山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

家族のありがたみ

2010-09-23 11:08:12 | 日記
このあいだ、長女と一緒に六本木にでかけて電車で帰ってきたのだが、2人してヒールの高い靴を履いて結構歩き回ったので、もう足が痛くてたまらなくなってしまった。
いつも履いている靴なので、慣れていないわけではないが、普段歩く距離に比べると、すごく長かったわけだ。
街中を歩いていて、足が痛そうな人は見かけない。世の中の人はよくも痛くないもんだと思う。私たちは電車の中で靴から足を出したりしていた。

それで、駅についたあと、自宅までも自転車ではなかったので、徒歩で帰らねばならなかった。歩くと15分くらいかかるので、こんなときに駅まで夫が車で迎えにきてくれたらいいのに・・・と話した。夫は、免許を取ったもののいまだに運転をしないので、迎えにも来ることができないのだ。いったい、なんのために免許を取ったんだろうね、などと娘と話した。

しかし、考えてみると、以前はクルマなんかないのが当然だったから、そんなこともあてにしなかったし、なんでも人の助けを借りないでやってきた。そして、それが誇りでもあったことを思い出した。どんなに疲れても荷物を持って自力で帰る根性がウチの娘たちにも私にも身についているはずだった。しかしそんな根性も環境によって一気に変わるもんだと思った。
それに、考えてみると歩いて帰らなくてはならなくなったこと自体、前夜に娘を車で迎えに行って自宅に連れてきたからであり、本来なら自転車で自宅と駅を行き来しているのだから、痛い足で歩かなくてもよかったわけだ。
だから、頑張って歩くしかないなあ。

さて、話は変わるが、先日、1人暮らしの近所のおじさんと話をしていたら、その方はもう70代なのだそうだが、元々独身だったそうだ。ちょっと見た感じでは、子どもさんたちは独立して家庭を持ち別居していて、その方は奥さんを早くに亡くされたのかな?という感じだった。趣味などもされていて悠々自適に生きているという感じである。
ああ、それならずっと独身貴族だったわけだ、と思ったのだが、御本人の話では、若いころはそのつもりだったけど、やっぱり一人はさびしいよ、ということだ。
何でもお金を出さないとやってもらえないしね、という。

ああ、確かにそうだなと思う。例えば、その「車で迎えに来て」と頼むにしても、家族にお金を払うわけではない。タクシーだったらお金を払わなければならないのは当然だが、親しくしている隣人や友人にもそんなことは頼めるものではない。
また、夫が日曜大工をしたり、妻が家事をしたりするのも家族なら普通のことだが、建具屋さんに頼んだり家政婦さんを頼んだりしたら、有料である。
そういうことを考えると、家族とはいかに経済的で便利なものであるかということがわかる。

また、最近知人が病気になって入院などしたのだが、独身で一人暮らしだった。自活しているから、仕事を休んで入院し、退院してまた仕事に復帰している。
偉いなあと思う。主婦だったら、入院するまえに仕事をやめていると思う。知人は実家も遠くではあるが、近くに兄弟はいるので、その協力は得られたようだ。

自分が元気なときは一人でも支障はないけど、病気になったり何かトラブルを抱えたときには、家族や同居人の助けはありがたい。失業した時なども収入を補いあったりすることができる。

1人で強く生きて行くことも立派なことだと思う。
でも、家族がいるという環境はありがたいことだ。感謝しなくては、と思った。

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