いつも読ませていただいているブログに夏休みの自由研究のことが書いてあり、私も自分の経験を思い出しました。
自由研究という宿題は、何でもいいから好きなことを研究して提出しろっていうもので、毎年何をするか悩んでしまうものでした。
何を観察しようかな~と思ううちに、だんだん夏休みも終わりに近づいてきて、仕方なく、そのへんのきれいでも何でもない景色などの絵を書いたりして間に合わせたこともありました。
いま思い返しても、ろくな研究はしなかったのだと思います。
いくつか課題をだしてくれて、好きなものを選ぶとかだったら、もう少しやりやすかったかもしれません。
そんななかで思い出したのは、小学校のある夏休みの時、何か観察するものはないかな~と毎日探していると、ある日、家の裏口のそばに、小さな薄茶色い傘のキノコをひとつ発見したのです。
そうだ、このキノコの観察日記を書こう!と思い、さっそくそれをスケッチしました。
このキノコの名前は何だろうか?と思って、家にある植物図鑑の絵の中から、多分これだろうと見つけたのが「馬糞茸」でした。
今となっては、それが本当に「馬糞茸」だったのかどうなのかも不明です。
それは「馬糞」のあるようなところに生えるのかな?そんなことも覚えてはいません。
さて、翌日はどうなっているか?と思って見に行くと、なんとそのキノコは1日にして倒れて死んで終わっていたのでありました。
そもそも、観察日記はどのように書くつもりだったのでしょう?
日ごとに、そのキノコが大きく成長するとか、次々に同じ種類のキノコが生えてくるとか、そんなことを期待していたのでしょうか?
せめて、だんだん色が濃くなったとか、数日後に干からびてきて枯れたとか、傘がボロボロになってきたとか、傘の開き具合が変わってきたとか、何か変化があるはずのところを書こうと思っていたのじゃないでしょうか?
でも、一夜にして消えました。おわり。
・・・
だから、自由研究なんてもんは、そんなに役に立つもんじゃなくて、それをきっかけに生涯の研究につながったとか、そのようなことはほとんど滅多になく、多くの子供が、いったい何をすればいいんだ?とりあえず、花の絵でも書こうかとか、虫でもつかまえとけ、
なんてことで終わるのでしょう。
無意味です!
・・・と思ったのですが、
まあ、「馬糞茸っぽいとても小さなキノコが裏口のそばに生えたっけなあ~」という記憶が今でも残っており、それは一夜にして生まれ、一夜にして滅びたんだ、という記憶は、もしかしたら貴重なものかもしれません。
だったら、自由研究はそれでよかったのかもしれませんね。
ところで、これまで「馬糞茸」のことを「バフンダケ」と読むものだと思っていたのですが、今パソコンで検索していたら「マグソダケ」と読むようです。
50年以上経って知ったというのも、小学生のときの観察のお陰なのかも。
でも、子供のとき、図鑑を見て、漢字じゃなくてカタカナで書いていたと思うのだけど、読み方は私の記憶違いだったのかもしれません。
・・・
追記:
「馬糞茸」のハッシュタグはつけられないそうです!
「ダウンコート」と同じですね。
本当におかしいですよね! ムカつきます。
だけど子供の頃は自由研究って嫌いでしたね、サボれないので
(^^;
朝顔の観察なんてやったことがありません。
もしやってたらやった人にしか分からない発見があったと思います。
ボッケニャンドリさんのブログを読ませていただくと、動植物の画像映像や、道具の仕組みなど、大変勉強になりますよ~
私も、思えば旅行記や感想文や写真日記など、昔宿題に出されていやいやながらやったことを、ブログでは自主的に好き勝手に作成したりしているなあ、と気づかされますね。