山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

七草粥は食べません

2016-01-07 23:51:09 | お題
七草粥は食べません。食べたこともありません。

実家では、七草粥を作ったこともなく食べたこともありません。
だいたい、うちの場合、お正月の食べ物で、胃がもたれるなんてことはないのです。
そもそも、うちは正月料理のようなものをほとんど食べません。
実家の母は、昔からお節料理が嫌いです。餅もあまり食べません。
かまぼこや、煮物くらいは食べますが、高級な肉等も食べませんし、お粥は不要です。

そもそも、七草粥に限らず「お粥」というものを食べたことがありません。
私は、ぐじゃぐじゃしたものが嫌いです。
まあ、味のついた雑炊は食べることもあります。

白いご飯を最初からやわらかく炊く「おかゆ」というものは、風邪をひいても食べたことがありません。
また、草のような青い葉っぱは好きではありません。
大根の葉や、セリなどは嫌いです。
好きなのは三つ葉くらいです。

スーパーに行くと、七草のセット等が売っており、それは、東京に来て初めて見ました。
あれを見ても、食べてみたいとも全く思いませんし、作ってみようとも思いません。

夫の家庭も七草粥を食べる習慣はなかったらしく、食べたいとも言いません。

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内心が見えてしまうこの頃

2016-01-07 23:45:13 | 日記
この頃、人は見かけに寄らないということが分かってきた。
言い換えれば、これまでは、人を見かけで判断していたということでもある。
「人は見かけに寄らない」ということは、よく言われていることであり、当たり前なのだが、それが分かっていなかった。そして、最近、やっと分かるようになってきた気がする。

人当たりが良い人、一見腰が低そうな人、気さくな感じの人がいる。しかし、意外にプライドが高かったり、偏屈だったりすることがあるのだ。
感じのよい話し方をするので、気が合うと思っていたのだが、よくよく観察したり振り返ってみると、反対の意見を言っていたりするのである。
考え方が違っていることに今さら気付く。

昨日だったかな、テレビで、嫌いな先輩から誘われたら、メールでどう返信して断るかってのを芸能人に聞いていて、その時広末涼子が「行きたい気持ちはてんこ盛りですが、今回は残念ながら行けません」のような返事をすると言っていた。こういうのって本当に意味不明だ。行きたいのに、特に理由もなく行かないってのはどういうことなんだ?「じゃあ行こうよ」ってKYな私は思ってしまう。「行きたくない」のに「行きたい気持ちがてんこ盛り」等と言う人間が居ることに驚く。この場合、「行きたくない気持ちがてんこ盛り」ってのが真実なんだろう。

さらに、トキオの長瀬は「飲み始めたら3日間先輩を帰しませんがいいですか?」なんていう返事を帰すそうだが、このような返答は全く何を言いたいのか分からず、私の場合断っているとは思えないのである。喜んでいるのかと思ってしまう。「いや3日は困るけど、1晩飲み明かそうよ、じゃ参加ということでいいですね」なんて思っちゃう。こういう遠回しな表現をする人間が一番苦手だな。こういうのってどうやって察するの?「3日ですか?それはちょっと無理だから、また今度誘うね」と言って遠慮するべきなのかな?

私はこれまで、こういう類の人たちの心を理解していなかったに違いない。
しかし、最近は、「にこにこしているけど、この人私を嫌ってるらしい」とか、「表面は同意してるけど、内心は同意してないな」とか、見えてきてしまうようになったのである。
そして、表面上都合よく合わせている人がいかに多いことか。

ところで、逆もある。
年をとってくると、昔怖かった他人もあまり怖くなくなってきたりする。そっけない人や無口な人にも、普通に話しかけてしまうオバサンになってしまったのだ。
最近、一見怒っているみたいな表情の人間と同じ場所に出入りするようになったのだけど、そんな恐い顔の人は、おそらく若い人たちは敬遠してしまうだろう。
しかし、私はおばさんだから、あまり怖くはないのである。
最近その人と道ですれ違ったのであるが、相変わらずの恐ろしい表情をしながら、なんかかなり離れたところから頭を下げているではないか。そうだ、こっちを向いてお辞儀をしてくれていたのだった。

実は、いつもにこにこしている人が、このシチュエーションで公道ですれ違う時に、見て見ぬふりをしたり、気付かぬふりをして視線をそらして通り過ぎたりしていることも多々あるのである。
あの人、いつも親切そうにしているけれど、実は私のこと嫌いらしいと思ったり、きっとB型の人間が苦手な人なんだろうな、と思ったりする。
そう、なんとなく敬遠しているような感じなのである。

そんなことが、いろいろ見え透いてしまうこの頃、私も人生を重ねたなあと思う。

それでも、まだまだ誤解も多く、見えないこともあるんだろうな。
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