山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

東京ミッドタウン

2010-09-23 16:31:05 | 旅行・街歩き
9月になって、再び六本木に行きました。今度は長女と一緒です。
というのは、実は、8月末に次女と六本木ヒルズに行ったときに、ミッドタウンのサントリー美術館に足を運んだわけですが、な、なんと火曜日で“休館日”でした。
まず、六本木ヒルズに行って映画制作発表の整理券をもらい、それからミッドタウンに行き休館日であることを知り、またヒルズに戻ったということです。汗だくで片道10分くらいかけて、それらを行ったり来たりしたわけで、もう疲れたのなんの。
そんなわけで、9月になって再度ミッドタウンを訪れました。

サントリー美術館では「誇り高きデザイン“鍋島”」というのをやっています。以前、世田谷美術館でアンケートを書いたときに、このチケットを1枚いただいてあったので、それを利用。2人で行っても1枚だけ買えば1人当たり半額で見ることができます。

鍋島とは何かというと、以下、HPの説明。

「鍋島は、江戸時代に佐賀藩から徳川将軍家や諸大名への贈り物として作られた最高級の磁器です。染付を基本として、赤、緑、黄の色絵や青磁釉がおりなす繊細で格調高い世界は、つねに多くの人々を魅了します。堂々とした四季花鳥の皿は、近世磁器の精華ともいうべき鍋島の地位をまさに象徴する作品です。一方、桃・宝尽くしなどの吉祥柄や、壺・糸巻・組みひも・本・水車・ウサギまでも洗練されたモチーフに仕立ててしまう鍋島のデザイン力は、明快かつ斬新な感性にあふれています。
本展は、5件の重要文化財を含む貴重な鍋島作品によって、「技」「色」「構図」「モチーフ」の側面からデザインの魅力をご紹介していきます。また、現代における色鍋島の名門・十四代 今泉今右衛門氏の作品も登場します。正統ながらも新しく、上品ながらも分かりやすい。この夏、展示室でお気に入りの一枚に出会ってくださることを願ってやみません。」

とのことです。

瀬戸物や器については、特に興味があったわけではありませんが、これはすばらしいものでした。美しいだけじゃなくて、几帳面に整った図柄の中にも、斬新で大胆な構図などがあり、目を見張るばかりです。一見の価値あり。

どうせなら、日常生活でもステキな器を使いたいものだな~と思いましたが、やはり、現代の製品でも、ものすごいお値段ですね。


記念に、器と同じ模様の丸いはがきを3枚ほど買ってきました。
お皿に花瓶の模様っての面白いです。
それから、桜の花びらはハート形なんです。このわらの塀みたいなのも図柄になっちゃうところが面白いな~と思います。風情がありますね。

長女は、器にはあまり興味がなかったようですが、食べ物にも関係あるから目の肥やしにしておけと言っておきました。この娘の趣味と言ったらおいしいものを食べるくらいで、そんなんでいいのかな~と思います。若いうちにもっと勉強しておかないと、後で後悔するよ~。

ミッドタウンは国立新美術館に行ったときに寄ったことがあるので、3回目くらいです。
でも、中のお店は高級で、私には関係ない世界と言う感じ。しかし、土曜日だというのに洋品店などはお客さんがあんまりいないようで閑散としています。つぶれないのかな~。
にぎやかなのは、無料のワイン試飲コーナーなどでした。

長女と一緒に、インド料理のバイキングを食べました。見晴らしがいいです。

 

外ではドイツのビアガーデンが開催されていたので、そのあたりを散歩してみました。

 

 

 

これも自分と認めざるを得ない展」というのもやっていて、8月に来た時、次女はこれを見たいと言っていましたがここも火曜休館でした。私も面白そうだな、と思っていたのですが、長女は全く関心なしなので入らず。姉妹でも全然違うものです。
夫だったらビアガーデンですが、おつまみも結構高いようで、実際に来たら、やっぱ家に帰って飲もうということになったのではないかと思います。
ま、たまには場違いなところに来るのもいいかな。
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六本木ヒルズ

2010-09-23 14:43:16 | 旅行・街歩き
8月の末に「雷桜」の制作発表を見に、次女と六本木ヒルズに行きました。六本木ヒルズってのは、あまりにも有名ですが、実はこの場所には初めていきました。
地下鉄日比谷線の駅を出て、地上に出てきたのがこのあたり。



こりゃなんだ?クモ?
まさか、クモじゃないだろうと思ったら、本当にクモだった。
「巨大クモ・ママン」 のオブジェだそうだ。

六本木ヒルズの本体となるビルは、これ、森タワー。



このビルは、我が家からも見える。上のほうに展望台があったようだが、値段が高いし時間もないので行かなかった。

そして、テレビ朝日。右側の透明な建物。



入口を入るとちょっとした土産物屋があり、その奥に番組等を紹介したちょっとした展示があるが、その奥は関係者以外は入場できない。

ビルとテレビ朝日の建物の間にある、この丸い屋根のあるところが、アリーナ。

 

映画の製作発表はここで行われた。しかし、厳重に撮影禁止となっていたため、その時の様子はおろか、開催時間外の会場の風景さえ、全くカメラに収めることはできなかった。残念!
肖像権とか著作権とか放映権とか、色々あるんでしょう。テレビ等で発表される前に素人のブログで発表されたり、画像を公開されたりしたら、意味がないし、雑誌等に載せるプロの写真の価値もなくなってしまうでしょうからね。

これらの現代的な建造物の谷間に、なんとオアシスのような水辺がありました。



毛利庭園。きれいな池があり、宇宙メダカが泳いでいます。
宇宙メダカとは、宇宙に連れて行かれたメダカですが、もう10年以上も前のようなので、おそらくそのメダカ本人ではなく、その子孫たちでしょう。宇宙飛行士毛利さんが持ってきたのかと思ったら、向井千秋さんの時の実験らしいです。毛利庭園は毛利元就の孫の毛利秀元が江戸時代に作ったものだそうです。
宇宙メダカは特殊なメダカなので、他の池や川に放流して別のメダカと混じって交配したりしてはいけないらしいです。この池は、孤立しているのでここに放流したとのことで、そのような理由から、別のメダカを入れたり、ここのメダカを連れだしたりしてはいけないということです。池を見ると普通と変わらぬメダカたちが泳いでいました。



この場所の風景は、テレビ朝日の天気予報のときに写っている景色ですね。
というのも、今まで全然気がつかなかったのですが、最近初めて知りました。

この場所から見ると、現代風の透明なガラス(プラスチックか?)と、茶色いレンガのような素材と、そして、水や植物などの自然からできた池のある庭というのが、不思議な調和を醸し出しています。



そして、向こうに見える2つの縦長のビルは、六本木ヒルズレジデンス。
あの押尾学事件の現場らしいです。入口の柱の植え込みに携帯電話を隠したとか言われていますが、そのあたりを通ったとき、ついつい目を止めてしまいました。
こうやってヒルズのきれいな写真を見ても、あの事件を思い出してしまって、イメージ悪いです。

ところで、六本木って、特に用もないので、あまり行かず、位置関係もよくわからなかったのですが、地下鉄大江戸線と日比谷線の駅が、同じ六本木でありながらすごく離れています。そして、日比谷線の六本木近くは「六本木ヒルズ」、大江戸線のほうは「ミッドタウン」が近いようです。
この日、ヒルズとミッドタウンを行ったり来たりしたので、もう大変でした。

途中、首都高の下の道路を歩いてて、次女と一緒に「ここはとても車で走れないよね~」と話しました。一応都内に住んでいますが、「都会」の道路とは、漠然とこの辺りをイメージしています。六本木とか銀座とかかな?実際走っちゃえばどうってことないのかもしれませんが・・・。
新宿は一応都会だとは思うけど、中野はもうすでに田舎ですね。
それにしても、六本木は都会に違いないけど、実際汚いです。ごたごたです。とてもステキな町とは言えないな~。なんとかならないものですかね。

最後に、制作発表が始まる前に時間をつぶしながら次女と食べた氷。



かき氷なんて、久々だったな~。
見本とはかなり違ってびっくりしたけどね。

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家族のありがたみ

2010-09-23 11:08:12 | 日記
このあいだ、長女と一緒に六本木にでかけて電車で帰ってきたのだが、2人してヒールの高い靴を履いて結構歩き回ったので、もう足が痛くてたまらなくなってしまった。
いつも履いている靴なので、慣れていないわけではないが、普段歩く距離に比べると、すごく長かったわけだ。
街中を歩いていて、足が痛そうな人は見かけない。世の中の人はよくも痛くないもんだと思う。私たちは電車の中で靴から足を出したりしていた。

それで、駅についたあと、自宅までも自転車ではなかったので、徒歩で帰らねばならなかった。歩くと15分くらいかかるので、こんなときに駅まで夫が車で迎えにきてくれたらいいのに・・・と話した。夫は、免許を取ったもののいまだに運転をしないので、迎えにも来ることができないのだ。いったい、なんのために免許を取ったんだろうね、などと娘と話した。

しかし、考えてみると、以前はクルマなんかないのが当然だったから、そんなこともあてにしなかったし、なんでも人の助けを借りないでやってきた。そして、それが誇りでもあったことを思い出した。どんなに疲れても荷物を持って自力で帰る根性がウチの娘たちにも私にも身についているはずだった。しかしそんな根性も環境によって一気に変わるもんだと思った。
それに、考えてみると歩いて帰らなくてはならなくなったこと自体、前夜に娘を車で迎えに行って自宅に連れてきたからであり、本来なら自転車で自宅と駅を行き来しているのだから、痛い足で歩かなくてもよかったわけだ。
だから、頑張って歩くしかないなあ。

さて、話は変わるが、先日、1人暮らしの近所のおじさんと話をしていたら、その方はもう70代なのだそうだが、元々独身だったそうだ。ちょっと見た感じでは、子どもさんたちは独立して家庭を持ち別居していて、その方は奥さんを早くに亡くされたのかな?という感じだった。趣味などもされていて悠々自適に生きているという感じである。
ああ、それならずっと独身貴族だったわけだ、と思ったのだが、御本人の話では、若いころはそのつもりだったけど、やっぱり一人はさびしいよ、ということだ。
何でもお金を出さないとやってもらえないしね、という。

ああ、確かにそうだなと思う。例えば、その「車で迎えに来て」と頼むにしても、家族にお金を払うわけではない。タクシーだったらお金を払わなければならないのは当然だが、親しくしている隣人や友人にもそんなことは頼めるものではない。
また、夫が日曜大工をしたり、妻が家事をしたりするのも家族なら普通のことだが、建具屋さんに頼んだり家政婦さんを頼んだりしたら、有料である。
そういうことを考えると、家族とはいかに経済的で便利なものであるかということがわかる。

また、最近知人が病気になって入院などしたのだが、独身で一人暮らしだった。自活しているから、仕事を休んで入院し、退院してまた仕事に復帰している。
偉いなあと思う。主婦だったら、入院するまえに仕事をやめていると思う。知人は実家も遠くではあるが、近くに兄弟はいるので、その協力は得られたようだ。

自分が元気なときは一人でも支障はないけど、病気になったり何かトラブルを抱えたときには、家族や同居人の助けはありがたい。失業した時なども収入を補いあったりすることができる。

1人で強く生きて行くことも立派なことだと思う。
でも、家族がいるという環境はありがたいことだ。感謝しなくては、と思った。
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保証人制度

2010-09-23 02:02:51 | 日記

今朝、テレビをつけると保証人紹介会社のトラブルについて放送されていた。別のことをしながら耳に入ってきただけなので、間違いがあるかもしれないのだが、内容は以下のようなことだった。

就職のときや家を借りるときなどに、保証人が必要だが、身近に保証人になってくれる適度な人が居ない場合、保証人会社に依頼して、報酬を払って他人の保証人を紹介してもらう。
ところが、この会社が悪質な場合、お金ばかりとってちゃんとした保証人を紹介してくれない場合がある。保証人でありながら、架空の会社に勤めているひとだったりするらしい。
また、保証人を引き受けた側でも、実際に多額の金額を負担するような保証の必要が出た時は保証人会社が負担するという話だったにもかかわらず、結局、名目の保証人が保証することになり、何千万円も払ったのだとか?名前を貸して何万円か貰えるくらいの軽い気持ちで保証人になったらしいが、とんでもない結果となったようだ。
依頼した方は、途中で依頼をやめようとすると、多額のキャンセル料を払わされたりするらしい。
結局、儲かるのは、その会社だけのようだ。

そこで、テレビでは、このような保証人会社に気をつけるように、という注意とともに、現代社会において、保証人制度というのは時代遅れのものでは?という問題点も投げかけていた。

これには同感だ。

一昔前までは、親戚もたくさんいる時代だったから、伯父(叔父)さん等が何人もいて、その中の誰かに依頼するということができただろう。また、兄弟もたくさんいたから、その中の一人くらいは、保証人になれる人がいたのだった。
ところが、現代では、親戚も少ないし兄弟も1人か2人という程度だから、身内や親せきに保証人を頼める人が居ない場合が多い。親戚以外に保証人になってくれるほど親しくしている人はあまりいないと思う。
また、親しかったとしても、非正規社員なども多く、条件としてなれない場合も多い。
また、その時点では正社員であったところで、いつ失業するかもわからない。例えば賃貸アパートの保証人になって、アパートを借りている本人が家賃を払えなくなったなどという場合に、家賃を数カ月分肩代わりできるかといえば、そんな金額は出せないということで、当然に保証人は引き受けられないということになる。

保証人が引き受けられる人は、かなりの安定した財産のあるものでなければできるものではない。

自分自身のことで精一杯な人ばかりだというのに、保証人を立てなければいけないなんていう風習にそもそも無理があるのだ。

以前ここでも書いたことがあるが、この公営住宅に移転するためにも保証人が改めて必要になり、就職したばかりの別居の娘がなんとかなることができたのでよかった。もし娘が居なかったら別の人を探さねばならず、大変だった。
叔父等は生きていてもみな年金暮らしになってしまったし、従兄弟にはあったこともないし、夫は兄弟もいない天涯孤独の身である。

思えば、そもそも夫の兄が早死にしてしまったのも、保証人問題が影響しているともいえる。夫の家庭は子どものときに父親が早くになくなってしまった。それで、母子家庭だったわけだが、夫の兄が田舎から東京にでてきて就職するときに、親切な叔父の1人が職場を紹介してくれた。しかし、夫の兄はそこが気に入らなくてほどなくやめてしまったのだそうだ。それで保証人もいらないようなバイトをしていたらしいが、一念発起してとある会社の入社試験を受けたところ合格した。それで、別の叔父に保証人を依頼し了解を得て叔父の家を訪問したところ、その叔父の妻が猛反対し、結局保証人にはなってもらえなかった。その叔父は一流企業に勤めていたものの、婿に入っていたので自由がきかなったそうだ。最初の叔父にはもう頼めないし、もう一人いた伯父は身体が弱く仕事もしていないような状況だった。弟である私の夫はそのときまだ高校生だった。それで、結局保証人が立てられないため、兄はその会社の就職を断念したそうだ。
合格した会社は安定した良い会社だった。もし、そこに入っていたならば安定した家庭も築けたのではないかと思う。結局、いろいろな職業を転々として一人暮らしをしていたが、身体を壊しても医者にいかず手遅れになって30代で亡くなってしまった。夫は兄の保証人を断った叔父叔母にはいまだにわだかまりがあるらしく、かかわりを持とうとはしない。

夫自体は、その最初の親切な叔父にいろいろな保証人になってもらったそうだ。
私も東京で就職するときは、都内に住んでいる父方の親戚が2軒あったので、その一人に引き受けてもらった。

娘たちの職場では意外にも保証人を必要としなかった。長女の会社は大きな会社であるが、保証人を必要としないのは、現代的な考え方からかもしれない。
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