山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

いじめ事件

2012-07-16 00:54:14 | 日記
最近、大津中のいじめ事件のことがニュースになっている。
昨日、私は杉並区の散歩をしていて、「和田中」という学校に出くわしたとき、「テレビで新しい教育が話題になっている学校」ということだけアタマに浮かべて通り過ぎていた。

そして、今日になって、ブログに書こうと思った時、ふと、その学校の名前がわからなくなってしまった。

ちょっと考えたときに、「中野富士見中」という名前がアタマに浮かんだ。
何年か前にテレビで話題になった名前だ。
しかし、歩いたのは杉並だから中野富士見中ではないような気がしたが、名前だけが「中野」なのかもしれないなどと思い、その名前で検索してみた。

すると、とんでもない事実が思い出されてきた。
中野富士見中は、やはり中野区にあり、これは1986年に、いじめによる自殺事件が起きた学校だったのだ。Wikiによると、日本で初めていじめによる事件として社会に注目された事件と書いてある。鹿川くんという名前も覚えている。

あれから、26年もたっているのに、日本の学校は何ら改善されていないのか。全く残念なことだ。

そう言えば、中野富士見町というのは、散歩をした地域からそう遠くない場所にあるようだった。当事者だったこの学校は、今現在は統合されて別の名前になっているそうだ。過去の経験から、もういじめなんかあるわけないと思うが、全然別の日本の学校で、相変わらずいじめが行われている。

それにしても、人間の記憶のいいかげんさには愕然とする。
ある学校名を、自分が何で覚えているのか、わからないという実態。
その学校が良いことでマスコミに取り上げられたのか、悪いことで取り上げられたのかも、年月がたつうちにわからなくなってしまっている。

過去の事件のことをけっして忘れずに、教訓としていきていかなくては、何の進歩もないのに。


追記:7月19日

今朝、テレビを見ていたら、杉並区和田中の最初の民間人からの校長、藤原氏がテレビ出演し、いじめについて話していたが、そこで、中野富士見中の過去のいじめ事件のことにも触れていた。
実は、私は、上の記事を16日に書いてUPしていたが、今さら昔のことをほじくりだしては、中野富士見中にかかわる人たちに対して悪いかなと思って、この記事を非公開にしていた。
でも、今朝テレビを見ていて、やはり過去の事実について、学校の実名を出すことを避ける必要はないのだと思ったので、再び公開することにした。
それも、たまたま、私が名前が混乱してしまった和田中の先生が、中野富士見中のことを話していたのは驚きだった。和田中は新しい教育方法でいじめなどが起こらない教育環境を作っているのか、よくわからないが、たまたま先日散歩をした地域に関係があったことは、印象的である。

2 コメント

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初めまして (しょうこ)
2012-07-19 19:39:40
初めまして。
私は中野富士見中の卒業生です。
いじめの事件が起こると、必ずと言っていいほど我が校の過去の事例が出されるので正直言って辛いです。
私が卒業したのはここ5-6年前なのですが、私が通っていた時は一学年2クラスずつで全校生徒も120人程度とかなりの小規模校で落ち着いていた学校でした。でも社会やメディアが私たちの学校を取り上げるのは過去の事件のことばかり。今の私たちを取り上げてくれなかったことに、当時も今も強い憤りを感いています。
在学時から先生方に「この学校の過去はお前らがいくら行儀良くしていても変わらない。あの事件のせいでこの学校に対するイメージが社会で勝手に先行している。」と散々聞かされてきました。

いじめが無くならないのは、社会全体がいじめの存在は認めても、そも対策案を考えなかった、向き合おうとしなかったことにあるのでは無いかと思います。あの事件がきっかけで富士見中に結成された「おやじの会」の存在はご存知ですか?これのお陰で富士見中は地域、教員、生徒との繋がりが深まり、落ち着いていったんです。
でも、富士見中は統廃合されてもうありません。また同じことの繰り返しにならないことを祈ることしか出来ません。
記憶を風化させないように社会もメディアにも心掛けて欲しいですね。


長文失礼いたしました。
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Unknown (飛鳥)
2012-07-19 20:19:41
しょうこさん、コメントありがとうございます。中野富士見中の卒業生の方の声が聞けて嬉しいです。
私も、ブログを書いていて、過去にあんな事件があったからこそ、きっと今ではいい学校になっているに違いないと思ってました。
しょうこさんが、生まれる前の事件ですよね。

1986年っていうのは、うちの子どもが生まれたころのことです。
うちの子が入った区立中学は、2000年ころには何ら問題がない学校でしたが、その数年前は、かなり荒れていたそうで、父兄が交代で授業を監視するということがつづいていたと聞きました。うちの子が入ったときには、父兄の監視も必要なく、平和な学校になっていて、全く想像もつかない状況でした。
同じ学校でも、時代を経て変遷していくし、同じ学校の同じ学年でも、さまざまな人がいるのだから、学校名だけで、固定観念を持つのはよくないことですね。
中野富士見中の「おやじの会」というのも、父兄の方々の思いと協力で、真剣に取り組んだ結果、学校をよくして行かれたのだろうと思います。大人がしっかりしないといけませんね。
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