描いたりもする。文学も、絵画のシュールレアリスムみたいなものかな?

この醜さと、この残酷さは、“あえて”そうなんだ、と思いなおし、最後まで読むことにした。

3つ目の作品も同じような短編かと思っていたら、意外に長かった。そして、これはすごかった。この作品も、一般通常範囲から外れたどうしようもない底辺の人間たちが描かれていた。そして、物語は息をつく暇もないくらい恐ろしかった。そしてまた、多くの期待が裏切られた。
だが、結末がすごかったし、心に残るものがあった。
これはすごい。
この本を捨てないで最後まで読んでよかった。

「暗狩」 ・・・全く衝撃の作品だった。



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母の日のプレゼント

2013-05-08 19:17:32 | 日記
母の日が近づいている。結婚した長女は、なにやら私に贈ったのだそうだ。ダンナのお母さんにも贈ったそうだ。
それを聞いて、自分はこれまで母の日にほとんど何もしていないことを思い出した。もう、夫の母は亡くなってしまったので、今から親孝行することもできない。私の母は80代なので、生きているうちに何かしておかないと、あとで後悔しても遅いと焦りだした。
やっぱり、若い時からプレゼントを渡しておけばよかったなあと、特に夫の母を1度も喜ばせてあげられなかったことが悔やまれる。うちは元々プレゼントをあげるという習慣が子どものころから無かったのだ。
なのになぜ長女はそういうことをするのかというと、どうやら友人たちがそういう文化を持っているらしい。
それで、今度は逆に、親の私が感化されてきた。
それと、会社の同僚と話をしたら、一応何かを贈るという人が多かったのだ。無難なところでお菓子を贈るのが適当だ。
衣類はサイズや趣味があって難しい。花は実家にはたくさんあって要らないのだ。

それで、同僚お勧めのせんべいを買いに行った。ネットで申し込むと焼きたてを送ってくれるようだが、実物を見て決めようと思って、仕事帰りに駅ビルによってみた。
箱入りはいろいろあるけど、ピンクの筒のような包装になっているのがきれいなので、それにした。送料を入れても2000円くらいの簡単なものだった。
お店で買えば、味見でもできるかと思ったら試食はなかった。煎餅でもいろいろな種類があるが、何がなんだかわからなくて、もうどうでもいいやという気になった。

なぜ自分はいつもそうなのかな?と思う。プレゼントをし慣れていないので、選び方がどうもおかしい。結局、わけわかんないからどうでもいいや、ということになってしまうのだ。別のもののほうがおいしかったかな?もっと高い物のほうがよかったかな?詰め合わせが良かったかな?などと決めたあとでいろいろと雑念が湧いてくる。店から配送を頼むと焼き立てではないようだった。でも、せっかく電車に乗って行ったので、そこで買うことにした。それで、もう成り行きでいきあたりばったりで、適当で・・・ということになった。

みんな、どんなふうに物を選んでいるんだろう。自分は、どうも何をやっても板につかないなあと思う。
実家の母が、そんなもん贈らなくてもよかったのに・・といいそうな予感だ。母は無駄遣いが嫌いな人間だからだ。
それでも、何か贈られてきたら少しは楽しいんじゃないかな?と思うけどね。
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コンビニおにぎりの怪

2013-05-07 17:37:13 | 日記
今日、お昼にコンビニからおにぎりを2つ買って食べていた。1つ目は、ツナマヨで、味はいつもと同じだった。2つ目はタラコおにぎりなのだが、これを食べ始めたら、なにかいつもと違う感じがした。なにやら「人工的な異様な何か?」を感じ、食べるのを一瞬中止したくなるような衝動にかられたが、「なんだろうか?」と思いながら食べ続けた。食べているとタラコの入っている中央はいつも通りだった。しかし、どうも周囲に何か人工的な処置が施されていたようだ、という直感がした。
すると、おにぎりを食べ終わって席を立った直後に、なにやらめまいがするような気がした。めまいというか、度の合わないメガネをかけていて目の焦点が合わずクラクラする感じなのである。実際、老眼鏡をかけていたのではずしてみたが、いつもかけていて何でもない老眼鏡の度が、今日だけ合わないわけはないので、どうもおかしかった。
昼休みが終わって自分の席のパソコンの前に座っても何かおかしい。やっぱりクラクラするのだ。まさか、このままどんどんひどくなっていき倒れたりするのではなかろうか?アタマの中で血管が切れているとか?何か起こっていたらどうしよう、と思った。
メガネをはずしてみたりした。そのうち、なんとか大丈夫そうで、だんだんおさまってきた。

それにしても、おにぎりを食べた時のなんともいえないあの直感はなんだったのだろうか?「この味は、防腐剤?」と一瞬思ったのだけど、もしかしたら「グルタミン酸ナトリウム」が大量にまぶされていたのかもしれなかった。にぎられた白いご飯の周りがおかしかったのだと思う。
それで、急にめまいが起こるかどうかは定かでないが、今になって思うと、食べた瞬間に何かが体内に吸収され、血液の中に流れたような気がする。
そして、それが30分くらいで治ったのは、肝臓で解毒でもされたんだろうか?
食品添加物や防腐剤の仕組みはわからないけれど、身体にとってよくない何らかの物質が通常以上に使われていたようだ、としか思えないのだった。

そして、人は「おかしいな」と思っても、結局はいつもと同じ行動を続けてしまうということを感じた。
「なんか変」と思った時に、そこでストップする決意、それが必要ではないだろうか?

「変なにおいがする」とか「変な味がする」と思っても、それを避けようとしないで、そのままにしていたら、危険は回避できない。

コンビニ弁当は危険といわれているが、これまであまり気にも留めなかった。
でも、今日のことで、やっぱりコンビニのお弁当やおにぎりは身体に悪いものが入っている可能性が高いと思った。やっぱり、自分で作ったものを持って行くのがよさそうだ。
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交通心理学

2013-05-06 23:08:27 | 日記
今日、適当にテレビのチャンネルを回していたら、放送大学で「交通心理学」というのをやっていて驚いた。
途中から見たので、すぐに終わってしまったが、運転中にどのように視線を配っているか(自動車学校の運転指導員と一般人の違い)とか、二輪車と四輪車の右直事故の原因(ライダーとドライバーの視線の特徴の違い)、その検証方法、などをやっていた。
これは、ぜひとも受けてみたい内容の授業だが、今までこのような科目があることも知らなかった。まさか、心理学でこんなのがあるとは思わなかったのだ。これは2012年の開設科目のようだ。

放送大学は、今年の3月で中退してしまったまま再入学していないのだが、やっぱりまた入学しようかな、という気になってきた。
とりあえずは、毎週放送を見てみようかな。
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地下鉄

2013-05-06 22:20:16 | 日記
今日は、地下鉄東西線に乗りました。
車内放送で、車内に不審物があった場合は、駅員か警察に知らせるようにという放送が流れていました。
こういう放送がされるようになったのは、地下鉄サリン事件があって以来のことだというのを思い出しました。また、駅にゴミ箱が設置されなくなったのも、あの事件以来でした。

ところで、たしか東西線は、地下鉄サリン事件の現場にはならなかったことを思いだしました。今日は、千葉県のほうから中野まで乗ってきたのですが、その区間には、秋葉原・小伝馬町・築地・日比谷・霞ヶ関といった駅名がなかったから、そう思ったのです。
しかし、東西線から乗り換えて、丸ノ内線・日比谷線・千代田線を使っている人も多かったようでした。

今は、もうすっかり忘れられている事件だし、その当時まだ生まれていなかった子どもたちも多いんだなと思います。

でも、あれ以来、駅員の人たちも不審物に対する処置の仕方などをしっかり徹底しているのだろうなと思いました。

駅員さんたち、毎日の危機管理、ご苦労様です。

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あり得ない動き

2013-05-06 02:04:14 | 車・運転・道路2013
このごろ、クラクションを鳴らされることもないし、意地悪な車にも遭遇しない。
ということは、もしかしたら、自分の運転がまともになってきたからなのかな?とも思う。

また、東京の人は、マナーがいいのだ、とも思う。
だから、今日も、全く変な車に出くわさなかったし、運転中に焦ったこともなかった。

と、思ったのだが、ひとつだけ不思議な光景に出くわしたのを思い出した。

それは、前方の信号が青で、私の車は、その交差点にはまだ少し距離があったときだ。

だんだん信号に近づいていき、信号が青のうちに通過できる感じだった。

そのとき、その交差点の左から1台の車が出てきて右折してこっちに走ってきて通り過ぎていった。

そのあと、私がそこを直進通過したわけだが・・・

あれっ、こっちが青で、左から車が出てきてこっちに右折してくるってことがある

交差道路の信号は赤のはずですよね。

不思議だ。

あれは、なんだったのだろうか

結局のところ、こっちの道路はその交差点付近を車が走っていなかったので、衝突などという危なさはなかったのですが、
あの車は、車が来ないことをたしかめつつ、信号無視で進んできたのでしょうか?

それにしても、信号の変わり目ではなく、完全赤の時点でそんなことをする人がいるものか、

いまだに不思議でなりません。

こんな光景は、運転していて初めてのことでした。

なんか、カーテンの下から這い出て来たゴキブリが、あれよあれよというまに、廊下を渡って食器棚の裏に姿を消したようなイメージでした。

あれっ?黒っぽい車だったかな?
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「さくら日和」

2013-05-05 22:50:07 | 読書
先日、帰省する電車の往復で、さくらももこの「さくら日和」を読んだ。
これは、以前、娘が買って読んでいたのが家にあったものだが、今回、電車の中で読むのに何か軽い内容の本がないかと思って持っていった。以前は「たいのおかしら」が面白かったので、自宅にあったのを実家に置いて来たら、母も面白いと言っていたので、今度は、母にこれを持っていこうと考えた。
ところが、往きだけでは読み終えなかったので、実家に置いてくることができなかった。
母にそのことを言うと、「どうせこの前のも読んでないから」という意外な返事が返ってきた。
あれっ?前回は「あんたの置いてった本、おもしろいねえ」なんて、母は言っていたのに、最後まで読んでないとは、いったいどうなってるんだ?
本というのは、面白いからといって最後まで読むとは限らないのだろう。
面白いのに最後まで見ないドラマや映画、おいしいのに最後まで食べない料理、などいろいろあるのだ。
年を取ると、だんだんそうなっていくのだろうか?
といいながらも、私もおもしろいのに「ブルーインパルス」を読み終えていないし、「白鳥の歌なんかきこえない」も読み終えていないのだった。人の事は言えない。

「さくら日和」についての感想を書かなくてはならないけど、まあ、どうということはなかった。軽くて面白かった。さくらももこは静岡県人なので、家族の話し言葉が我が家にそっくりで「鯛のおかしら」と同じように親近感がわいた。
「たいのおかしら」は子どものときの話だったが、「さくら日和」は大人になってからの最近の話だった。ちびまるこちゃんが大人になるとこうなるのか?まさに・・という感じだった。
最近とはいっても、1999年の発行だから14年も前の話。小さな息子さんのことがよく出てくるが、その息子さんも今や20歳くらいになるのかな?と思った。月日の経つのは早い。

気晴らしに読むにはよかった。本の装幀を祖父江さんという人がしているが、きれいだった。特に、外のカバーを外した内側の表紙もきれいなので驚いた。本の楽しみはそういうところにもあるもんだと思った。

とりあえず、読んだ本の記録として、これを書いておくことにした。
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挑戦が足りない

2013-05-05 16:53:29 | 車・運転・道路2013
いよいよゴールデンウィークもあと1日を残すところになりました。
今年のゴールデンウィークは、車でどこにもでかけていません。思えば、最近はめっきり遠出をしなくなっているのです。特に、高速道路というものを1年以上走っていないようです。ETCをつけたのに、本当にもったいない話です。
でも、高速道路は、ひとたび事故があると、玉突きなどが起きたり、大きな事故になりやすいので、どうしても敬遠してしまいます。

このごろ思うことは、過去の自分は偉かったなあ~と思うばかり。
「恐ろしいこと」に挑戦していました。
「恐ろしい事」とは、「知らない道を走る」ということです。
もっとも、最初のころは知っている道が1つもないのですから、知らない道を走るしかなかったわけですが、それに比べるとこのごろは、知っている無難な道を選ぶ傾向が強く、ちっとも新しい道を開拓せず、進歩がありません。

こんなことではダメだ。ほんの僅かでもいいから知らない道、初めての道を走るようにしないと、ほんのわずかの進歩にもならならいのだ。
そう思って、今日はいつも行く駒込への道をほんの少しアレンジして、不忍通りから春日通りに右折し、文京区役所の近くを通って、春日町で左折し、白山通りを北上して再び不忍通りに戻り西に帰るという経路を予定し、予定通り走って戻ってきました。走行距離は36kmくらいなもんでした。

春日通りを走っているとき、ジェットコースターみたいなものが前方に見えてきて、あっ後楽園遊園地だと思いました。ナビを文京区役所にセットしてあったので、後楽園駅のところで右折するように案内してきましたが、そのまま直進。右にシビックセンターを見つつ進んで、その先を左折。このあたりが下り坂になっていることは、地図ではわからなかったのでちょっと意外でした。そのまままっすぐ進んでみたい衝動にかられながらも、その先は未調査なので春日町交差点で左折しました。
その先の白山通りはものすごく広くて驚きました。片側4車線もある道路はあまり走ったこともありません。
道路の左端にはメーターコインパーキングが並んでいたので、そのあたりで駐車することができることがわかりましたが、ほぼ満車状態でした。
そのまま北上すると浦和のほうに行くようです。これもまた行ってみたい衝動にかられましたが、千石1丁目で左折して、無難に知っている道を戻ってきました。
帰りは、山の手通りから青梅街道に出ようとしたところ、間違って早く右折してしまい、山の手通りから早稲田通りに出てしまいました。早稲田通りから環七に曲がって青梅街道に出ようかと迷いましたが、結局、もっと西の阿佐ヶ谷から青梅街道に出ることにしました。
今回は迷走というほどの予定変更ではなかったので、あまり収穫はありませんが、春日通りと白山通りを少し走ったことが収穫ではありました。

ゴールデンウィーク、子どもの日であって、日曜日でもあるので、山手線の内側は道路が空いているかなと思ったのですが、たしかにすいていてああいう感じか?普段はもっと混んでいるんだろうな、と思った次第です。

赤坂・六本木・銀座・東京駅あたりは、やっぱり走る勇気がまだ出ません。
今度は休日の午前中を目指すかな?

新しい道路の開拓、頑張らなくてはね。

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実家に行ってきた

2013-05-04 22:37:35 | 日記


実家にちょこっと帰ってきました。

写真は帰りの小田急ロマンスカーの車窓です。

今回は、行きも帰りもロマンスカーを使いました。
ロマンスカー、好きです。

実家の母は元気でよかったですが、
家事などは、いろいろと母のやり方に従わなくてはならないので、
ストレスがたまってしまいます。

到底、従うことができないので、摩擦が起きてきて、
人には人のやり方があるんだから、
たまには別のやり方でやったところで文句は言うな、と言ってしまいました。

沸かすお湯の量が多すぎるとか
鍋の置き場所が違うとか
皿の洗い方がどうのこうのと
もう、いろいろとうるさいのですよ~
だから、もう何にもやらないでいると、
今度は何もやらないと言って、母が怒りだすのですよ。

他人だったら、きっと我慢してるんでしょうけど、
実の親子だとお互い言いたい放題になって
すぐにケンカになります。

こんな人間同士だから、同居なんかできないぞ~

母が元気でいてくれるのが一番ですね。
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花の咲かない藤棚?

2013-05-02 15:37:46 | 日記
まずは、花の咲いている藤から。



今年こそは藤の花を見ようと、10日くらい前に足利フラワーパークに行ってきました。
もう、あっちこっち藤だらけでした。ここはすごいです。藤ではないツツジやシャクナゲや他の花もいっぱいです。おススメです。
紫藤と薄紅藤っていうのが満開でしたが、白と黄色はまだつぼみでした。
それから天然記念物の大藤もまだ少し早かったです。
それから、雨上がりだったので、全体的にはきれいでしたが、花びらが下を向いていて、大きく開いていなかった感がありました。

写真もいっぱい撮ってきましたが、たくさんあり過ぎてUPしきれないので、1枚にしておきます。

さて、こういうところに藤があるのは当たり前です。
そうではなく、家の近辺にないだろうか?というのが、以前からの希望です。
東京では、亀戸や調布の神社にもあるようです。小金井公園や神代植物公園・新宿御苑などにもあるようです。
しかし、そういうところではなく、日常的な場所で藤棚を見たいのです。
一度、新宿区か中野区の普通のちいさな公園で藤棚をみたことがあります。
とてもきれいでした。
その下の砂場で、子供たちが遊んでいるのです。
そういうところを発見したいのです。

それで、先週は近辺を偵察してきたのですが・・・

藤棚 発見したものの、



こんな感じなのです。
やたらに葉が茂っています。
これが藤の葉なのかどうかも確信できませんが、確かに「藤」という札がついており、「マメ科」と書いてありました。なるほど、藤というのは「マメ」の仲間なのですね。
そういえば、花のひとつひとつをよく見ると欄の花のようかな?と思ったのですが「マメ」の花に似ていますね。

咲いている藤の花の写真をみると、こんなに葉が茂っていません。
ネットで調べてみると、葉が茂り過ぎると花が咲かないそうです。
肥料が多くてもダメだそうです。

こんな棚もみつけました。


これもまた、藤かどうかわかりませんが、花は皆無です。ここには「藤」とは書いてありませんでした。

藤の花を咲かせるのはなかなか難しいのでしょうか?

区内の公園で「藤棚」というのを検索してみると、公園内の遊具や施設についての記載があります。
そういうところに「砂場(藤棚つき)」なんてのがあります。
しかし、実際のところ「藤」はありません。棚はあります。
最初から「棚」だけだったのか「藤」があったけどなくなったのかは定かではありません。

そんなわけで、都内ではすでに藤の季節は終わってしまいましたが、
今年は近辺で「藤の花の咲く藤棚」を見つけることはできませんでした。

あまりにもさびしいので、
花の咲きそうな足利フラワーパークの藤棚をもう一つ載せておきますね。



う~ん、やっぱり花が咲いている棚には、葉はほとんどないですね。

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ご飯だけ持って行った悲劇

2013-05-01 22:59:05 | 日記

昨夜、炊いたご飯を何も食べなかったので、ご飯がいっぱいあまっていた。それで、今日のお昼はおにぎりでも作って持って行こうと思っていた。でも、朝になったらすっかり忘れていた。朝起きると、ぼーっと過ごすうちに、おにぎりを作るどころか、朝ごはんさえ食べる時間がなくなった。出勤の1時間くらい前に起きてはいるのだが、どうもアタマがもうろうとしていて、全く何をする気も起きないし食欲もないのは毎朝のことだ。
家を出る15分前になったので、着がえをして身だしなみを整えて出かけなくては、と動き出したときに、初めてご飯のことを思い出した。
それで、タッパに白いご飯だけ入れて出かけることにした。おかずだけ買えばいいや。

おかずはだいたい目安がついているのだ。コンビニでハンバーグとつけ合せだけが売っているのだ。

ところが、コンビニに行ってみると、それがなかった。
仕方がない、別のコンビニに行こうと外に出たけど、そっちにもないかもしれないと思って、別方向の商店街を歩いていった、100均のコンビニがあったので、入ってみた。
ここはコンビニとはいえ、超安っぽい小さなスーパーという感じで、トレーに揚げものが2個ずつ入ったものや、お惣菜などが売っている。どう考えても、会社に持って行って食べるというよりも自宅に帰って食べるものである。だいたいソースがついていないので、コロッケやメンチなどを買ってもどうするんだ?という状況だ。いくら100円と言ってもソースを別個に買うのは嫌だ。それに同じ揚げものを2個食べるというのもどうだろうか?
1個を家に持ち帰るというのもなんか嫌だ。

そこで、またその店から出て、さらに進んで行った。
今度はホカホカ弁当があった。ここでお惣菜を買えばいいや、と思ったら、複数買うと量り売りで結構な値段になりそうだった。揚げものが1個90円くらいで売っていたので、2種類買った。野菜みたいなものも買おうかと思ったけど、そうなると少なくとも150円以上はするので、全部で330円を超える。なにやってんだ、これじゃあご飯なんか持ってきても意味ないし、普通のお弁当を買った方がマシである。
ご飯を持っていって安く済ませようという目的を達成するには、やはり揚げ物2個で180円というところでとどめるべきだ。

というわけで、散々歩きまわった挙句に、揚げ物2品と自宅からのご飯という、まるで栄養バランスの悪い昼食となった。

あああ やんなちゃった~~

帰り途にランチの店なんかがあった。
新しく出来た店もある。
ランチ950円とか、あり得ないでしょ。
休日のランチだったらまだしも、毎日のランチでは食べないな。

でも、そういうところで食べている人もいるんだろうね。
でも、正社員なんかは、給料結構もらっていると思うけど、
やっぱり通常500円くらいでとどめているかな。
男性も、コンビニ弁当とか、牛丼とかが多いようだ。
せいぜいラーメン・つけ麺くらいかな。

会社に戻るともう12時半を超えていた。
まあ、自業自得というものだ。
自分でお弁当を作らないからいけないのだ。
考えたら、昨夜の残り物のお惣菜が冷蔵庫に残っていたのだ。

それにしても、ゴールデンウィークってやつは、金欠のもと。
まず、6月分の給料が休日分だけ減るわけだし、それから帰省するので交通費がバカにならない。
家賃も1万円上がったし、これからどうするんだろうか・・・。

やっぱり、食費を削るしかないでしょ。

そうだよね。
5月から、お昼の節約、開始だ。

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