ゴールデンウィークに、実家に帰る電車の中で荻原浩の「明日の記憶」を読み始めた。
50歳にして若年性アルツハイマーに罹ってしまう会社員の話だ。
読んでいて、他人事ではない気分になり、主人公といっしょになって、自分は大丈夫なのだろうか?と、どこまで大丈夫でどこがおかしい、など、真剣に自分を観察したり確かめたりする状況で読み進んだ。
年齢もちょうど同じくらい。私は幸いアルツハイマーではないと思うが、かなり記憶がぬけることもある。自分の記憶がなくなっていくということは、いったいどういうことなのだろう。やっぱり忘れないように書きとめるしかないのだろうか。
自分でブログに書いた内容さえもすっかり忘れているのだから、どうしようもない。
アルツハイマーでなくとも、老化すると人間の記憶や判断はあやしくなってくる。アクセルとブレーキを間違えて突っ込んでしまうという車の事故を起こすのは大部分が70歳を過ぎた老人だ。足の筋肉の老化によってブレーキの位置に足を持っていく機能が弱り、とっさにアクセルからブレーキに踏み変えることができないという運動機能の原因を指摘する人もいるが、やはり、ブレーキの位置とアクセルの位置を間違えたというのがそもそもの原因だろう。現在高齢の人は、もともとオートマではなくマニュアル車を運転していた人であり、そのことからの頭の混乱もあるという。しかし、だからといってなぜアクセルを踏み込むのかは不思議だ。実際、アクセルペダルとブレーキペダルはそんなに離れているものではないので、身体がゆがむと位置も混乱する可能性があるともいわれている。
慣れない車を運転したときに、ペダルの位置が少しずれていたりすることも原因になるという。
このようなことから、自分自身でも、慣れないクルマに乗り替えたりしたときは要注意であるし、時には慣れない靴によって、足を滑らせたり、位置感覚が変ったりすることもあるようだから気をつけようと思った。バックをするときには、身体をねじるのでそのため足の位置がずれることもあるようだ。実際、夜間に自分の駐車場にバックしていた時、このペダルで大丈夫だよな?と不安になったこともある。
教習し始めたころはどっちがアクセルだっけ?とわからなくなりそうになったこともあった。免許を取ってから路上を走っていてブレーキを踏むところを、アクセルを踏んでしまったことも2回くらいあった。それほど強く踏んでいなかったので、大丈夫だったし、今では間違えることもなくなったが、そのようなことから、「ぜったいに踏み間違えない」とは断言できないな、と思う。
自分がこれから、年をとって行ったら、いつまでちゃんと運転できるのだろうか?
どんなに元気でしっかりした人でも90歳で運転をしている人はいない。どうしたって年齢に比例して機能は衰えてしまう。
だから、50歳だったらまだ大丈夫とはいえ、脳細胞がずいぶん破壊されていると思うと、よほど気をつけなければいけないなと思うのだ。
以前住んでいた家で、昔使っていたスイッチをつぶして別の場所に設置したことがあった。それからもう何年も経っていたのに、ある時なぜか昔のスイッチのあったところに手を伸ばして電気をつけようとしたことがあり、自分で驚いたものだ。昔の記憶が現在の記憶よりも強く出たということだ。
このようなことがあるとしたら、クルマを買い直して新しい車に乗りながらも、それから何年もしてから昔のクルマの操作をしないとも限らない。何年もオートマに乗っていながら、ある時突然マニュアル車の運転をし始める老人が居るのも不思議ではないかもしれない。
オートマ限定解除をしてみて、徐行するときに、ブレーキペダルで調節するのではなく、アクセルとクラッチを踏みながら調節するというやり方は、本当に全く違うものなのだなと思った。自動車学校の先生も、「全く別物だと思ってください」と言っていた。
マニュアル車を運転したり、オートマを運転したりしていたら、私の場合絶対にアタマが混乱しそうだから、マニュアル車で路上を走れるようにもなりたいと思いつつも、やめておいた。マニュアルはすっかり忘れて、オートマに専念しよう。
話はそれたけど、アルツハイマーでなくとも、その度合いがはなはだしくないだけで、似たようなことがたくさんあり、本当に危機を感じる。しっかりせねば・・・。
同じことを何度も繰り返して話したり、自分で質問しておきながら、相手の返事をよく聞いていなくて、同じ質問を繰り返したりなどすることもある。
「明日の記憶」は、電車の行き帰りのみ読んで、その後中断しているので、近々読みたいと思っている。今までに読んだ荻原浩のユーモア小説とはかなり違って、深刻で真剣な内容だ。
この作品、すでに何年も前に映画になっていた。渡辺謙が主演していたようだ。適役だなと思った。
奥さんは樋口可南子。そういえば、テレビで見たことがあったかもしれない。その時は、何かしながら見ていたか、あんまり真剣にみていなくて、他人事のような気分だったのかもしれない。このドラマもDVDなどあれば見てみたいと思う。
50歳にして若年性アルツハイマーに罹ってしまう会社員の話だ。
読んでいて、他人事ではない気分になり、主人公といっしょになって、自分は大丈夫なのだろうか?と、どこまで大丈夫でどこがおかしい、など、真剣に自分を観察したり確かめたりする状況で読み進んだ。
年齢もちょうど同じくらい。私は幸いアルツハイマーではないと思うが、かなり記憶がぬけることもある。自分の記憶がなくなっていくということは、いったいどういうことなのだろう。やっぱり忘れないように書きとめるしかないのだろうか。
自分でブログに書いた内容さえもすっかり忘れているのだから、どうしようもない。
アルツハイマーでなくとも、老化すると人間の記憶や判断はあやしくなってくる。アクセルとブレーキを間違えて突っ込んでしまうという車の事故を起こすのは大部分が70歳を過ぎた老人だ。足の筋肉の老化によってブレーキの位置に足を持っていく機能が弱り、とっさにアクセルからブレーキに踏み変えることができないという運動機能の原因を指摘する人もいるが、やはり、ブレーキの位置とアクセルの位置を間違えたというのがそもそもの原因だろう。現在高齢の人は、もともとオートマではなくマニュアル車を運転していた人であり、そのことからの頭の混乱もあるという。しかし、だからといってなぜアクセルを踏み込むのかは不思議だ。実際、アクセルペダルとブレーキペダルはそんなに離れているものではないので、身体がゆがむと位置も混乱する可能性があるともいわれている。
慣れない車を運転したときに、ペダルの位置が少しずれていたりすることも原因になるという。
このようなことから、自分自身でも、慣れないクルマに乗り替えたりしたときは要注意であるし、時には慣れない靴によって、足を滑らせたり、位置感覚が変ったりすることもあるようだから気をつけようと思った。バックをするときには、身体をねじるのでそのため足の位置がずれることもあるようだ。実際、夜間に自分の駐車場にバックしていた時、このペダルで大丈夫だよな?と不安になったこともある。
教習し始めたころはどっちがアクセルだっけ?とわからなくなりそうになったこともあった。免許を取ってから路上を走っていてブレーキを踏むところを、アクセルを踏んでしまったことも2回くらいあった。それほど強く踏んでいなかったので、大丈夫だったし、今では間違えることもなくなったが、そのようなことから、「ぜったいに踏み間違えない」とは断言できないな、と思う。
自分がこれから、年をとって行ったら、いつまでちゃんと運転できるのだろうか?
どんなに元気でしっかりした人でも90歳で運転をしている人はいない。どうしたって年齢に比例して機能は衰えてしまう。
だから、50歳だったらまだ大丈夫とはいえ、脳細胞がずいぶん破壊されていると思うと、よほど気をつけなければいけないなと思うのだ。
以前住んでいた家で、昔使っていたスイッチをつぶして別の場所に設置したことがあった。それからもう何年も経っていたのに、ある時なぜか昔のスイッチのあったところに手を伸ばして電気をつけようとしたことがあり、自分で驚いたものだ。昔の記憶が現在の記憶よりも強く出たということだ。
このようなことがあるとしたら、クルマを買い直して新しい車に乗りながらも、それから何年もしてから昔のクルマの操作をしないとも限らない。何年もオートマに乗っていながら、ある時突然マニュアル車の運転をし始める老人が居るのも不思議ではないかもしれない。
オートマ限定解除をしてみて、徐行するときに、ブレーキペダルで調節するのではなく、アクセルとクラッチを踏みながら調節するというやり方は、本当に全く違うものなのだなと思った。自動車学校の先生も、「全く別物だと思ってください」と言っていた。
マニュアル車を運転したり、オートマを運転したりしていたら、私の場合絶対にアタマが混乱しそうだから、マニュアル車で路上を走れるようにもなりたいと思いつつも、やめておいた。マニュアルはすっかり忘れて、オートマに専念しよう。
話はそれたけど、アルツハイマーでなくとも、その度合いがはなはだしくないだけで、似たようなことがたくさんあり、本当に危機を感じる。しっかりせねば・・・。
同じことを何度も繰り返して話したり、自分で質問しておきながら、相手の返事をよく聞いていなくて、同じ質問を繰り返したりなどすることもある。
「明日の記憶」は、電車の行き帰りのみ読んで、その後中断しているので、近々読みたいと思っている。今までに読んだ荻原浩のユーモア小説とはかなり違って、深刻で真剣な内容だ。
この作品、すでに何年も前に映画になっていた。渡辺謙が主演していたようだ。適役だなと思った。
奥さんは樋口可南子。そういえば、テレビで見たことがあったかもしれない。その時は、何かしながら見ていたか、あんまり真剣にみていなくて、他人事のような気分だったのかもしれない。このドラマもDVDなどあれば見てみたいと思う。