山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

雑煮:実家は、白菜の味噌汁

2016-01-09 23:50:20 | お題
基本的に作らない、食べないのですが、強いていえば、白菜と餅の味噌汁ってところでしょうか。



これは、私の実家のお雑煮です。(1/10写真追加、実家の雑煮を再現してみました。)

白菜だけって、なんなんでしょうね。私はこれと同じものはこれまで作ったことがありません(でした)。
母が、父の家に嫁いだときに、こういうものだったとか?
それで、お正月になると、実家の父はこれを食べていたようですが、私はお雑煮が好きではないので、ほとんど食べたことがありません。餅は四角いのが大きいままで、かなり煮込んでどろどろになっているようでした。

自分でも、結婚してからお雑煮を作ったことはありますよ。
その時は、たいてい味噌味ですが、ほうれんそうにニンジン・かまぼことか、適当に彩りになるような具を使ってきれいに見せます。餅は食べやすいように小さく切ります。


(1/10再現写真追加:あり合わせで作ってみました。)

それから、蕎麦つゆみたいな醤油味でもできるでしょう。鶏肉・シイタケ・ねぎなど入れてもいいです。
すましじるはちょっとあっさりしすぎな気がしますので、作ったことはありません。

料理の本とか見ると、いろんなバリエーションが載っているので、若いころは、それを見ていろいろ作ったりしたことはありますが、我が家の定番は特にないのです。

私は不思議なのですが、よく「お宅のカレーはどういうのですか?」等と聞かれ、
うちは豚肉なのとか、牛肉ですなどと答えていますが、我が家では色々です。
時と場合によって肉の種類も変わるし、入れる野菜も変わります。
ビーフ・チキン・ポークのみならず、ひき肉とナスとか、野菜カレーとか、シーフードカレーとか、いろいろなんです。

たとえば、サラダだって入れる物はいろいろでしょ。ドレッシングもその時の気分で変えるし・・・。

だから、お雑煮だってその時々の気分や、たまたまあった材料で中身や味付けが変わるのは当たり前ではないのかな?

今年もお雑煮は食べていません。
(画像を追加するために雑煮を作ったので、今朝から雑煮ばかり食べています。1/10)

夫の実家でもお雑煮は食べなかったみたいですよ。餅と言えば、お汁粉らしいです。

義母から伝統のお雑煮を習うこともなかったし、受け継いだお雑煮は無いんですよね。

(あれっ?白菜の雑煮受け継いでる???)





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「黄金の日々」

2016-01-09 23:30:20 | お題
大河ドラマは、新年に見始めても、最後まで見ることは少ないです。もともと歴史に弱いので、回が進むうちにわけがわからなくなってしまうのです。
最近はテレビ離れして、夜はパソコンばかりいじっているので、ますます大河ドラマを見ることはなくなりました。

そんな中で、これまでに1番印象深いのは、大昔やってた「黄金の日々」です。主演は、現在の「松本幸四郎」、当時は「市川染五郎」でした。呂宋助左衛門の役。この時から、松本幸四郎さんが好きになりました。
このときの、脇役は、石川五右衛門の根津甚八さんや、川谷拓三さんも記憶にあります。
このドラマは、夢があって楽しかったです。

今、調べてみたら、これは1978年の1月から12月までの放送でした。全部見たように思っていましたが、見ているはずがないことに気がつきました。
1978年1月は、私は高校3年です。そして、短大のときには4畳半のアパートで1人暮らしをしていて、テレビがなかったのです。だから、見ることができないはずです。
なのに、覚えてるってことは、4月以降は、夏休みとか冬休みとかに実家に帰省したときに見ていただけなのでしょう。もしかしたら、最初の3カ月しか見てなかったのかもしれません。

そのほかに、記憶にある大河ドラマは、どうも高校・短大くらいの時代のものです。
「風と雲と虹と」「花神」は「黄金の日々」の前、「草燃える」はその後、このあたりは記憶があります。このころは、日本史がだんだんわかってきた年齢なのかもしれません。実家の父が見ていたというのもありそうです。「草燃える」もテレビがなかった1人暮らしの学生時代ですが、最初のほうは、北条氏など伊豆が舞台になっていたこともあり、興味があったのかもしれません。

その後のものでは、「独眼竜正宗」は見ていました。渡辺謙さん。
最近では「八重の桜」。綾瀬はるかは好きです。

そして、今年から始まる「真田丸」は、見ようかなと思っています。

ところで、時代物の連続ドラマということで、まず思い起こしたのは役所広司さんの「宮本武蔵」でした。でも、大河ドラマの中になかったのです。これは何だったのか?
調べてみると、「NHK新大型時代劇」というものだったようです。1984年4月から3月までの放送です。大河ドラマと言ってもおかしくないものですね。これは、毎週欠かさず最初から最後まで見ていたと思います。古手川祐子さんもかわいかった。津川雅彦さんの沢庵和尚とかも記憶にあります。このときは、吉川英治の「宮本武蔵」の文庫本も全巻買って読破しました。

もしこれが大河ドラマだったら、絶対に「宮本武蔵」と答えます。
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2015年に見た映画

2016-01-09 10:56:08 | お題
見たのは、たった2作でした。
・愛を積む人(日本)
・スターウォーズ/フォースの覚醒(アメリカ)

どっちもよかったです。

時々、映画館に行って映画を見ている気がしていたのですが、実際に昨年足を運んだのは、12月の「スターウォーズ」だけです。

「愛を積む人」は、5か6月頃、試写会があたって、自宅に限定配信されたのを見たと記憶してます。

「愛を積む人」は佐藤浩市と樋口可奈子主演。北海道に家を買い、夫婦で暮らし始めますが、もともと心臓が悪かった妻(樋口可奈子)が亡くなってしまい、その後夫(佐藤浩一)が1人で暮らすという話です。
妻が生前、家の周りに石を積んで塀を作ろうとしていたので、その遺志を継いで作り続け、それを手伝う人々とのふれあい等が描かれていたかと思います。(←ほとんど忘れてしまいました。)地味ですが、心の温まる良い映画だったと思います。

「スターウォーズ」は、公開されてすぐの週末、武蔵村山のイオンモールに買い物に行ったらやっていたので、立ち寄ってみると、空席があったために、思わず観てきました。
字幕でしたが、難しいセリフがたくさんあるような映画ではないので、戦闘シーンのスリルを味わうなど飽きずに始終楽しみました。
これまでの作品は、最初のころのものは記憶にありますが、あまり熱心に見ていません。過去とのつながりを思い起こしつつ、登場人物の時を経た姿(俳優も人生を重ねて老化しております)に、感慨深いものがありました。自分自身も同様に年を取ったものです。

スターウォーズって、身内の戦いなんだな~と、息子にあっけなく殺されてしまう最後のほうのシーンに心を痛めました。怖いのは心の闇ですね。

この劇場で面白かったのは、映画そのもののみならず、観客です。日本ではないみたいにアメリカ人家族が多いのです。なんでこんなに多いんだろ~~。
考えてみたら、すぐそばの福生に横田基地があるのですね。それで、軍人さんや基地に関係する人たちが、休日は武蔵村山のイオンの映画館にやってくるんだと推測しました。

それで、この人たちは、日本人が笑わない場面で笑うんです。
字幕を読んでいるかぎり何が面白いのか、日本人にはわかりません。
実際、声を出して笑うほど面白い場面はなかったと思うのですが、アメリカ人にだけわかるジョークがあったんだろうなと思いました。
日本語字幕では原語がわかりません。
アメリカ人と一緒にアメリカ映画を見るというのも、雰囲気を楽しむのにはいいかもです。

そんなわけで、ちゃんと劇場に行ってみた映画で、楽しめたのは「スターウォーズ/フォースの覚醒」でした。

今年はもっとたくさん見たいと思います。

日本の映画の興行収益ランキングでは、妖怪ウォッチ・コナン・ドラえもん等、子供向け映画が上位を占めています。
私は「愛を積む人」のような邦画が好きです。
2015年には「海街」なんか見たいなと思っていましたが、見過ごしてしまいました。
大人向けの邦画は、劇場に行っても結構空席が多く、余裕で見ることができます。落ち着いた内容の物などは特に、中高年しかいなかったりします。
私も夫婦で2200円という安さだからこそ行く気になります。
映画館で映画だけに集中して見るのは、自宅で見るのと違って良いものです。
今年もいろいろ見に行きたいなと思っています。

2016年の冬は「海賊と呼ばれた男」があるようで、楽しみにしています。
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給湯器の風呂は温まらない?

2016-01-09 10:11:47 | 日記
最近、湯船に浸かっていて感じることは、なかなか身体が温まらないということだ。
そういうことを感じるようになったのは、この家に越してきてからであり、しかも最近よく感じる。ということは、やはり自分が年を取ったせいで、血液の循環が悪くなったのかな?と思う。

子供のころは、親に100数えるまで上がってはいけない、などと言われて、ものすごい速さで必死に数えたりした。お風呂からあがるとポカポカして、しばらくは裸のまま冷まさないと、汗がひかない、なんてのが普通だった。
でも、今では、どうも芯まで温まらないな~。まだまだだな~、もうしばらく沈んでいたら、身体の中までお湯の温度が伝導するかな~、などと思っていつまでも沈んでいるのである。身体が太って脂肪が厚すぎるから、子供のころのようにすぐに熱が伝わらないのかもしれない。

でも、なんか、お湯が違うという気がしないでもないのである。

昔、実家では薪を燃していた。湯加減を見ながら、もうよかろうと思うころまで薪をくべて、熱ければ水を足す。風呂に入ってからぬるい場合は、家族に薪をくべてもらう。
その後は、石油のボイラーで沸かす給湯器になり、お湯用の水道管が加わった。その当時は、沸かした湯が適温のお湯として出るのではなく、やはり熱いお湯が出て、それに水を足して調節していたと思う。
それから、温泉を引いていた時期もあるが、それは私が上京してからであり、帰省したときに温泉に入っていた。温泉はさすがに身体がよく温まった。温泉は水の成分が違うから当然である。
実家は今は、電気温水器になっている。ある時期、温泉の井戸が壊れてしまい、お湯が各家庭に供給されず、不便な思いをしたことがあり、やめたそうだ。

今、自宅はガス給湯器であり、適温のお湯が出て来て浴槽にたまり、冷めた時は追いだきで、浴槽内のお湯が循環して、設定温度まで上がるようになっている。この追いだきは、浴槽の湯を給湯器内に循環させ、熱交換させて少しずつ温めていくようになっているらしく、特別熱いお湯が穴から出てくることはない。浴槽のお湯よりは多少高い温度のお湯が出てくる程度である。

以前の家では、バランス釜だったので、同じガスを使うにしても、ガスの火で浴槽の中の水を直接沸かしていたから、浴槽の穴からはやけどをするほどの熱い熱が出ていた。また、浴槽は面積がなく深かった。
その当時は、身体が温まらないと感じたことはなかったと思う。

このあたりが、身体が温まるか温まらないかの違いではなかと、ふと思った。
結局、全体が42℃とかの温度になるので、同じはずだと思うわけだけど、熱い部分には動きの激しい分子が混じっているということではないか?それが、身体を温めるのではないか?等と勝手なことを思ったりした。

薪のお風呂で身体が温まると感じるのは、余熱が残るからだとのことだが、確かに、循環式の追いだきでは、循環が止まった瞬間に加熱が止まるので、余熱はなく、冷めるばかりである。

今のお風呂で温まらないのは、加齢のせいではなく、やはり、給湯システムのせいかもしれない。


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いまさらですが、箱根駅伝のこと

2016-01-09 00:09:03 | お題
箱根駅伝

結果、ダントツ青学だったようですが、私は漠然と東洋大を応援していました。

というのも、時代についていけない人間ですが、3~4年前の箱根駅伝で活躍していた東洋大の柏原崇君の印象が強かったからです。山の神、ごぼう抜きの柏原君はすごかったなあ。
2年間見たと思います。小田原から箱根湯本までの上り坂。
その後は、双子の設楽兄弟。色白で華奢な感じですが、2人の活躍を見守っていました。
それは一昨年のことだったかな?あのころは東洋大が強かったですね。

私が箱根駅伝を見るのは、必ず静岡県の実家に帰っているときで、居間の炬燵に座って、家族でテレビを見るのです。東京の自宅では、午前中にテレビを見る習慣がありません。
それで、昨年はお正月に実家に帰らなかったので、駅伝も見なかったようです。

今年は、1日目は見てなくて2日目の下りのスタート6区から7区あたりだけ見ました。
トップは青学で、1番最初にスタートしてましたね。その時、各大学の選手の紹介とかを見ていて、あれ、知ってる選手が一人もいないなあと驚きました。設楽兄弟ももういないんだなと思った。本当に時代遅れだ。

やはり知ってる選手がいるのといないのとでは、楽しさが違いますね。そこで今年は6区下りの東洋大の選手で、「口なんとか」という選手を見て覚えたけど、「口なんとか」ってなんだっけ?あっそうそう「口町」です。変わった名字。口町亮っていうんだ。メガネの人。走っててメガネが落ちるんじゃ?と心配してるとか言ってた。この人3年だから、来年も出るかも。実は覚えたのはこの人だけでした。

青学の人で、4年連続同じ区間を走った人とか居て、すごいなあと思いました。

今年は暖冬で温かく、箱根湯本でも霜もおりなかったそうです。以前は雪が積もっていたこともあるし、強風で体温が低下して具合の悪くなった選手もいたけど、今年は穏やかな天気でよかったですね。
箱根から小田原までの距離は約20kmあり、約1時間くらいで走り下りるそうです。そして7~10区もあれよあれよというまに走り過ぎ、半日で東京までついちゃう。車で走るのも大変なのに・・・。

小田原の中継所は、ドライブインみたいなところで、電車で行ったことがあったので懐かしかったです。平地になると気温は十何度かあってもっと暖かいですね。

でも、この後は見ないで出かけてしまいました。

大昔、山梨学院大学が部を作って2年目で初出場し、1年生と2年生だけで走って最下位だったそうですが、そのときの選手が、その後高橋尚子の高校でマラソンの指導をして、高校生の高橋尚子をマラソン選手として目覚めさせた、という話も興味深いものでした。

それから、今にも倒れてしまうんじゃないかと思った選手が、また持ち直して自分の区間を最後まで走った姿を見たりして、良かったなあと思いました。たすきは渡せなかったけど失格しなくてよかったなあとか。(上武大学田中君というらしい)

箱根駅伝には、いつもドラマがあるなあ~。

来年はやっぱり、東洋大を応援しようかな?

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